点と線(七)偶然と作為の問題01

 
「ちょっと、妙なことでおたずねにあがりました。お忙しいところをどうも」
 と、三原は切りだした。
「ああ、そうですか。それはご苦労さまです。どうぞ」
 と安田辰郎は、卓の上の接待煙草をすすめた。自分でも一本とり、ライターをつけてくれた。いかにも落ちついたものなれた態度だった。四十前後であろうか、髪の毛が少し縮れ、血色のいい下ぶくれの顔には、愛嬌のあるまるい目があった。大きな商売をしている経営者の自信といったものが、この中年の人物の様子に出ていた。
「じつは、××省の佐山課長補佐の情死についてのことですが。新聞に出ていたので、ご承知かもしれませんが」
 三原が、そこまで言うと、安田辰郎は煙を吐き、
「ああ」
 と、大きくうなずいた。
「知っているどころじゃありません。佐山さんには私もお世話になっているほうです。というのは××省が私のほうの品物の納入先なので、その関係です」
 三原は、なるほど、安田商会も××省の出入り商人だったのか、とはじめて合点した。
「佐山さんは、お気の毒でした。おとなしい、いい人でしたがね。あんな人が女と心中するとは思いがけませんでした」
 安田の口調には、感慨があった。
「その佐山さんのことなんですが」
 と三原は、ポケットに手を入れて、手帳を出そうか出すまいかとためらいながら言った。
「あなたは、東京駅のホームで、佐山さんが女といっしょに汽車に乗るところを、ごらんになったそうですね。じつは小雪という料理屋の女中から聞いたのですが」
「それですよ」
 と、安田はソファーをすわり直し、前に体をかがめて言った。
「あのときは、夕方でしてね、鎌倉に行く用事があったものですから、小雪の女中が送りに来てくれたのです。そのとき、向かい側の特急列車に乗りこもうとしていた佐山さんとお時とを見たのですよ。私が気づいたので、女たちに教えてやったのです。私は両人とも知っていましたから、ちょっとびっくりしました。どうして二人がそんな仲なのか、予想もつかなかったので、世の中は広いようで狭いと思いましたよ」
 煙がしみたのか、安田は少し目を細めた。
「あれが、二人の死出の旅とは気がつきませんでしたねえ。かわいそうなことをしました。色恋も、あんまり深間(ふかま)になるもんじゃありませんな」
 笑うと、目にいっそう、愛嬌が出た。
「佐山さんは、小雪に行ったことはないのですか?」
 三原はきいた。
「ないと思いますね。私は、商売上、よくあの料亭を使うのですが、まだ佐山さんを招待したことはありません。お役人をご馳走すると世間の目がうるさいのでね。ははは。いやなに、あなたが警視庁の方だからそう言っているのではないのです。そうでなくとも、××省は汚職事件で火がついていますからね」
「佐山さんの自殺は、その事件で上司に累をおよぼさないためだという観測もあるのですがね。お時という女は、それに同情していっしょに死んだという見方はどうですか?」
「わかりませんね」
 それは、あなたの領分でしょう、と言いたげな表情を、安田はした。
「ただ、おどろいているのは、両人がそんな仲だったという事実です。まったく気がつきませんでしたからね」
「お時という女は、あなたはよくごぞんじですか?」
「まあ私の座敷では係女中みたいになっていましたからね。よく知っていました。もっとも、特別の意味はありませんよ。小雪というのれん(ヽヽヽ)の内だけのつきあいです。のれん(ヽヽヽ)の外の交際は何もありません。だから、知っているといえば、知っている。知らないといえば、知らないのです。現に、佐山さんという恋人があるのを、ちっとも知らなかったのですからね」
 三原は、もう一つ質問した。それは大事なことだった。
「あなたは、よく鎌倉にいらっしゃるのですか?」
 安田は少し歯を見せて笑った。
「鎌倉には、家内がいるのです」
「奥さんが?」
「胸を悪くしていましてね。ずっと前から別居しているのです。極楽寺(ごくらくじ)の辺に一軒借りて、ばあやを一人つけて静養させています。それで私は、一週間に一回ぐらいは行っています」
「そうですか。それはご心配ですね」
 三原がそう言ったので、安田は礼のつもりで少し頭を下げるような恰好をした。もう質問はないか、何かきくことが残っていそうな気がしたが、三原はすぐには思いつかなかった。
「どうも、おいそがしいところをお邪魔をいたしました」
 三原が立ちあがったので、安田もソファーから立った。
「どういたしまして、ご参考にならなかったでしょう。また、ご用がありましたら、いつでもいらしてください」
 安田辰郎は、まるい目を細めて微笑し、ていねいに言った。
(安田はあの四分間の見通し(ヽヽヽヽヽヽヽ)を知っている。鎌倉の妻のところへ始終行っているのだから、いつかそれに気づいていたに違いない。少なくともその可能性はある)
 三原は、天気のいい通りを歩きながら、そう思った。
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