世界の指揮者77

  ゲンナディ・ロジェストヴェンスキーは、一九七二年の春現在までに、数えてみればすでに二回日本に来ていることになる。最初は、たしかモスクワ・ボリショイ劇場のバレエ団が日本公演にきた時、それに随行したもの。私は、その公演を東京新宿のコマ劇場で見た覚えがある。その時は、東京のどのオーケストラを、彼が指揮したのだったか忘れた。もしかすると、東フィルだったかもしれない。とにかくこの公演からは、私には、バレエの人びとが、つぎからつぎと、ソリスティックな妙技を見せたこと、というよりそれはもう大部分がアクロバット(曲芸)というほかないような技術の開陳ではあっても、さっぱり《詩》の感じとれないものだったこと。それから、ここには、アメリカのバランシーン以下がずっと前から展開していた《アンサンブル》の観念がまだまったくとりいれられてないらしいのに驚きをもって確認したことしかおぼえていない。特別な記憶のないのは私ばかりではなく、当時の批評でもロジェストヴェンスキーに特にふれたものはなかったのではなかろうか。

 第二回の来日は、一九七〇年NHKの招待でモスクワ・ボリショイ劇場のオペラ団の公演につきそってきた時。この時は、もう日本の好楽家の中にもそろそろ彼の存在に気づいた人があったのだろう。彼の指揮したのは『スペードの女王』だったはずだが。もっとも、私はきいていないし、どういう人がどういう批評を発表したか、読んだ記憶のはっきりしたものはない。私はたった一回、『オネーギン』をきき、その時はロストロポーヴィチの指揮だったが、これが、あの世界で一、二といわれる大チェリストの音楽かしらとびっくりしてしまった。この時のオーケストラからは、やたらとはりきりすぎて、音もつぶれてよくないばかりでなく、表現としても、さっぱり落ちつきのない音楽しかきこえてこなかった。これはまったくの余談だが……。
 こんなわけで、ロジェストヴェンスキーについて、はっきりした考えが形成されたのは、私としては、今度(一九七二年の春)、彼が、手勢ともいうべきモスクワ国立放送交響楽団をひきいて、日本にやってきて、演奏会を開いたのに接してからのことである。
 私は、東京公演の初日を上野の文化会館ホールできいたのだが、恒例によって日ソ両国の国歌が奏楽された時、私は、オーケストラの合奏の並々ならぬ力強さ、その音の輝きといったものとならんで、『君が代』の第二詩篇《しへん》というか、〈千代に八千代に〉の個所が、ものすごくクレッシェンドされ、しかも、弦楽器が弦に弓をべったりおしつけた、最強度のレガートでひかれた結果、まるでオペラ、それもイタリア・オペラ(あるいはロシア・オペラでもこうなのか? 私はよく知らないが)の一節みたいになってしまったので、オヤッと思った。ここはまた、歌詞が本来なら、「千代に八千代に——さざれいしの——」となっているのに、旋律は「千代に八千代に、さざれ——いしの——」とついていて、きくたびに奇妙な感じがするのだが、それだけに、すごい力のある交響管弦楽団がクレッシェンドしてきて「さざれ〓」とを三つも並べたような大強奏になると、救いようのない違和感が生まれてしまう。もっともこれは、日本の国歌の構造上の問題であり、テクストのことなど何の知識もなくても不思議ではない外来の音楽家たちに何の責任があるわけではないので、私は、この演奏を責める気は毛頭もっていない。それでも、このごろは、外国人といっても、『君が代』のエクスプレッションについて前もって調べてくる指揮者もないわけではないので、正直ちょっとびっくりしたことは、事実なのである。「何とまあえらくはりきっている指揮者だろう!」と私は心中呟《つぶや》いた。
