「父の涙」

「笑顔が素敵な子になったね」

 お婆ちゃんは少しどもりながら、僕にそう声をかけた。
 祖母が最初に倒れたのが去年の暮れで、それから二月とたたないうちに二度目、病名は脳梗塞だった。医者からは二度目はないといわれていたが、それでも両親と見舞いに行った僕に向けて、祖母はやつれた顔で微笑んでくれた。
 倒れたのは父方の祖母で、つまり僕の親父の母親になるわけだが、当の親父は少しだけ病室に顔を出すと、すぐにまた廊下に置いてあるソファーに戻ってしまう。母親は少し呆れていたが、僕には親父の気持ちが良くわかった。僕もそう、本当はここには来たくなかったのだ。
 祖母は大変元気な人で、脳梗塞で倒れるまでは毎日畑仕事に精を出していた。お正月などに顔を出しに行くと、こっちが困ってしまうくらいの笑顔を向けてくれる。僕の中で、祖母はずっとそういう人だった。だからこそ、僕は嫌だった。やせ細り、言葉を詰まらせ、家族の名前も思い出せない、そんな祖母を見るのがなんだか申し訳なかった。それではまるで病人じゃないか。祖母は病人であってほしくなかったのだ。
 廊下のソファーに座っていた親父は僕に手招きすると、病院内の中庭へと歩いていった。親父は何も言わなかったが、それは僕が親父の気持ちが分かるように、親父も僕の気持ちを察してのことだったかもしれない。あるいは、自分の母親のそんな姿を僕に見せたくはなかったからだろうか。中庭にでた親父と僕は、ただ黙って同じベンチに腰掛けていた。とても暑い日で、僕らがその暑さに耐えられなくなるまで僕らはそこにいた。そして親父は腰を上げると、またさっきと同じ場所に戻っていった。
 病室に戻った僕は、相変わらず居心地の悪さを感じていた。それを隠すために僕はずっと微笑んでいようと決めた。祖母になにも出来ない僕は、それくらいしかできなかった。祖母はそんな僕を見ていてくれたのだろう、帰りがけに一言だけ「笑顔が素敵な子になったね」そう僕に言って笑った。僕はただただ申し訳なくて、やはり微笑むことしかできなかった。
 祖母が亡くなった日、父が夜中泣いていた。いつも寡黙で何も動じないかのように見えた父が、大声で泣いていた。それを僕は部屋で聞きながら人が死ぬということの意味を知り、そして家族というものを思った。
 僕の母が父が、家族が死んだとき、親父に似た僕もまた夜中大声で泣くのだろうか。
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