藩医三代記

 海ぞいの地方に、小さな藩があった。とくに問題をかかえこんではいない。江戸の幕府からにらまれてもいず、まあまあといった状態でおさまっていた。

 そこの藩医に平山宗白というのがいた。|禄《ろく》|高《だか》は五十石。医師であっても身分は家臣で、その点ほかの武士と変りはない。|苗字《みょうじ》もあり腰に大小をさしている。もっとも、頭はちょんまげでなく、くわい頭という、なでつけたような髪形にしている。彼は下級武士むけの医師だった。
 藩医は、あと二人いた。いずれも百石で、おめみえ以上、すなわち殿にお目通りできる資格を持っている。そして、坊主頭。殿の側室や侍女たちの住居、奥御殿にも出入りするので、情事に発展するのを防ぐため、こんな習慣となっているのだろう。
 ひとりは殿の専属。定期的に殿の健康診断をやり、参勤交代の時は、いっしょに江戸へ行く。もうひとりは、上級家臣たちの担当だった。
 この三人、いずれもそう忙しい仕事でなく、のんびりした毎日だった。藩医は世襲であり、他の家臣たちのように、お城づとめをして各種の役目を歴任することはない。
 藩内の医師は、この三人だけ。領民むけの医師などいなかった。町医者がいるのは、よほどの大きな町だけで、そこにおいても数はしれている。そういう時代だったのだ。
 宗白のむすこに、元服を二年ほど前にすませた、宗之助という少年がいた。彼の不満は三つあった。
 元服の時を境に、それまでやっていた剣術の|稽《けい》|古《こ》をやめさせられてしまったこと。剣術ぐらい面白い遊びはないのに。仲間たちからばかにされているように思えてならない。
 第二に、勉強ばかりやらされること。藩校にかよって本を読み、帰宅すると、父に与えられる本を読まされる。これはなかなかつらいことだった。
 第三に、父の頭がちょんまげでないこと。わが家だけがなにかのけ者あつかいされているようで、みっともない気がする。
 宗之助がこれらを父に言うと、宗白は答えた。
「いいか、おまえはやがて、わたしのあとをつがねばならぬ。患者の脈をみなければならない。木刀を握ったふしくれだった手では、ありがたみがない。また、皮膚が厚くなっていては、脈の微妙な変化を判定しにくいのだ」
「そういうものですか」
「勉強をしなければならないのは、患者に文句を言わせないためだ。相手の読めないような字を読み、相手の理解できないような理屈をしゃべれば、みな恐れ入ってくれる。それから頭のまげのことだが、これはこういう習慣なので、どうしようもないことなのだ」
「わかりました」
 宗之助は、なっとくせざるをえなかった。いかに不満であっても、勝手に人生を選べない時代だ。商人や坊主になれるわけでもない。他の家臣の養子になることはできるが、長男ではそれも許されない。宗之助はこれらを知っており、父の仕事をみならうべく努力した。
 時どき、父から薬草の調合をやらされる。|薬《や》|研《げん》という舟の形をした金属製の器具を使い、粉砕と混合をやる。さまざまな妙なにおいがたちのぼるが、幼少のころからなれていることで、さほどには感じない。
 しかし、このにおいはわたしの衣服にしみこんでおり、すれちがう他人の注意はひくだろうな。しかし、くわい頭で医師だとはっきりさせておけば、ああそのためかと、妙な目つきで見られなくてすむ。そのための髪形なのだろうな。宗之助はこう考え、ひとりうなずく。
 宗白父子の住居には、ひきだしのたくさんついた棚がある。各種の薬草が分類されてしまわれているのだ。また、さまざまな|呪《じゅ》|文《もん》を書いた紙片も用意されている。他の人には、なにやら怪しげなものを感じさせるかもしれない。
 宗白はむすこの宗之助に、学問のほか、骨つぎ、ハリ、キュウ、あんまをも教えこんだ。そして、ひまがあると、宗之助に自分の肩をもませた。
「これで、おまえに大体のことは教えた。あと二年もしたら、家督をゆずって隠居する。そのつもりで、しっかりやってくれ」
「しかし、まだ自信がありません。薬草の使用法はなんとかおぼえましたが、呪文の紙の使いかたがよくわかりません」
「本を読んでおぼえこむことだな。天地は木火土金水の五行と、六つの季節すなわち六気の運行で成り立っている。それが五臓六腑に影響をおよぼし、病気となるのだ。これが原則だが、呪文は病気に応じ、いろいろある。まあ、わたしのやっているのを見ていれば、そのうち身につくだろう」
「しかし、手当てのかいなく患者が死んでしまった時のことを考えると、心配でなりません」
