「四月にツイート」

  四月一週。入院の日が決まる。納屋で三年寝かせた味噌樽(みそだる)を開ける。蓋(ふた)を脇に置き、重しを持ち上げる。白と緑のカビが、たまり醤油(じょうゆ)の上に浮いている。味噌汁用の杓子(しゃくし)とボウルを使い、カビをすくう。甘い香りがもわりと漂う。味噌にカビは及んでいない。木べらでそっとなでる。つまんで口に運ぶ。角が取れたような塩味と豆の甘みの調和。微生物の息づく味。急に嬉(うれ)しくなり、大きめのボウルにもつもつと味噌を盛る。たまり醤油も別なボウルにすくって入れ、晒(さら)しでこして空き瓶に入れる。少量しか取れない貴重な調味料。三陸産の醤蝦(あみ)とフキノトウを刻んで入れたスパゲッティをこれで炒(いた)めたものが、春の定番になりつつある。

 週末、つかえて苦しい腹をなでながら畑仕事をする。シェリーという品種のジャガイモを植える。夏バテした時には、ジャガイモをふかす。塩とオリーブオイルを少々つけて食べると、疲れが取れていく。それが楽しみで、地表に芽が出てきた時は嬉しくて何度も厚みのある葉に触れてしまう。幅広の畝にはガーデンレタスと小松菜の種を蒔(ま)く。赤と緑の混在は美しく、畑のお気に入りの場所となる。ナスタチウムに金盞花(きんせんか)、食べられる花を添えてサラダを作ろう。色彩は心を満たす。
 四月二週。二度目の開腹手術。一度目は小さな子供が出てきた。今度は大きな腫瘍(しゅよう)が二つ。腹を切って子供を産んだり、腫瘍を取って生きようとしたりする。人間というものは不思議な生き物だな、と思う。他人の腹を切ってくれる人がいるからこそ、生きられることもある。ベッドから起き上がれない痛みに夜中、何度もナースコールを押す。訴えに応じてくれる人がいる。
 手術の翌日、雉(きじ)の声で目が覚める。窓の外には白い霧が立ち込めている。伴侶を求める力強い声に、痛みを一瞬忘れる。夜、流動食が始まる。重湯、葛湯(くずゆ)、スープ、味噌汁、どれも温かい。葛湯に手が伸びる。幼い頃、風邪を引くと母がよく薪(まき)ストーブの上で練ってくれたことを思い出す。昆布と鰹(かつお)だしの味噌汁は、すうっと身に染みる。食べるという行為の尊さを実感する。生きるために食べる。食べるから生きる。そんな言葉が頭をよぎる。自分や家族のために、この先どんな食事を出していこう。消灯後目を閉じ、納屋に眠る味噌樽のことを思い出す。
 四月三週。退院する。船酔いのような眩暈(めまい)がひどく、実家の世話になる。入院前、母に水遣(や)りを頼んだトマトとパプリカの苗がぐんと大きくなっている。長い間不在だった気がしてしまう。母は孫のために弁当を作り、保育園の送迎を続けてくれる。夫は一人、田の仕事に励む。私がいることを子供が喜んでいる。思うように動けない私は、ただ自分と向き合う。病む側からしか見えないものがある。健康である時、どれほど私は傲慢(ごうまん)であったか。治癒していく過程でまた見えなくなるであろう景色を、少しでも覚えておきたい。
 四月四週。穀雨という名のとおり雨が降る。翌日から晴天が続く。発泡スチロールの箱を利用した苗床で、きゅうり、オクラ、トウモロコシが育っていく。畑を見にいく。まるでダンスホールのようだと、思わず笑ってしまう。一面、踊り子草が覆いつくしている。ガーデンレタスが芽を出している。帰ってから、農薬を使わない野菜の育て方、雑草を生かす農法をネット検索する。同じ野菜でも、人それぞれに栽培方法が違う。これが正しいというものが、本当は存在しないことを無数の情報の中で知る。ふと、巷(ちまた)で使われる「ツイート」「ツイッター」とはどういう意味かと知りたくなる。調べてみると、「小鳥がさえずる」と分かる。(そうか、人もさえずりたいのだ。)胸が震える。ネット社会の中に個々の表現という命の根源を感じ、なぜか安心する。人は、自分のさえずりに応じてくれる相手を探しているのかもしれない。あの雉のように。
 週末、稲の種まきをする。動けない私は手伝いに来てくれた人の昼食を用意する。味噌とたまり醤油で味付けした豚汁を出す。たまり醤油が好評で、ただそのことが嬉しい。
 四月五週。自宅へ戻る。気がつけば桜は散り、緑が押し寄せている。味噌に始まり、鳥や草木、野菜の苗が、「生きる今」を次々と私に見せ付けた月。命ざわめく季節に沿いながら私も内から「今」を取り出して、並べてみればそれはさえずりのよう。ツイート、ツイート、生きてる限り終わることなく。私は時をピンで留めるように事象や湧き上がる感情を言葉に置き換える。誰かが応じてくれたら、と小さく願っている。
 田打ちが始まる。つがいの山鳩(やまばと)の羽音に驚いて振り向く。人参(にんじん)の芽が顔をのぞかせる。今年の梅漬けのことをもう考えている。
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