NR(ノーリターン)66

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 MSUの主張というのか、教義というのかは、わかりづらかった。K(慧)からもらったパンフレットみたいなやつを、あらためて出してきても。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
 MYSTERY AND SCIENCE OF THE UNIVERSE。
「宇宙の神秘と科学」教団。
[#ここで字下げ終わり]
 ひとことで言っちゃうと、宇宙の神秘を科学によって解明する。そして、幸福になることを目指す、で、いいのかなあ。
 ともかく、そういったことのために集まっているのがMSUらしい。
 眉子叔母さん(慣れの問題があるので、しばらくは叔母さんと呼ぶと思う。「すべては時間の問題」?)によると、科学読み物の丸写しみたいな多くの部分には、たいした意味はないらしい。
「結局ね、いちばん強調されてるのは、『究極の女性解放』なの。布教の場で強く主張されているテーマ。そのせいで、多くの女性の信者を獲得している」
 それは、単なる女性の権利の拡張ではなく、同時に男性の解放も目指すのだそうだ。
 ウーマンリブやフェミニズムといった運動が滅びたあとの新しい概念。一気に性差を超越する。性にしばられることのない世界を実現するのがMSU。
 なんか、よくわかんないんだけど、すごいんだぜ。
 だって、なぜ性差が超えられるかっていうと、人類が単性生殖の時代を迎えたからなんだって。
 科学が発達した現在では、�こども�が欲しければクローンを作ればよい。異性を必要とせずに、自分だけで繁殖(中国人、子孫の繁栄がいちばん。精子が多いの大切あるね)できる、すなわち、単性生殖の時代になった。
 となると、男女の性の差は、完全に無意味になってしまったっていう。そうなれば、男であれ女であれ、そして、異性間であれ、同性間であれ、生殖とは無関係にセックスを楽しめばよい。
 つまり、歴史上初めての超人類の時代。(このあたりで、俺はクラクラしてついてけなくなっちゃった。人類はともかく、俺の判断力を超越しているのはたしかだ)
 そもそも、キリストは神のクローンとして、処女であるマリアから産み落とされた。単性生殖の結果として生まれた、初のホモサピエンスだという。だから、人類が単性生殖へと進化するのは、神の摂理なのだそうだ。
 だったらね、その「神」は、何者なのか。キリストがホモサピエンスで「神」のDNAそのままのコピーなら、「神」はホモサピエンスなんじゃないのか?
 だいたい、「神」にDNAなんて、あるのか? 何も説明はない。
「私は、マリアはローマの兵士にレイプされたって聞いてたけど。かわいそうな大工の知らないところで」
 そういう説があるんなら、それでもいい。
 でも、ダメだよね。眉子叔母さんが「レイプ」なんて口にしたら。俺、ふつうに話せなくなっちゃうじゃない。
「論理はないのよ。それは明らかなはずなのに、宗教って、その、非論理性にこそ、むしろひとをひきつける力があるのかしら。私も知らなかったの。慧が、そういうMSUを主宰しているなんて。これまでは非公然の活動だったから」
 眉子叔母さんは言う。
「だいたい、私は慧のことは母でなく姉だと聞いてたわけでしょ。祖父母にあたるひとたちから。実際、戸籍ではそうなってる。ひどい話よね。結婚中に生まれたあなたのことは隠しようがない。でも、離婚後に生まれた私は、親の籍に入れた。父が認知を拒否したこともあるし、また、慧の再婚が少しでも楽になるようにって、祖父母が主張したらしい。キャリフォーニァにいたから、日本の戸籍の操作は簡単だったんでしょうね」
 バルセロナで、眉子叔母さんは祖父母(俺にとっても、母方の祖父母だ)の家で育ち、Kはアトリエのあるアパートメントでひとり暮らしをしていたんだって。
「同情的に見ることもできるのよね。慧がフェミニズム的な考え方、MSUがフェミニズムであるとしてだけど、そういう思想を得たのは、たぶん、無意識の領域で、両親に無理に私を奪われたって感じてるせいもあるんじゃないかしら」
 眉子叔母さんは、考え考え話す。
「慧は数年前から日本に何回も来てて、MSUの基盤を作ってたみたい。彼女の構想では、私をYMSU、つまり、ヤングMSUのリーダーにしたかったらしい。笑っちゃうわ」
 眉子叔母さんはタバコを灰皿に置き、本当に少しだけ笑った。顔をゆがめたくらいの、苦いひきつった笑いだ。
「叔母さんが、そういったこと、Kのことっていうのか、MSUのことっていうのか、そういったことに気づいたのは、なんでなんだ? つまり、どういう、きっかけで?」
 どうも、あまりうまく言えない。
