洗手不干与洗净脚

 悪事から抜け出してはじめな生活に入ることをいいます。ヤクザ映画などでおなじみの言葉です。

  ところが、この、足を洗う、といういい方は、仏教を語源としているのです。昔、インドの僧は、終日、ハダシで街中を托鉢(たくはつ)して歩かねばならなかったのです。そのため、寺に帰るときには、足はドロだらけ。

  この汚れた足を洗い清め、心身ともに清浄になることが一日の日課の終わりだったのです。

  こんな荘厳な宗教的行為がいつのまにか。悪事から抜け出すという意味に転化したのもおかしなものです。

  現在では、単に商売を替えるときにも、心機一転をすると言ったような意味で、足を洗って出直す?といったいしているようです。

 

  

中译文:

  日语中,说一个人改邪归正时就说:“洗净脚”(相当于汉语的“洗手不干”)。

这在饰演流氓黑社会的电影中是个屡见不鲜的台词。

  但是,“洗净脚”这种说法却源于佛教。从前,印度的僧人终日赤脚托钵行走。

  因此,回到寺院里,脚上已沾满了污泥。洗净这双脏脚,达到身心清静的境界这是一天之中的最后一项功课。这种严肃的宗教行为却在不知不觉间演化为这样一个意思:

  即说一个人从邪恶中自拔改邪归正。

  现在,单指改变工作行当时,或形容重新振做起来的这种情况,也说:“洗手不干,重打锣鼓另开张。”
 

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