 それからグリンカの『ルスランとリュドミーラ』の序曲がはじまったが、これが、果たしてすごい演奏で、ロシア・オペラがここに呱々《ここ》の声をあげたという面影は、まったくなく、むしろ『アイーダ』か何かの凱旋《がいせん》の音楽にこそふさわしいような、威風堂々たる大序曲になっていた。そのあとは、ラフマニノフの『第一ピアノ協奏曲』があり、休憩後はチャイコフスキーの『第五交響曲』というプログラムだった。そうして、その威風堂々たる大音楽というスタイルは、どこまでいっても、募りこそすれ変わりはなく、アンコールでやられたプロコフィエフの『ロメオとジュリエット』の決闘の場は、その大クライマックスであった。それはチャイコフスキーのあの『第五』の主題が勝利の主題として、歓呼の中に戻ってきて、最後の勝ちどきをあげる、その時のすごさをまた一段と上まわるものだった。それはもう人間同士の決闘というより怪獣と超人との大立ちまわりで、どちらかが相手に止《とどめ》をさし、相手は断末魔の大苦闘のあと、ついに息が絶えるとでもいった場面につけた音楽というほうがふさわしいものだった。
 正直いって、私は閉口した。しかし、それはまた同時に、ロジェストヴェンスキーという人の指揮者としてのすごい腕にもまったく降参したことでもある。オーケストラをあやつり、ひきまわし、思うがままの表情を出すことにかけて、こんなにも手腕のある人を、私はかつて、見たことがない。なるほど米国とならぶ世界の超大国の首府の国立放送交響楽団の主《あるじ》たるにふさわしい。この人なら、ラジオできくだけでなく絶対にテレビでみたほうがよい。
 少なくとも一度はみておく必要がある。とにかく大変な腕である。私のいっているのは、何も、彼が頭の先から足の先までをどう動かすかということだけではない。その動きでもって、彼はまた、すごく細かいところのある音楽もつくれば、いうまでもなく、すごくダイナミックな音楽もやる。リズミックなものも、旋律的なものも、つまり歌う音楽も。チャイコフスキーの『第五』の第三楽章のあの何でもないワルツの音楽にしても、その旋律にいわばいくつもの照明を与えられ、まるでちがう色彩の音楽となって現われてくる、その鮮かさ。
 これは、大変な指揮者である。また、それにあわせて、オーケストラも実にすごいもので、なかにはソロをひかせてもすぐ商売になるような楽員が何人もいるらしいことがわかる。
 それでいて、私は、閉口した。その最大の原因は、一つは音楽がいかにも力ずくで、これでもかこれでもかと、ごり押しにこちらに迫ってくる点だ。これでは音楽というより、レスリングみたいである。ソ連のスポーツは、何ごとによらず、ごり押しで、力ずくでねじふせるという行き方だということをいつか何かでよんだが——私には、その当否はわからないけれども——、もしその通りだとすれば、この演奏も、それと同じカテゴリーに属する。
 ロジェストヴェンスキーは、腕前からいえば、今のままでもすでに世界の一流中の一流に並べてよろしい。それは、彼自身がすでに知っていることだし、彼はそれを意識しすぎるくらい意識しているに相違ない。だが彼は、その腕前を、あまりにも露骨に、どんな音痴にもはっきりわかるように、示したがりはしまいか? その結果、音楽から《詩》が、余韻がなくなり、おのずから人を魅惑する自然な暖か味とでもいったものが乏しくなりがちなのだ。
 それと、私があきたらなく思ったものは、対位法的なものが、あまりにも考慮されない点である。考慮という言葉は正確ではないかもしれない。ロジェストヴェンスキーの目が見逃すものは何一つありはしない。だが、出てきた音楽には、どうしても、知的で透明なもの、あるいは音楽の気品、精神美、清澄さというものが感じられない。本当のことをいうと、この後者の不満のほうが、私が、この人の音楽に閉口する主要な原因となっている。
 それにしてもすごい指揮者がいるものである。腕前は、天才的=悪魔的な高さに達している、といったら、あんまり時代がかって、ロマンティックで滑稽だけれども。私はさっき、この人の舞台を一度みておかなければ話にならないといったが、十九世紀だったらきっと、誰かがこの人をモデルにカリカチュアを描いたのに相違ないという気がする。誤解されては困る。カリカチュアといって、私は何も悪い意味での戯画を考えているのではない。私のいうのは、リストについて、パガニーニについて残っているような、そういう性格的戯画のことであり、そういうものこそ、なまじの写真などより、この指揮者の何ものであるかを正しく後世に伝えるだろうと思う。写真などつまらない。
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