贋食物誌34

     34 濁酒(どぶろく)㈪

 
 
「それにしても、なぜドブロクというのかなあ。ドブ、というほうは何となく分かるような気がするけど、ロクとはなんだろうな」
 と、平さんが独り言のようにいうので、辞書をもってきて調べたが、語源については分からない。ただ、そのとなりに同じ「どぶろく」という項目が並んでいて、ひどく難しい見馴れない文字の下に「六」と書いて、「酔いつぶれた者」と出ていた。
「ま、どうでもいいや。それより、平さん花電車とやったことありますか」
 と、私が聞くと、
「いいや、とんでもない」
「べつに、とんでもないことはないでしょう」
「しかし、経験ありませんな」
「知識としてで結構ですが、どういう按配になるのだろう。喰い切られるみたいになるのかしら」
 路面電車がなくなってしまった東京では、若い人は「花電車」といってもよく分からないかもしれないが、このほうの語源ははっきりしている。
 第一義は国民的な特別の慶事のときに、都電(当時は市電である)を台と車輪だけにして、その上にデコレーションをつけたものである。
 私の記憶では、皇太子誕生のとき、この花電車が走ったような気がする。当時住んでいた市ケ谷|界隈《かいわい》を通過するのは、午後七時ころという情報が入ってくる。待ち兼ねていると、
「三十分ほど遅れるそうだ」
 という情報がまた入ってきて、イライラする。
 花電車が出て間もなく、今度は省線(国電)市ケ谷駅が火事になった。さっそく見物に出かける。テレビもプロ野球もまだなかったので、当時の子供には見物するものがすくなかった。
 この花電車には、もちろん乗ることはできない。そこから転じて、「見せるだけで乗せない」つまり、秘戯を見物させる女を指して、そう言うようになった。挿入《そうにゆう》したタマゴを一メートルくらい飛ばしてみせたり、バナナを切ってみせたりする。
「あれはですな、あらかじめバナナに糸で切れ目を入れてある場合が多いそうです。実際に切る場合には、指で千切ったような形になっちゃう」
 と、平さんが教えてくれた。
 言われてみればそのとおりで、刃物を使ったような切口になることは、構造からいって不可能である。しかし、あの切口を思い浮べたから、「花電車とやると……」という疑問が浮んでいた。
 前回で、吉村さんとはワイダンをしたことがない、と書いた。この会話は学術研究的なもので、以下ますますテツガク的になってきた。
「聞いた話によりますと、ああいう女はふだんはまったく、普通の女と同じだそうですよ」
「だって、バナナが……」
「あれは精神を集中しなくてはだめで、相手が男だとそうはできない」
「なるほど、気持が移ってしまうわけか。それでは憎んでいる男が相手だったら、集中できないかしら」
「そこが微妙なところでして、相手が品物でないとダメなようで」
「品物とおもったら、どうだろう」
「やっぱり、人間と品物では、どこか気配が違うのですなあ」
 男女の間で、相手を物体視することは、どうも不可能なようである。
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