「それを気にすることはない。いまだかつて、病人が死んだ場合、治療法が悪かったせいだと、おとがめを受けた医師はいないのだ。将軍が死んだって、医師に責任はおよんでこない。なにかのたたりで発病した時など、その原因はつかみにくく、助けようがない。その責任まで押しつけられては、医師のなりてがない」
「その点は気を楽にしていいわけですね」
「まあ、その点だけだな。あとは、あんまりいいことはない。禄高は低いし、普通の武士にくらべて、軽く見られている。しかし、これが祖先からわが家が代々やってきたつとめなのだ。この仕事をはげまなければならない」
 
 藩医は、いまでいう軍医。上からの命令の「だれそれを診察してやれ」との指示に従って、それをおこなう。もちろん無料。もっとも、そのために使用する薬草類の費用として、禄高のほかにいくらかをもらっているのだ。このたぐいの患者の数は、そう多いものではなかった。
 大部分は非公式の患者。上役に申し出る手続きをうるさがり、藩士が直接に宗白の家をたずねてきて、実費を払って手当てしてもらう。
「手にとげをさしてしまった。上役に言うと、気のゆるみだとかなんとか、あれこれ意見される。なんとかなおしてくれ」
「いいですとも。薬草の汁をつけておきましょう。その上から、このおふだをはる。これはですな。江戸のとげ抜き地蔵からとりよせた、非常にききめのあるものです」
「これはありがたい」
 江戸からとりよせたのは一枚だけで、それに似せて版木を作り、複製をたくさん印刷して用意してあるのだ。複製でもいくらかきくだろうと宗白は信じていたし、また、たしかに効果はあるようだった。
 藩士ばかりでなく、その家族についての相談もうける。
「じつは、五歳になるむすこのことだが、いまだに寝小便をするので困っている。武士の子としてみっともない。きびしくしかるのだが、いっこうになおらない」
「それはそれは、さぞお悩みでしょう。しかし、どなるだけではだめです。それなりの手当てをしなければ。まず、寝小便を半紙にしませ、それを黒焼きにし、甘草を加え、それに湯をかけて飲ませるのです。はい、これが甘草。それと同時に、この字を寝る前に筆で腹に書くことです」
 宗白は紙に書いて渡す。
「妙な字でござるな。なんと読むのか」
「読み方などありません。これは、まじないの記号なのです」
 べつな藩士は、こんな相談をもちこむ。
「このたび海上警備の役をおおせつかったが、わたしは船酔いするたちで、うまくつとまるかどうか心配でならない」
「それはですな、へその穴に塩を入れ、その上にこの紙をはりつけなさい。それで大丈夫です。よほどの大波の時には、ヘイコクコウボウと呪文をとなえなさい」
「お教えいただき、かたじけない」
 そのほか、子供の虫封じとか、乳の出の少ない女性とか、それぞれ病気に応じた治療法を教えてやる。いずれも、まじないと薬草との併用だった。
 宗白は性格がまじめであり、それが巧まざる演出となっていた。親切と自信にあふれた口調。患者たちはみな、それなりに満足していた。けっこうなおったし、なおらない場合も、それは宗白が悪いのでなく、自分の病気のほうが悪いのだろうと思う。
 時には急病で呼ばれることもある。
「宗白どの。すぐ来てくれぬか。隠居している父のようすがおかしい」
「食あたりか……」
「いや、そうではないようだ。胸が苦しいと言っている。早くたのむ」
「よろしい。参りましょう。おい、宗之助、薬箱を持ってついてきなさい」
 宗白はかけつけ、横たわっている病人を見て、首をかしげながら言う。
「いささか手おくれのようだが、できるだけの手当てをしましょう。宗之助、これとこれの薬草を調合しなさい……」
 それを飲ませてから、患者の耳もとで大声で告げる。
「……しっかりして、この呪文をおぼえなさい。オンハラダハントメイウン。|如《にょ》|意《い》|輪《りん》観音のまじないで、悪事災難を防ぎます。しかし、声に出すことなく、口のなかでとなえるのですよ」
 と指示を与えて帰宅する。つぎの日、薬石効なく死亡したとのしらせがあるが、宗白はあわてない。
「ずいぶんとご高齢でしたからな。気力がつづかず、呪文をとなえつづけられなかったのでしょう。お気の毒に……」
「そうでしょうね。これも天寿でしょう。いたしかたありません。お手当て、ありがとう存じました」
 遺族はお礼をおいて帰る。金は受取らなければならない。使用した薬草を補充しておかないと、たちまち品切れになってしまう。
 宗之助は父に質問する。
「急病人の時の心得はなんでしょう」
「食あたりかどうかを、まずみきわめる。それだったら薬草によって、はかせるか下痢させるか、なにしろ早く体外に出すことだ」
「食あたりでなかったら……」
