贋食物誌45

     45 馬(うま)㈰

 
 
 ブラック・ジャックのことは、前に書いた。以前は何人か集まって、徹夜になったこともあったが、いまでは二時間と時間を限ってしている。相手は阿川弘之だけである。
 ポーカーフェイスという言葉があって、どんな良い手がきてもあるいはその反対でも、表情も変えず気配にもあらわさないのを、そう呼ぶ。ギャンブルに勝とうとおもえば、当然そういう按配でなくてはいけない。
 札をくばって、親に|A《エース》と拾の札がくれば、そのまま二倍の役《やく》である。こういうときには、相手にたくさんチップスを賭《か》けさせたいわけで、ポーカーフェイスを心がける。
 ところが、二人ともダメである。表情は変らないのだが、札を置く手つきに微妙な変化が起って、だいたい見破られてしまう。
 ところが、アガワのダメさ加減は私のとは大分違っていて、役のついたときと、ひどく悪いときの反応がほとんど同じである。これは見分けがつきにくくて、困る。
「また、ピクッとしやがったな。しかし、どっちか分からない。まったく、おめえはギャンブルに都合のいい体質だなあ。生理的天才だ」
 などと、カラカイながらゲームをするのも、愉しみの一つである。
 先日のゲームでは、私の負けになり、カードとチップスを箱の中にしまいながら、おもわずニヤリと笑いが浮んだ。その前のときにアガワが負けて、紙片に数字を書いたものを私が持っているのだが、今度の負けがまったく同じ数字なのである。
 あの紙片をそのまま渡せばいいな、とおもうと、なんとなくオカしくなって笑った。ところが、疑い深いアガワは因業《いんごう》そうな顔になって、
「あ、計算ちがいしたかな。もっとおれが勝っていたんだろう」
「そんなことないよ」
「じゃ、なぜ笑ったんだ」
「なんでもないさ」
 と、今度は意識的にニヤリとしてみせる。アガワは、ますます疑い深くなって、
「おい、教えろ」
「もう一時間ゲームを延長すれば、教えてやってもいい」
 しぶしぶ私の条件を呑んだので、笑った理由を説明すると、拍子抜けした表情になってしまった。その延長ゲームでは、私の逆転大勝となった。
 翌日、アガワから電話があって、
「おまえは古典落語の才能があるな」
「どういうことかね」
「馬の毛、という噺《はなし》を知っているか」
「覚えがあるような気がするが、忘れた。教えてくれ」
 アガワが説明しはじめたとき、おぼろげにおもい出した。八つぁんが熊さんに、「馬のシッポの毛、というのはコワイもんだ。こんなオソロシイものはない、こいつはもう、まったく……」などと、おもわせぶりに言う。熊さんが教えろ、というと、
「こんな大変なことは、タダで教えるわけにはいかない」
 と、熊さんに奢《おご》らせて、ガブガブ酒を飲む。もう教えてもいいだろう、と催促すると、
「まだまだ、たったこのくらいのオゴリで」と、さんざん飲み食いしたあげく、
「馬のうしろにまわってだな、シッポの毛を一本……こうつまむ。こいつを引き抜くてえと、怒った馬に蹴《け》っとばされる、オソロシイ」
 その八つぁんの手口に、私がニヤリと笑ったのが似ている、というのである。
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