平の将門99

 馬 鹿

 
 
 数日の後。
 将門は、武芝と、会見した。
 多摩川上流の山岳をうしろにし、武蔵の原を、東南一帯に見わたした一丘陵に、武芝は、別荘をもっていて、その附近を、砦造りに、かためていた。
(なるほど、この天嶮《てんけん》と、地勢に構えられていては、興世などが、手こずるのは、むりもない)
 と、将門すら、来て見て、いささか驚いた。
「よく、遠路もいとわず、来て下すった」
 と、武芝は、酒食をもうけて、歓待した。
「いや、自分の労などは、何でもない。ただ貴公が、大度量を以て、この将門に、まかせるといってもらえれば——だが」
「おまかせしてもよい。……けれども、相馬殿(彼は将門をそう呼んだ)——この武芝が、興世や経基のために、祖先代々の居館も財物も、悉皆《すつかり》、焼き払われたことは御存知でしょうな」
「それは、聞き及んでおる」
「——と、いたしたら、その償《つぐな》いは、どうしてくださる。ただ彼らと手を握れと仰っしゃっても、むりだし、また此方の一族が、承知するはずもないが」
「もとより、その財物や居館は、償わせようではないか。……相互に、明けても暮れても、今のような泥合戦をやり合って、焼打ちだの田畑の踏み荒しをつづけ合うことを思えば、国庁の損失はたいへんなものだ。いや、かわいそうなのは領民だ。——貴公さえ、うんというなら、そのくらいな償いは、何ほどの事でもない。きっと、興世王と経基に、承知させよう」
 将門は、こういった上に、
「自分の身に代えても、その儀は、ひきうけた」
 と、断言した。
 第三者たる彼に、こうまで真心を以ていわれては、武芝も、渋ってはいられなかった。
「然らば、相馬殿に、御一任いたそう」
 となった。
「ありがたい」
 彼は、ほんとに、歓んだ。その笑い顔には、何のくもりもない。虚心坦懐《きよしんたんかい》そのものである。——そう聞いてから、大いに飲み出した。
 そして、府中の国庁で、日時をきめて、和解の式を挙げようとなった。その日どりと時刻も約束して、やがて狭山の砦を辞した。
 休戦の協約はできた。
 ただちに、興世の許へ知らせてやる。
 興世王と経基の方でも、異議のあろうはずはない。
 将門が、指定の日を待ち、その日は、国庁のある府中の六所明神《ろくしよみようじん》を、手打式の庭として、相手の武芝と、仲裁者の将門を、待った。
 たれより歓喜したのは住民である。
「やれやれ、これで商売もでき、夜も寝られる」
 と、その日は、祭のような賑いを呈した。
 将門は、隊伍を作って、町へはいった。そして、部下は町屋の辻に屯《たむろ》させ、自身は弟と主なる者だけをつれて、六所明神の式場の森へはいってゆく。
 時刻近くに、武芝もやって来た。
 幔幕を打ち廻した神前で、将門立会いの下に、双互の者が居ながれ、禰宜《ねぎ》、神職の祝詞《のりと》、奏楽、神饌の供御《くご》などがあった後、神酒《み き》を酌みわけて、めでたく、和睦がすんだ。
「よかった」
 将門は、一同へいった。
 一同の者も、
「おかげを以て」
 と、彼の労を、感謝した。そして、以後の親和を誓った。
 さて、それからの事である。
 もちろん祝いだ、大祝いの酒もりだ。一時に、心もほどけたにちがいない。
 ここでは、巫女《み こ》の鈴が鳴り、笛や鼓が、野趣に富む田舎《いなか》歌《うた》に合せて沸き、町屋の方でも、神楽囃しに似た太鼓がとどろく。
 泥酔乱舞は、武蔵野人種のお互いに好むことである。これあるがための人生みたいなものだった。しかも、平和がきたのだ。——殺し合いと焼打ち騒ぎが熄《や》んだのだ。——今日こそは飲むべかりけり、と酌《く》みあい、差しあい、泥鰌《どじよう》のように、酔いもつれた。
 ——すると。日も黄昏《たそがれ》に近く。
 境内のそこここや、町屋の辻にも、かがりの火が、ほのかに、いぶり始めた頃。どこかで、
「喧嘩だっ」
 と、いう声が、つき流れた。
 急雨のような人の跫音、つづいて怒号。
「喧嘩だっ、殴りあいだッ」
「いや、喧嘩じゃない。斬り合いだ。いや、合戦だ」
「武芝の兵と、こっちの者と」
「——武芝方が、不意討ちを仕かけたぞ。油断するなっ」