「むずかしい。正直なところ、運を天にまかせる以外にない。そもそもだな、前もって相談を受けていれば、薬草によって体調をととのえることができなくはない。しかし、急に飛びこまれたのは、どうしようもないのだ」
「あの呪文、なぜ声に出してとなえてはいけないのです」
「声に出していながら、みるみる悪化したのでは、効果について怪しまれる。声に出していなければ、口のなかでとなえるのをやめたから死んだのだろうと、遺族もあきらめてくれるのだ」
「本当に呪文はきくのですか」
「本にも書いてあるし、どの医師もやっていることだ。となえないよりはききめがあるはずだ」
「そうかもしれませんね」
「そのため、助かるかどうかをみきわめることが、なによりも先決だ。これは経験をつむとわかるようになってくる。それによって、力強くはげますか、本人をやすらかに死なせ遺族に悔いを残させないようにするか、方針がわかれるのだ。ここが医師の才能であり、存在価値だろうな」
 こういうことを、宗白は無責任で言っているのではなかった。これが当時の医術。|腎《じん》|虚《きょ》なる言葉があり、腎臓と性的なものの関連が常識となっていた。その腎臓がどこにあるのかさえ、多くの医師は知らなかった。
 江戸城の将軍も、大奥の女性も、なにかからだに異常があると、すぐに|加《か》|持《じ》|祈《き》|祷《とう》をおこなった。医師よりも神仏が優先。だから、寺社へ寄進する金額のほうが、医師への支出よりはるかに大きかった。
 これは地方の藩においても同じこと。寺社奉行となると大変な重職だが、医師はせいぜい百石ぐらいの格しかない。
 そもそも、人体がどうなっているのか、だれも知っていない。かりに知ってたとしても、細菌性の病気への薬がなかった時代。すなわち、肺炎、赤痢、伝染病など、なおしようがない。|天《てん》|然《ねん》|痘《とう》が流行すれば、赤い色の布を身にまとって防ぐ以外にない。肺病になれば、黒ネコを飼い、背中に四角い紙をはり、その四すみにキュウをすえるという手当てを受ける以外にない。
 いかに全国最高級の将軍専属の医師でも、さらに的確な治療法を知っていたわけではないのだ。将軍が他の者にくらべ特に長寿をたもってもいない。なおらぬ病気にかかったら、それが運命であり、だれもやむをえないとあきらめる。
「文句なくきくという薬があるといいでしょうにね」
 宗之助が言うと、父の宗白は答える。
「わたしもそう思うな。しかし、そんなものはほとんどない。みごとにきくのは、毒の薬草しかない」
「そんなのがあるのですか」
「毒殺用の毒などは、みな、てきめんにきく。人を殺すのは命を助けるより、はるかに簡単だ。しかし、わたしが言いかけたのは、そのたぐいではない」
「なんのことでしょう」
「わたしがむかし、山の森のなかである薬草を発見した。そこのひきだしに入れてあるやつだ。これを飲ませると、たちまち熱が出て頭痛がおこる。まあ、一種の毒草だ」
「なおるのですか」
「いまのは葉っぱのほうだが、根の部分をせんじて飲むと、それがおさまる。まず、ネズミに飲ませて調べ、わしも少しずつ飲んでたしかめてみた」
「ふしぎな作用ですね」
「そこでだ、それならばと、発熱頭痛の病気にも、この草の根の部分が解毒剤としてきくかなとやってみたが、まるでだめだ。皮肉なものだな。新しい薬の発見とは、かくのごとくむずかしい」
 
 宗之助が二十一歳になった時、父の宗白は隠居を願い出て許され、宗之助が家督をついだ。生活にたいした変化はない。髪をくわい頭にし、父のやっていたことを彼がつづけるだけのことだ。薬箱を運んだり、薬を調合したりする役は、下男がやった。
 なにかぱっとしたことをやって、みなに腕前を見せたいものだな。若い宗之助は、そう考えたが、こればかりはどうしようもない。
 しかし、ある日、お城から急ぎの呼び出しがあった。
「すぐにお出かけ下さい。城下で切りあいがあった。旅の他藩の武士と、わが家臣とが、酒を飲んだあげくお国じまんをはじめ、たがいにゆずらず……」
「わかりました」
 宗之助は出かける。父の宗白もついてきてくれた。傷ついているのは、他藩の武士。民家のなかに運ばれ、腕から血を流して横たわっている。
 いざとなると身ぶるいがしたが、宗之助はかねて習った通りをやった。傷にやきごてを当て、|焼酎《しょうちゅう》をぶっかけ、おふだをはり、布を巻きつけて血をとめた。麻酔薬などない時代。大変な痛みだろうが、手当てする宗之助には関係ない。
 そばで見ていた宗白は、終ってからうなずいて言う。
