贋食物誌73

     73 続・ひょうたん

 
 
「身上判断詩」を夜中につくって、一眠りして目覚めると、その発表欲をおさえきれなくなった。
 正午になるのを待ちかねて、あちこち友人に電話してみたが、どれもこれもまだ眠っていたり留守番電話だったりである。
 ようやく佐野洋をつかまえたが、サノについてのものは、
「探すも、覗《のぞ》くも、用のうち」ですぐ終ってしまっている。用のうち、とは推理小説のネタつくり、という意味である。それでも、いろいろ聞いてもらって、いくらか腹ふくるるおもいが薄まった。
 そのうち、あるジャーナリストが電話をかけてきたので、その用件とはまったく無関係なのだが、幾つか発表した。
「ノサカさんは、どうなるのですか」
 とたずねられて、野坂昭如の巻をつくってみようと考えたとたんに、にわかに疲れが出て頭を使うのがイヤになった。こういう遊びは、すぐ倦《あ》きる。
 その夜は、赤坂のN旅館で仲間うちのマージャンになった。発表欲だけは残っていて、幾つか言いはじめた。N旅館の女将《おかみ》が、
「あたしのも、きっとつくってあるのよ」
 と、疑惑の目差《まなざ》しを向けるのだが、本当のところ倦きてしまって出来ていない。できているものも、メモを忘れてきたので、しばしば言葉が出そこなって頭がそちらへ向く。口をきけば、すべてヘンな抑揚がついてしまい、一向にマージャンに集中できない。最初の半チャン敗けになり、そのうち軽いゼンソク症状まで出はじめて大敗した。
 翌日、さっそく生島と福地から返歌《へんか》がきた。フクチの作品はといえば、
 よして
 しらない
 ゆるして
 きらいよ
 純情ぶらせて
 のけぞらせ
 すけべすませりゃ
 毛がまたぬける。
「まんが家としては、まだ芸が不足ではないか」
 と、批評すると、フクチはしばらく考えていたが、「よしてっ、しらないっ」と、はじめの四行の末尾に全部「つ」を小さい文字で付ける、という。それなら、すこしはマシになる。イクシマの返し歌は、歌舞伎調でなかなか結構であった。
 よんどころなく
 白鞘《しらさや》の
 ゆく手さだめぬ浮寝鳥
 器量のよいのを相手にせず
 純なこころについホロリ
 のけぞる女もつぎつぎと
 すけべ村にはかくれもねえ……、
 そのあとに「白波五人男」風に、「その名は——」と付けるのだそうだ。
 やはり、イクシマはハードボイルドだけあって、心やさしい。
 イクシマを詠みこんだ私の作より、はるかに優雅で、大いに反省した。
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