 きれぎれに、そんな大声が、飛び乱れる。
「——素破《すわ》」と、六所神社のうちでも、総立ちになった。
 何しろ、酔っていない者はない。おまけに、陽も暮れはじめた夕闇だ。
「騒ぐな」
 と、将門は、声をからして、制したが、鎮まればこそである。
 あわてた人影は、その将門を、後ろから突きとばして、武器を小脇に、駈け出してゆく。
「将平。——見て来い」
 兄のいいつけに、将平は、飛んで行ったが、はや森のあちこちでは、取ッ組みあいや、白刃のひらめきや、数百頭の闘牛を放したような乱闘が、始まっている。
 誰が、やったのか、町屋の一角には、もう火の手だ。
 未開土の住人の習癖として、すぐ火を闘争の手段に使う。火つけを、何ともおもわない。
「興世王。いるか」
 将門は、呼んでみた。
「——経基どの。介ノ経基どのは、おらるるか」
 それも、返辞はない。
「武芝どの。武芝どの」
 あたりへ向って、彼は、そう三名を、さっきから呼び廻っていたが、いずれも、部下を案じて、駈け出して行ったものか、いい合せたように、みな見えない。
 将平が、やっと、帰って来た。
「兄者人《あんじやひと》。もう、手がつけられません」
「どうしたわけだ。一体」
「よく分りませんが、何でも、興世王や経基の家来が、町屋の辻で、祝い酒をのみながら、大はしゃぎに、騒いでいたらしいのです」
「ウム。……武芝の家来も、一しょにか」
「もちろん、武芝の身内も、また、私たちの郎党も、その辺に、小屋を分けて、酒もりをしていたものでしょう。——ところが、つい今頃になって、また、甲冑に身をかためた百人ばかりの武芝の郎党が、狭山から——主人武芝の帰りを案じて、迎えに来たらしいのですが——それを、経基の家来が邪推して、町の入口で立ち阻《はば》め、入れる入れない、といったような事から、乱暴が始まり、ついに、本ものの戦闘になってしまったものです」
「ば、馬鹿な奴等め! こんなに、骨を折って、やっと和睦のできた日に」
「馬鹿です。まったく、馬鹿者ぞろいです。——兄者人、もうこんな馬鹿者喧嘩に立ち入って、こけの踊りを見ているのはやめましょう。一兵でも損じてはつまりません」
「そうだ。もう腹も立たない」
「決して、馬鹿合戦に関《かかずら》うなと、私たちの郎党は、町の外へ、立ち退かせておきました。——兄者人、お帰り下さい」
 将平は、あいそが尽きたように、遮二無二、兄を引っ張って、六所の森から、外へ連れ出した。
 そして府中の火光と叫喚を見捨てて、夜どおし馬を急がせ、下総の領内へ向って帰ってしまった。
 また。——あとの府中の方でも、その晩、一椿事《いちちんじ》が、なお加わっていた。
 たしかに、椿事といっていい。
 新任の武蔵介経基は、どう考えたか、任地を捨てて、この夜かぎり、都へ逃げ帰ってしまったのである。
 彼は、その夜の部下同士の争いを、武芝の計った“不意討ち”とかたく思い込み、また、その武芝と将門が肚ぐろい密約をむすんで、自分たちを殺そうとした“計画”であったのだと、悪推量《わるずいりよう》をまわしたのだ。
 それが誤解であったことは、彼がもすこし落着いていたら、充分、すぐ翌日にも分っていたはずだが、何しろ、よほど仰天したか、慌て者だったにちがいない。
 即夜、命からがら、任地を逃亡してしまったので、都へ着くやいなや、太政官へ出て、
「将門の野望は、ついに、武蔵ノ国まで、魔手をのばしてきました。武芝と心をあわせ、われらを追って、国庁の奪取をもくろみ、府中はついに混乱に陥入るのほかない有様となり果てましたゆえ、こは大事と、御報告に上洛した次第にござりまする」
 と、自分の不ていさいを隠すためにも、極力、将門の野望を主題とし、武芝との紛争は二義的なものとして訴え、また堂上の諸公卿にも、吹聴《ふいちよう》して廻った。
 俄然。——将門にたいする中央の疑いは、この事件にも、火へ油をそそがれた。いまや将門謀叛の沙汰は、確定的なものとされて、あとはただ、東国の大謀叛人を、どうして討ち平げるかが、朝議の重大問題として、上卿《しようけい》たちの悩みであったに過ぎなかった。
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