「いいだろう。うめいたり血が流れたりですさまじいが、手足の傷なら、たいていなおる。胸や腹も浅い傷ならなおる。おふだのききめで、化膿しなければだがね」
「おふだ、焼酎、やきごて、どれがきくのでしょう」
「まるでわからん。戦場での必要と体験から、この方法ができあがったのだ……」
 鎌倉時代には主従が義によって結ばれており、だれも死をいとわなかった。しかし、戦国時代になると、やとわれ武士が多くなり、傷をなおせる医者がいないと、部下が逃げてしまう。そのために外科がいくらか発達した。
 細菌の存在など、だれも知っていない。熱やアルコールに消毒作用があるなど、知らないでやっていたのだ。
 宗之助は父に言う。
「しかし、江戸幕府ができてから、ほとんど戦乱はない。進歩もとまったままですね。負傷者が続出すれば、あれこれ、こころみられるのに」
「それ以上は言うな。不穏な言動だとおこられることになるぞ」
 その他藩の武士は、温泉で休養し、なんとか全快した。宗之助はいちおう仕事を片づけることができた形だった。しかし、これが職務なので、とくにほめられることもなかった。もっとも、死んだとしても、責任を問われるわけでもない。このへんを考えると、自己の役割りがぼやけ、宗之助はちょっと面白くなかった。
 しばらくして、またお城から呼び出しがあった。出かけると、上役がこう言う。
「じつは、内密で相談がある。先日の|刃傷《にんじょう》事件のことについてだが……」
「あれはなおったはずですが」
「それがよかったのかどうか、わからなくなったのだ。あの武士、帰国して、ここでひどい目にあったと報告したらしい。そこの領主から、わが藩に厳重な抗議があった」
「はあ……」
「むこうは大藩、こっちは小藩、無理とわかっていても頭を下げざるをえない。ほっとくわけにいかず、切りつけたわが藩の者に切腹させて、ことをおさめることにした」
「ひどい話だ。それなら、助けるのじゃなかった。しかし、わたしの責任じゃありませんよ。やつが勝手になおってしまったのです」
「わかっておる。しかし、切腹を命ぜられた者、わが藩の無事のためであり、あとの家族の面倒はみると話しても、うけつけない。不平をこぼしている。このままだと、みぐるしい切腹にならぬとも限らぬ。他藩の使者の前で、恥をさらしかねない」
「困りましたな」
「なんとかならぬか。堂々と切腹する気になる薬草か呪文はないか」
「医師としての仕事からはみ出ますが、やってみましょう」
 宗之助は酒を持って出かける。その家臣は刀を取りあげられ、上役の家に閉じこめられていた。宗之助は酒をすすめた。
「ご同情にたえません。こうと知ってたら、他藩のやつの手当てをしなければよかった」
「わたしも、こんなことで切腹とは、くやしくてならぬ」
 よほど不満なのか、やけ酒のごとく、あっというまに飲んでしまった。
「しかし、ここはわが藩のために、覚悟をきめるべきではないでしょうか。どっちにしろ、あなたは助からないんですよ」
「なんのことだ」
「これは内密ですが、いまの酒に毒を入れておいた。一日たつと、頭が痛み熱が出てくる。しだいにひどくなり、そして終りです。いっそのこと、はなばなしく腹を切って、後世に語りつがれたほうがいいでしょう」
「なんだと、卑怯な」
「まあ、落ち着いて、落ち着いて。ここのところをよくお考えに……」
 宗之助は逃げ帰る。
 しかし、数日たって、その家臣がみごとに切腹したと聞かされた。発熱し頭痛がおこり、どうやら本当に毒を飲まされたらしいと知り、どうせ助からないのならと、思い切りがついたのだろう。内心、家老たちをあざ笑いたい気分だったかもしれない。微笑を浮べ立派な最期だったという。その家臣の家は形式の上で断絶となったが、むすこは新規召し抱えとして藩士となった。丸くおさまったといえる。
 宗之助は、父の発見した薬草のききめをみなおした。頭痛と発熱をひきおこす作用があるらしい。毒も使いようで役に立つぞ。
 そのうち、またもそれを使う機会にめぐまれた。
 宗之助が城下を散歩していると、みすぼらしい少年武士にであった。空腹らしい。めしを食わせて事情を聞くと、父のかたきを追ってここまで来たという。
「それで、かたきをみつけたのか」
「はい。このさきの旅館にとまっています。しかし、相手は強い武士。わたしには討てそうになく、困っているのです」
「なるほど。しかし、安心しなさい。わたしは当藩の医師。かたきを討てる薬をあげよう。これを飲んで三日目にやりなさい。かならず勝てる」
 そして、にがいだけの、ただの薬を少年武士に飲ませた。一方、かたきのとまっている旅館に行き、女中にたのんで、例の毒草を飲ませる。翌日、近くをうろついていると、かたきの武士から声をかけられる。
