【憎きもの】 ~第二十八段(一)

(一)

 憎きもの。急ぐことあるをりに来て長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いと憎くむつかし。すずりに髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
 
 にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんざ)求むるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持(かぢ)せさするに、このごろ物の怪にあづかりて困(こう)じにけるにや、ゐるままにすなはちねぶり声なる、いと憎し。
 
 なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火をけの火、炭櫃(すびつ)などに、手の裏うち返しうち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火をけの端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままにおしすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、ゐむとする所を、まづ扇(あふぎ)してこなたかなたあふぎ散らして、ちり掃き捨て、ゐも定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前まき入れてもゐるべし。かかることは、言ふかひなき者のきはにやと思へど、少しよろしき者の式部の大夫(たいふ)など言ひしがせしなり。
 
 また、酒飲みてあめき、口をさぐり、ひげある者はそれをなで、盃(さかづき)こと人に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。また、「飲め」と言ふなるべし。身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへひきたれて、童(わらは)べの「こふ殿(との)に参りて」など歌ふやうにする、それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
 
(現代語訳)
 
 憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言ってでも帰すこともできるが、さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、ほんとうに憎らしく不愉快だ。硯に髪の毛が入ったまますられているとき。また、墨の中に石が入っていて、きしきしと音をたてるとき。
 
 急病人がいて、祈祷師を呼びにやっても留守で、ほかを尋ね回っている間はずいぶん待ち遠しく、やっと待ち受けて喜んで加持をさせると、この祈祷師は物の怪の調伏で疲れてしまったばかりなのか、座ったとたんにすぐに眠ったような声なのは、とても憎らしい。
 
 大した人でもないのに、にやにや笑いながらやたらとしゃべりまくっているとき。丸火鉢の火や、炭櫃などに、かざした手のひらをしきりにひっくり返し、しわを伸ばしながらあぶっている者。若々しい人が、いつそんなことをしただろうか。年寄りじみた者に限って、丸火鉢の縁に足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりするようだ。そんな者は、人の所に来て、座ろうとする場所を、まずは扇であっちこっちへあおぎ散らして塵を掃き捨て、座っても落ち着かずよろめいて、狩衣の前の垂れを下に巻き入れて座る。こんな行儀の悪さは、言うほどもない身分の者のすることかと思うが、少しはましな身分の式部の大夫などといった人がそうしたのだ。
 
 また、酒を飲んでわめき、口の辺りをこすり、ひげのある者はそれを撫で、盃を他人に取らせるときのようすは、とても憎らしく見える。また、「飲め」ということか、身震いをし、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「こふ殿に参りて」などと歌うような口ぶりをする。それがなんと、まことに立派な身分の人がなさったのを見て、幻滅した。
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