「雀の旅だち」

「とんだ、とんだ」私は、思わず声を出した。二階の窓から、中二の息子も身をのり出している。小さな羽をはばたかせ、小雀が大屋根に向け、飛びたった。

 昨日、土曜日のことである。部活で帰りの遅くなった息子が「ただ今」の声もそこそこに、台所に駆け込んできた。
 夕餉の仕度をしていた私は、そんなに慌ててと思いながら、手を休め息子を迎えた。
「母さん、また頭を悩ますかも知れないよ」
 息子は私を見るなり、深刻そうに言った。中間テストが終ったばかりである。成績表でも持ち帰ったのだろうか。
「頭を悩ますって…、あなた自身のこと」
 私は何気ない素振りで尋ねた。
「いや違う。言うと母さん悩むからなあ…、でも、ちょっと僕について来て」
 息子は息を弾ませ私を玄関へ、そして筋向かいの田んぼの畦道へと連れて行った。
「母さん、ここ」息子は、そこへ屈みこんだ。誘われるまま私も畦の窪みに目を落した。その時、チュン、チュンと鳴き声がした。
「まあ」と言うなり声がつまってしまった私は、しばらく声の主に見入った。
 それは、巣立ちまもない小雀だった。どこから来たのだろう、あたりには巣はなかった。
「よく見つけたものね」
 悩み多い嬉しさとでもいうのだろうか、私は複雑な思いで息子に言った。
「連れて帰って何とかしてあげよう」
 私は悩みを手の中に入れ、家に帰った。
「僕、雀の声を聞いた時、一瞬どうしようかと思ったんだよ。僕、お腹すいていたしね、雀も同じだろうと思ってね」
 息子は済まなさそうに言った。それというのも、これまで何回か小雀を拾ってきており、世話の甲斐なく、巣立ちさせることが出来なかった。息子も今度ばかりは迷ったのだろう。
 この夜、息子は勉強することを忘れたかのように、すり餌をしたり、ゆすらの実の汁を吸わせたりしていた。小雀がチッチッと、喉をふるわす度に、「食べた、食べた」と喜びの声をあげた。
 夜遅く、私達は床についた。そして、今朝である。私は、恐る恐る小雀の様子を見た。
 小雀は、飼育箱の上に出てチュン、チュンと元気に鳴いていた。私は胸が熱くなり、二階の息子を呼んだ。
 庭には、梅雨の中休みの朝陽がまぶしく射していた。もしかして、もしかするかも…。私は、小雀を庭に連れて出た。チュン、チュン、小雀は羽をふるわせた。すると、大屋根から、チュンチュンと声が返ってきた。小雀はチッチッと鳴くや、力の限り飛びたった。
 窓から息子が「やったね」と満足そうに言う。私は二階に向って、Vサインを送った。
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