「医師とおみうけする。みていただきたい」
 宗之助、あれこれもっともらしく診断し、そっと言う。
「これは、わたしの手におえない。のろいです。あなたに殺された人の霊がとりついている。頭が痛く、熱っぽいでしょう。だんだんひどくなり、しまいには狂い死にをする。なにか原因に心当りは……」
「ないこともない。同僚の武士をやみ討ちにし、逃げまわっているのだ。それかもしれぬ。で、なおらぬというのか」
「むずかしいでしょうな。これは、あの世に行ってもなおらず、成仏できません。霊魂ののろいが消えれば、あなたの死後の魂は救われるでしょうが」
 おどかして帰ると、ころあいをみはからって、少年武士が乗りこむ。
「やい、父のかたき、尋常に勝負しろ」
 かたきのほう、こうなると、ここで討たれて、せめて死後の成仏だけはしたいという気になっている。かえり討ちにしてもいいが、死後まで狂い死にがつづいてはかなわん。勝敗はあきらか。
 少年の感激といったらなかった。宗之助にお礼を言って、故郷へと帰っていった。その帰途、ほうぼうでこの話をしたにちがいない。
 何カ月かすると、宗之助の家に武士の訪問客があり、こんなことをたのむ。
「うわさによると、こちらに秘伝のかたきうち薬があるとか。大変なききめだそうで。ぜひ、おゆずりいただきたい。かたきを討たぬと帰参できない身の上なのです」
「ははあ、あのにがい薬のことですな。よろしい、おゆずりしましょう。かたきにめぐりあった時に、お飲み下さい。それから三日後に、たちあうのです。代金はけっこうですよ。みごと本懐をとげられたあとで、おこころざしだけお送り下さい」
「かたじけない」
 相手は大喜び。にがいだけの薬だが、あるいは、いくらか気力を高める役に立つかもしれない。立たなかったとしても、あとで文句をつけられる心配はない。
 
 宗之助は、だんだん要領を身につけてきた。毒とハサミは使いようだ。
 しかし、平凡な毎日。家臣の家族たちの、せきがとまらぬとか、犬にかまれたとかの手当てをし、まじないをくりかえす。実費はもらう。しかし、そう大金を請求するわけにいかず、金額はしれていた。
 もっと派手なことをやりたいものだ。宗之助は武芸をやらず、内心のもやもやの発散することがなく、それは妙な空想となる。
 そもそも、医師のありがたみなるものを、みなが知らないのがよくない。ありがたみを示さなければならない。戦乱の世となればいいのだが、それは期待できない。医師への信用と需要とをかきたてる、なにかいい方法はないものか。
 考えてたどりついたのは、例の毒の薬草。
 宗之助が目をつけたのは、藩内の大波屋という商人。海運業をやっており、金まわりは悪くなく、藩にも金を貸している。その見返りとして、苗字帯刀を許されている。
 宗之助は茶店の主人にたのみ、お茶にまぜて大波屋に飲ませることに成功した。あの人は病気のようだ、これを飲ませてあげなさいと言うことは、医師として不自然でない。
 二日ほどし、大波屋を訪れ、薬草の注文を江戸へとりついでくれないかと言う。応対に出た番頭が言う。
「じつは、主人が病気になりまして、苦しんでおります。みていただけるとありがたいのですが」
「いいですとも。こちらのご主人は、苗字帯刀を許されている。家臣と同格です。手当てしてさしあげましょう……」
 部屋に通り、横たわっている主人に言う。
「……ははあ、頭が痛く熱っぽいのでしょう」
「はい。よくおわかりですね。驚きました。なおるものでしょうか」
「金まわりがいいと、木火土金水の五行のつりあいが狂い、からだにそれがあらわれるのです。火、すなわち熱が出る。むずかしいですが、できるだけのことをやってあげましょう。土の精の産物である薬草を、水にとき、木製の容器で飲まねばならぬ」
「ぜひ、お助け下さい。お礼はいくらでもお払いします。むずかしい理屈より、早く手当てを……」
「わかっています」
 宗之助は父から教わった例の薬草の根の部分をせんじ、もっともらしく飲ませる。翌日、当然のことながら、症状は消える。
 あまりのあざやかさに、大波屋の主人は感嘆する。宗之助をまねいて、全快祝いのごちそうをした上、多額の金銭をさし出す。
「これを受けとっていただきたい」
「ずいぶんありますな。しかし、わたしはお城から禄をいただいており、生活はなんとかなる。そこでです、じつはわたしに、ひとつの計画がある。この金は、それに使っていただきたい」
「どんなご計画で……」
「お城にはわたしのほかに、あと二人の医師がいるだけ。わが藩に三名というわけです。しかし、家臣はまだいい。領民たちは、医師にかかることができないでいる。小さな診察所を作り、わたしがひまな時には、そこで手当てしてあげようというのです」
