三角のあたま41

 受け取っていいですか

 
 十数年前、新宿のキャバレーでミーティングを傍聴したことがあった。
 
 この店では三十歳をちょっと過ぎたくらいの男が経営をまかされていて、たった一人では何十人ものホステスの管理はできない。ホステスたちはたしか雪組、花組、月組などと、宝塚歌劇団みたいな名前の班に分かれていて、それぞれに班長、副班長がいる。
 
 班長は若いホステスや、新入りのホステスの面倒を見て、
 
「そんな男とは、別れたほうがいいわよ」
 
 私的な生活面にまで忠告を与えていた。
 
 開店少し前、メンバーがそろうころを見計って、店長のミーティングが始まる。事務的な連絡のほかに、かならずなにかしら仕事に役立つ訓話がある。短いが、おもしろくて適切だった。
 
「お勘定が九千七百円で、お客様が一万円札を出し〓“お釣は取っておけよ〓”と言いました。みなさんはどうしますか」
 
「もらっちゃう」
 
「もらっちゃう」
 
 あちこちから声が飛ぶ。店長はおもむろに頷《うなず》いて、
 
「そうです。もらっていいんですよ。もらっていいんです。しかし……」
 
 と、言葉を切り、グルリと見まわしてから、
 
「もらっていいんですが、思いっきり喜んでください。メチャクチャうれしがっちゃう。お客様はそれを見て、思いますね。三百円で、この女、こんなに喜ぶんだから、千円やったら、どうなるだろう。このつぎもまた来たくなりますね。今度はきっと千円くれます。みなさんもうれしいですね。お店もうれしいですね。お客様もうれしいんです。わかりますか。じゃあ、今日も元気で売り上げを伸ばしてください。はい、頑張ろう」
 
 で訓話はおしまい。軍艦マーチが鳴って開店となる。
 
 ——うーん、なるほど——
 
 お客の心理をよく心得ていると言うべきか、われら男性は鼻毛をすっかり読まれていると言うべきか、しみじみと感心させられてしまった。
 
 同じころ、今度は銀座でクラブのママがホステスたちに話しているのを聞いた。
 
「いい? お客様が〓“これ、取っておけよ〓”って、チップをくださること、よくあるでしょ。そのとき、いただいていいのは五万円までね。それ以上は返しなさい」
 
 私は釈然としなかった。あとで、
 
「お客からもっとたくさんもらうホステスが、たくさんいるだろうが?」
 
 と尋ねたら、ママが、
 
「もちろんよ。でも十万円以上を受け取ったときは、魚心あれば水心。口《く》説《ど》かれてもいいってことね。その気がなくて、受け取っていいのは五万円くらいまで。そういうこと」
 
 と教えてくれた。
 
 今から十年あまり昔のことだから、お金の価値は少し変っている。二倍くらいに換算してみれば、つまり、十万円と思えばいいのだろうか。
 
 金額には若干のちがいがあるけれど、似たような話は、ほかのママからも聞かされた。暗黙のうちにもそんなルールがあるのかもしれない。
 
 当然のことだ。
 
 お金には受け取っていいお金と、受け取ってはいけないお金とがある。受け取った以上、覚悟しなければいけないことがある。
 
「私、べつにおねだりしたわけじゃないのよ。サーさんが勝手にくれたの。私、いらないって言ったのに、いいから、いいからって……」
 
 シレッとした顔で、二十万円も三十万円ももらったりしてはいけない。
 
「ばかね。男は野心があるにきまっているでしょ。なんの目的もなく、そんなお金をくれる人、いるわけないじゃない。少しは考えてごらんなさいよ」
 
「でも、なんにも言わずくれたんだもの。どういうつもりでくれたか、私、サーさんの心の中まではわかんないわ」
 
「本気でそう思っているんなら、あんた、よほどのばかね」
 
 という結論も、広く世間に認められる意見にちがいあるまい。
 
 ところが、まだ記憶に新しいリクルート事件のとき、ナントカさんやナントカさん、この本が出版されるころには、どんな情況になっているか知らないけれど、いずれもつい先日までは日本国の政治の中枢にあったかたがた、常識も分別も充分に備えた人たちが、リクルート・グループから億というお金を受け取って、
 
「なんの条件もありませんでした。政治資金として自由に使ってほしいということで献金していただいたわけでございまして、どういうつもりかと尋ねられましても、それはむこうさんのお気持ちですから、私にはわかりません」
 
 なんて、この手のお話がたびたび聞こえてきた。
 
「本気でそう思っているんなら、あんた、よほどのばかね」
 
 ですね、これは。
 
 多額のお金をさし出すのは見返りを期待しているからであり、子どもじゃあるまいし、それに気づかない大人はいない。返さないのは、見返りを与えるつもりでいるからである。
 
「いや、私は断じてそのようなことをやっていませんし、関係者にそうするよう指示したこともありません」
 
 本当かなあ。
 
 じゃあ、もう一つ、私が見た風景を……。
 
 酒場のカウンターで父と子らしい二人が飲みながら語りあっていた。父は長いサラリーマン生活の経験者らしく、子どもはまだなりたてのサラリーマンみたい……。
 
「うちの社長は、ああしろ、こうしろって、こまかいこと、言わないよ」
 
「言わなくても、なにを考えてるか、気がつかなきゃいかん。社長さんが黙ってても、思ってる通りのことがチャンと進んでるようじゃなきゃ駄目だ」
 
 つまり、偉い人というのは、いちいち指示なんか出さなくても、部下はチャンとその通りおこなうものなのである。
 
 政治家のナントカさん、ナントカさん、みんな偉い人だったけど、若いホステスさんレベルの常識もなかったのでしょうか。
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