猫の事件23

 善 意

 
 
「よし、これにしよう」
 タケシの心は決まった。
 決意のきっかけとなったのは、社会面の小さな記事。東京・港区のマンションで、防犯ベルが鳴らず、ひとり暮らしの婦人が殺されたという事件だった。
 防犯ベルなんてめったに使われないシロモノだから、たいていの家では鳴るのか鳴らないのか、ろくに点検もせずにほったらかしてある。防犯ベルの位置も適切とは言えない家がたくさんある。賊の侵入口のすぐそばにあったとしたら、どうやってそこまで押しに行けばいいものか。
 タケシは工業高校に通っていたころ、ずっと電気工事店でアルバイトをしていたから電気設備の点検や屋内のちょっとした配線工事ならお手のものだ。資格も持っている。
 新年を期してなにか世の中に役立つ仕事を無料で奉仕しようと考えていた矢先だった。
 早速善意銀行に登録し身分証明書を作ってもらって日曜日ごとに近所のマンションからまわり始めた。
「今日は。おたくの防犯ベルはちゃんと鳴りますか。位置はうまいところについていますか。ちょっと調べさせてください」
 突然の申し出に警戒を示す人もいたが、たいていは喜んでくれた。
「奥さん、ほら、電池が使えなくなっていますよ。これじゃいざっていうとき役に立たないでしょう」
「ベルが錆びついちゃって、大きな音が鳴りませんよ」
「これだけ広いお家だったら、防犯ベルのボタンが一ヵ所だけじゃ不十分だと思います。居間と寝室と裏口のところと三ヵ所くらいあったほうがいいんじゃないですか」
「えっ、防犯ベルがないんですか。それは危ないですよ。じゃあ僕が取りつけます。ええ、ほんの実費だけで結構です」
 点検が終わると玄関に�防犯ベル検査済み�と手製ラベルを張って帰る。これだけで泥坊は心理的に入りにくい。
 きょうの日曜日は駅裏の緑アパート。二百世帯も入っている古いアパートだ。
 管理人の許可をもらってから、
「今日は。防犯ベルの点検をサービスさせていただきます」
 ドアからドアへと挨拶をして歩いた。あちこちでテストのベルが鳴る。ベルはジリジリと高く響いて�さあ、泥坊さん、入れるものなら入ってごらん�とばかり叫んでいる。
「すみません。防犯ベルのテストをしますから、ベルが鳴っても心配しないでくださいね」
 一段落したところで、さて昼めしでも食べに出ようか。
 タケシが食事に立ち去ると、折しもこのアパートの一室に泥坊が忍び込んだ。ひとり暮らしの老人が奥で気づいて、ベルを押した。
 ベルは作動して強く響く。
 だが、だれも驚かない。
「あら、あの親切な学生さん、お昼も食べずにやっているのかしら。感心ねえ」
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