「それはご立派なことです」
 宗之助は、藩の上役に許可を求めた。これができれば、殿さまへの尊敬も高まる。他藩に移ろうなどと考える領民もいなくなる。金は大波屋が出すので、藩の出費はふえない。もちろん、家臣の手当てが優先で、そのひまな時を利用してやるのであると。
 その計画は許可になった。小さな建物が作られ、江戸からとりよせた各種の薬草がそろい、使用人がひとりつけられ、なんとか体裁がととのった。
 かくして、領民たちははじめて医療の恩恵を受けられることとなった。これまでは町医者がいなかったのだし、かりにいたとしてもそれに金を払える余裕などなく、まじないのほうを医師より信用している者が大部分だった。なんという進歩。貧しさゆえの悲劇はなくなったのだ。
 もっとも、金を湯水のごとく使える将軍だって、たいした治療を受けていたわけではない。この程度の医療なら、受けても受けなくても大差なく、うらやむことなどなにもないのだが。
 しかし、ことは気分の問題。これは、すべてにいい結果をもたらした。領民たちは、信じられないような喜びよう。殿さまへの感謝も高まる。金を出した大波屋の人気もあがる。そして、いうまでもないことだが、宗之助は神さまあつかいされた。依然として禄高は五十石だが。
 こういう仕事があるのは、退屈しているよりいいことだ。宗之助はひまがあると、診察所へ出かけて仕事をした。領民たちはありがたがっており、どんな手当てでも喜んでくれる。おふだ一枚と安い薬草をやれば、だいたいなおる。やまいは気からなのだ。
 なおらなくても、文句は出なかった。手当てを受けられたのだからと、感謝しながらあきらめてくれる。それをいいことに、宗之助は各種の薬草をこころみた。飲ませるとからだがぐったりし、飲用を中止するともとへもどる薬のあることを知った。煙にして吸わせるとおかしくなる薬の存在も知った。
 宗之助は、大波屋の娘を見そめた。主人を病気に仕上げ、熱心に看病してなおし、そこにつけこんで申し出る。
「娘さんを嫁にいただきたい」
「そちらさえよろしければ、どうぞ。なにしろ命の恩人なのですから」
 商人ではあるが苗字帯刀を許されていて、家臣の格だ。身分上の問題はなく、許可になり、その婚礼がおこなわれた。
 宗之助は経済的にゆとりができた。金のある商人たちからの、診察の依頼がふえたのだ。請求しなくても、かなりのお礼を持ってくる。
 やがて、父の宗白が死んだ。海へ釣りに出て、舟がひっくりかえったためだ。葬式のあと、宗之助は襲名して宗白となった。これは代々の習慣なのだ。
 そのあと長男が出生した。宗太郎と名づけ、注意して育てた。当時の幼児死亡率はきわめて高く、注意も意味ないわけだが、宗太郎は無事に成長した。幸運のおかげというべきだろう。
 
 宗白、すなわち襲名した宗之助は、まじめな父がいなくなって、さらに欲が出てきた。これだけ才能があるのに、下級武士相手の医師とは。殿や家老を診察できる地位につきたいものだ。彼はその計画にとりかかった。
 しかし、殿に毒の薬草を飲ませるのはむずかしい。そばに毒見役がいて、殿の口に入るものを調べているからだ。
 宗白は薬草をとかしこんだロウソクを作った。外側を美しくいろどり、大波屋を通じ殿へ献上させた。
 殿は夕刻、机にむかって読書をすると聞いている。つまり、殿は灯のそばにあり、側近の小姓ははなれている。薬草の煙を吸うのは、殿だけとなるはずだ。
 待ちかまえていると、城から呼び出しがあった。お側用人が言う。
「じつは、殿がご病気だ。いまの医師の手当てではなおらぬ。知恵を貸してくれ」
「しかし、診察をいたさぬと、なんとも申しあげられません。わたしはおめみえ以下、殿のおそばに出る資格がございません」
「では、その手続きをする」
 宗白は昇進し、禄高は百石となった。坊主頭となり、診察をする。責任重大だが、なおすのは簡単。きく解毒剤はわかっている。まず自分で飲んでみせ、殿にすすめる。たちまち全快、お言葉をたまわる。
「宗白、そちの腕はみごとだ。これからは、わしのそばにいてくれ」
「しかし、いままでのかたの役を奪っては申し訳ありません。必要に応じて、お呼び下さるということで……」
「遠慮ぶかくて感心であるな。そのうち、医学についての講義を聞かせてくれ」
「はい……」
 数日後、宗白は講義をした。
