【憎きもの】 ~第二十八段(二)

(二)

 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、つゆちりのこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨(ゑん)じ、そしり、また、わづかに聞き得たることをば、われもとより知りたることのやうに、こと人にも語りしらぶるもいと憎し。
 
 物聞かむと思ふほどに泣くちご。烏(からす)の集まりて飛びちがひ、さめき鳴きたる。
 
 忍びて来る人見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し伏せたる人の、いびきしたる。また、忍び来る所に、長烏帽子(ながえぼし)して、さすがに人に見えじとまどひ入るほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾(いよす)などかけたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いと憎し。帽額(もかう)の簾(す)は、まして、こはじのうち置かるる音いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸(やりど)を荒くたてあくるもいとあやし。少しもたぐるやうにしてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子(さうじ)などもごほめかしうほとめくこそしるけれ。
 
 ねぶたしと思ひて伏したるに、蚊(か)の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風(はかぜ)さへその身のほどにあるこそいと憎けれ。
 
 きしめく車に乗りてありく者。耳もきかぬにやあらむといと憎し。わが乗りたるは、その車の主さへ憎し。
 
(現代語訳)
 
 他人をうらやましがり、自分の身の上を嘆き、他人のことをあれこれ言い、ちょっとしたことも知りたがり聞きたがったりして、言ってくれないと恨んで、悪口を言い、また、ちょっと聞きかじったことを、自分が前から知っていたかのように他人に調子よく話すのもとても憎らしい。
 
 人の話を聞こうと思うときに泣き出す赤ん坊。カラスが集まって飛び交い、騒がしく鳴いているとき。
 
 忍んでこっそり通ってくる男を見つけて吠える犬。無理な場所に隠した男が、こちらの気も知らずにいびきをかいているとき。また、長烏帽子のままやって来て、それでも人に見つからないようにとあわてて入るときに、烏帽子が何かに突き当たってがさっと音を立てたとき。伊予簾などをかけてあるのに、くぐるときに頭が当たってさらさらと音を立てるのも、とても憎らしい。帽額の簾は、まして小端の置かれる音がとても耳障りだ。それらは、静かに引き上げて入れば全く音はしない。遣戸を荒々しく開けたりするのもけしからぬことだ。少しでも持ち上げるようにして開ければ、音なんかしないのに。へたに開けると、襖障子などでもがたがたと際立って音がするものだ。
 
 眠たいと思って横になっているところに、蚊が細い声でわびしそうに名乗って顔の周りを飛び回るとき。羽風までもが蚊の身相応にあるのこそ、とても憎らしい。
 
 ぎしぎしときしむ車に乗って移動する者。耳が聞こえないのかと思われ、たいそう憎らしい。自分がそんな車に乗ったときは、車の持ち主までが憎らしい。
 
(注)伊予簾 ・・・ 伊予国(愛媛県)で産出される葦の細い茎で編んだすだれ。
(注)遣戸 ・・・ 横に引いて開け閉めする戸。
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