「私は慧の依頼で日本に来たのだから、慧とは、バルセローナにいると私は思ってて、実際にはかなりは日本にいたらしいけれども、その慧とは最初からメールで連絡を取っていたの。あなたについての報告とか、いろいろ。そのメールの様子が、どう見てもね、どんどんおかしくなってったから。ひとりよがりで、わけのわからない言葉が増えて、このMSUのパンフレットと一緒よ」
 眉子叔母さんは、いったん話を切った。
「前からエキセントリックなところはあって、慧はアーティスト、画家でしょ。くだらない常識にとらわれないところが、魅力のひとつだったんだけど。こんなになってしまうなんて……」
 叔母さんは右手を伸ばすと、そっと俺の手に重ねた。なんなのよ、心臓に悪いぜ。バクバクしちゃう。
「これはフェアでなくて、いままで話さなかったことで、ちょっと申し訳ない。緊急事態の処理と考えて欲しいわ。あなたがいなくなったときに、あのAVの撮影をしてたときね、部屋を捜索させてもらって……」
 そうか。俺にも、わかった。
「あの手紙か」
 眉子叔母さんは、俺の手を放した。
「そう。ご丁寧にKって、アルファベットの署名入りの手紙があったんでね。慧は、バルセローナで、自分の絵にはKって署名してたから。でもね、最初は信じられなかった。それに、これだけ調べるのには時間がかかって。すべての真実が知りたいと思ったし。あなたの病院のナースに会っても、なかなかしゃべってくれない。MSU関連の資料はくれたけど。慧の居所は、そのころから極秘になってたみたいで、なかなかつかめないし。MSUの集会にも行ってみたの」
 叔母さんは、言葉を切った。
「あなたが私のこと尾行してて、それで私がMSUの支持者だって考えたのも、無理はないわ」
 なんだ、俺が後ろについて歩いてたのは、気づいてたのか。でも、そんなことしたのは一度だけで、しかも失敗しちゃったんだぜ。
「結局、決定的な情報はサリナのおかげ」
「サリナ?」
 また、こんなところでもサリナが登場するのか。
「そうよ。マフィアの情報網は、すごいわね。日本でいちばん優秀な組織なんじゃないかしら」
 そりゃあ、偉いんでしょう。いつだって、あいつらときたら。
 けれどねえ、彼らをほめる仲間に加わるんじゃなくて、俺には聞いておかなければならないことが、まだあった。
「マフィアって言えば、店長たちのところと対立してる、あの桝本とかいう……」
「ああ、桝本組ね。MSUの集会で組長とも会った。桝本組はMSUと連携しようとしてるみたい。でも、これはトップ・シークレット。どうして、あなた、そんなこと知ってるの?」
 眉子叔母さんは、ちょっと驚いたみたいだ。
「まあ、いいわ。重要なのは、私たちのこと。慧が日本で医学生だったときに、大学病院で研究をしていた父と知り合った。慧はあなたを産んだあと離婚、そのときには私を妊娠していた。父が認知をしぶったこともあって、私は祖父母の子として籍にはいる。さっきも言ったけど、くだらないわよね、日本的処理なのかしら。しかも、この確認を祖父母から取るのは、たいへんだったんだから。なかなか認めようとしない。彼らにしたら当然なのかなあ、娘として育てた、実際は孫から、真相をせまられて」
 確かに、その通りなら、眉子叔母さんは、俺の妹ということになる。ソファの向かいに腰かけている叔母さんと俺の視線が合った。
 でもね、俺はすぐにずらしちゃった。ダメなのよ、まともに目が合ったりしたら。
「私は、自分が生まれた瞬間からの記憶を持っていると思ってた。でも、おかしいわね、それは、客観的な事実の記録ではないみたい。むしろ、あとから編集しなおしたテープみたいなものなのかしら。母である慧の姿が、どこかで本当は祖母であるひとに置き換わってしまう」
 こんなに沈んでいる眉子叔母さんを見るのは、初めてだった。過去への自信を失いつつある叔母さん。
 でもね、俺の過去なんて、いつまでたってもブラックボックスなんだよ。
 叔母さんだと思ってた相手が、突然、妹だと名乗る。その情報を、自分の記憶に基づいて検証することは、なにひとつできない。ただ受け入れるしかないのだ。
「そうすると、俺は、息子だからKに期待されてるってことになるのかな。MSUのシンボルだとか、あのエル・サルバドールだとか、変なことばかり言われて」
「ああ、それは……」
 眉子叔母さんは、明らかにしゃべるのをためらった。言いよどんでいた。叔母さんにも単刀直入でないときがあったのだ。
「それは、違う。慧は、あなたのことを、戸籍上はともかくとして、息子だと思ってないわ。あなたは、父親のクローンだから。だからこそ、あなたを高く評価してるの。彼女たちの教義からしたら、キリストに次ぐ、人類ふたりめのクローン」
 
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