「そもそも、天地人と申すごとく、人間は天地のあいだにあって、その霊気の影響を受けている。人体は、空気が出入し、水が通過し、血液が循環している。空気は天に感応し、水は地に感応す。血液は当人の運勢にかかわっている。お脈をみるのは、そのためでございます。これをととのえ健康にするため、まじないで天の霊気を助け、薬草で地の霊気をおぎなう。その微妙なるつりあいをきめるのが、医学なのでございます。これについて、ご不審な点はございましょうか」
「よくわからぬが、立派な説のようだな。ほめてとらすぞ」
 宗白は面目をほどこした。この信用をさらに確実なものとしなくてはならぬ。彼は昇進の御礼として、霊験あらたかな線香なるものを献上した。そのなかの一本に、毒の薬草がしませてある。いつかはそれが使われるだろう。
 待っていると、またも殿は発病。宗白が呼ばれ、手ぎわのいい治療。ますます殿はごきげんがいい。そのうち、こんな相談を持ちかけられた。
「なかなか世つぎがうまれぬ。わしのからだがいけないのであろうか」
「殿はご健康です。しかし、子孫の問題となると、天地陰陽、相性がからんで……」
「どうすればいいというのか」
「新しいご側室を迎えられては……」
「だれか適当な女性がおるか」
 うまくいけばもうけものと、宗白は妻の妹を推薦した。
「大波屋の娘などよろしいかと……」
「ふむ。そういうものか。では、わしから家老に話してみよう」
 その件がきまった。世つぎの誕生を望むのは、どこの藩でも同じ。大名が正夫人をきめる時は、格式や幕府の許可で大変だが、側室だといとも簡単。
 宗白は、こんどは真剣に殿への薬を調合した。祈祷もおこなった。やがて、これこそ偶然の幸運だろうが、その側室が懐妊し、男子の誕生となった。殿も大いに満足なさる。
「宗白、そちのおかげであるぞ」
「いえ、殿のお力であり、神仏のお加護のおかげでございます。寺社への寄進をなさるとよろしいかと……」
「そうであったな」
 藩内の寺社が、少し不景気になっている。病気の領民たちが、宗白の診察所へ行ってしまうからだ。さいせんのあがりがへっている。このさい、その不満をやわらげておいたほうがいい。
 寄進がなされ、寺社の関係者たちが宗白の意見と知って、お礼に来た。彼の人気はここでもあがった。
 宗白は世つぎや側室の診察もやった。すなわち、奥御殿のどこへも出入りが自由。だれだって病気で死にたくはないのだ。
 
 宗白は殿のお気に入りとなった。なにかにつけて呼び出され、話し相手をさせられる。普通の家臣だとこうはいかないが、医師なので文句のつけようがない。
 これをこころよく思わない者も、もちろんあった。しかし、宗白の腕はあきらか、病気になった時に手を抜かれたらと思うと、表だって意見もできない。
 宗白にしても、他人の反感を買いたくはない。家臣たちの欠点はしゃべらなかった。
 宗白は、重臣たちの家から、診察をたのまれるようになった。医師なら堂々と呼べるし、金も渡せる。殿の前でよけいなことを言わないでくれとの、つけとどけの意味もある。
 現実に、その家族たちを診察することもあった。気を静める薬草を大量に飲ませると、内心のことをしゃべりだしたりする。なかなか面白かったし、参考にもなった。いずれ、なにかの時に役に立つだろう。
 年月がたち、むすこの宗太郎が少年になった。宗白は彼を長崎に留学させることにした。その費用は充分にある。また、西洋医学がすぐれているとのうわさを、耳にしてもいた。自分の代のうちは、いまのやりかたでなんとかなるだろう。しかし、そのあとの準備をしておいたほうがいい。宗太郎は出発していった。
 宗白は殿から、人事についての相談を受けるようになった。彼は各家臣の家庭の事情にまで通じており、だれが有能かを知っている。しかし、あからさまに言っては波乱のもとだ。健康状態にことよせたり、相性や占いにことよせたりして、それとなく進言する。それは採用され、藩政の向上に役立った。
 一方、そのあとしまつもやる。人事で格下げになった者は、病人に仕上げ、こんなふうになぐさめるのだ。
「あなたは運がいい。いままでのような激職にいたら、疲労で助からなかったでしょう。いまなら、わたしの手当てで、一命をとりとめます」
「そうだったか。よろしくたのむ」
 また、新しく家老となった者の子息を病人にし、高額の治療費を請求する。
「入手しにくい高価薬を使ったのです。お支払いの金がないとは、困りましたな。では、こうしましょう。城下のある商店が、営業の許可を求めています。それをなんとかしてあげて下されば……」
「うむ、努力してみよう」
 そして、商店のほうから金をもらう。
 かくして、宗白は藩内で隠然たる勢力を持つに至った。殿から領民に至るまでの信用をえている。商人たちという資金源もある。
 ある時、家臣のひとりが、宗白に陰謀を持ちかけてきた。二人で組めば、お家のっとりも可能だ、それをやろうと言う。
 宗白はその相談に乗るふりをし、油断させて薬を飲ませ、治療の手を抜き、死なせてしまった。藩の害虫とは、こういうやつのことだ。生かしておいて、ろくなことはない。
 それに、なにもあんなやつと組まなくたって、その気になれば自分ひとりで……。
 ところで、と宗白は考えた。いつのまにか、これだけの実力が身についた。なにをやったものだろうか。
 しかし、なにも思いつかない。殿になれるわけでもなく、家老にもなれない。また、その必要もなく、いますべてが意のままだ。
 この勢力をとなりの藩に及ぼすこともできない。もっと大きな藩に仕官しなおすこともできない。
 考えられるでかい計画といえば、参勤交代の殿にくっついて江戸にあがり、殿を幕府の要職につけるよう、運動してみることだ。薬を使い、殿を老中にのしあげ、それに進言して国政を動かすか。しかし、江戸には頭のいい連中もいるだろうし、発覚したらみもふたもない。それに、国政を動かしたって、あまり面白いことではあるまい。
 平穏第一で幕藩体制がかたまっており、やれる限界は目に見えている。そういう時代なのだ。江戸時代になってからの大事件といえば、せいぜい|由井正雪《ゆいしょうせつ》、|忠臣蔵《ちゅうしんぐら》、|天《てん》|一《いち》|坊《ぼう》ぐらいのもの。いずれも最後は悲劇的な幕だ。幕府にたちむかっても勝てないのだ。
 将軍のお気に入りとなって、出世して実権をにぎった者もある。しかし、やはりそれも長つづきしない。たいしたことのできる時世ではないのだ。
 宗白は自分の実力を持てあましながら、日をすごした。いや、こういうのを実力とはいえない。ひずみをうまく利用できただけのことなのだ。
 
 なにもたくらまなかったのは、賢明といえよう。藩内での宗白の人望は低下せず、失脚もしなかった。
 また年月がたち、長崎へ留学していたむすこの宗太郎が帰ってきた。知識を頭につめこんできましたといった表情。宗白はたのもしく思いながら迎えた。
「どうだった。うるところはあったか」
「大いにありました。わたしは目が開けたような思いです」
「それはよかった。どんなふうにだ」
「父上の医学はまちがっております。これは絶対に改革しなければなりません。それがわたしの使命です」
 宗太郎はまだ若く、頭がよかった。西洋医学に熱中し、外国人に激励され、のぼせあがって理想主義になってしまった。子供の時から甘やかされて育ち、不自由なく金が使え、金のありがたみを知らない。理想主義にでもなる以外に、人生の興味を発見できなかったのだろう。
 宗太郎は長崎で購入してきた、西洋医学の本、医療器具、薬品などを並べ、あれこれ熱っぽくしゃべった。宗白にはなんのことやらわからなかった。しかし、変ったことが見物できるかもしれぬと、自分は隠居し、家督をゆずった。
 宗太郎の代となる。いわゆる科学的にすべてが切り換えられた。彼はおせじを言わず、なおるなおらないをはっきり言い、人事に口を出さず、|賄《わい》|賂《ろ》もとらなかった。
 藩内はなんとなく、ぎこちなくなった。あいそのいい会話がなくなり、だれもうまい汁にありつけなくなり、領民たちへの救いがなくなり、新医学がきくのかどうか見当がつかず、迷いの空気がみちてきた。宗太郎がはりきればはりきるほど、それがひどくなる。
 しかし、父の宗白への遠慮もあり、すぐには表面化しなかった。しかし、やがて宗白が死んだ。腹が痛くなったのに対し、宗太郎は手術の必要があると主張し、むりやりおこなった。外国人から、西洋ではわが子を実験台にした医師があると聞かされ、それにあやかろうと先駆者をきどったのだろう。その結果、症状は悪化し、死んでしまったのだ。
 西洋医学といっても、当時のものはたかがしれている。まともなのは解剖学だけで、これは治療の役には立たない。ききめのあるのは、ジェンナーが偶然に発見した種痘法ぐらい。石炭酸消毒がイギリスで発見されたのは明治維新のころ、コッホによって細菌がはじめて発見されたのが明治十一年。現代的な薬品のたぐいは、なにもなかった。
 たちまち宗太郎の信用は落ちた。宗白が死んだため、風あたりもひどくなる。人気はなくなる一方。つまらない失敗をたねに、禄を下げられ、もとの五十石にされてしまった。患者はだれもよりつかなくなる。宗太郎がいかに叫べど、ひとりも相手にしない。残りの人生を、むなしくすごした。
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