ボウシ

 その老人は夜の道をとぼとぼと歩いて、町はずれの自分の家に帰ってきた。まずしい小さな家で、なかには盗まれて困るような品など、なにひとつない。また、出迎えてくれる者もなかった。彼には身よりがなかったのだ。

 その老人は、奇術師だった。しかし、有名ではなかった。ボウシのなかから、ウサギやハトや、花や旗などを出してみせる手品しかできない。そう珍しい奇術ではない。
 だから、テレビにも大きな劇場にも出演することができなかった。神社のお祭などに出かけて行き、そこでいくらかのお金を得るだけだった。
 きょうも縁日に出かけ、一日じゅう立ちつづけて、暗くなるまでその手品をくりかえした。だけど、それを面白がってお金を出してくれる人は少なかった。帰りに食べ物とお酒とを少し買ったら、あとにあまり残らなかった。
 老人は食事をし、お酒を飲み、ひとりごとを言った。
「むかしはわたしの手品を、人びとはずいぶん喜んでくれたものだ。しかし、このごろの人はちっとも感心してくれない。もっと新しい手品を考え出せばいいのだろうが、こう年をとってしまっては、それも無理なのだ……」
 老人は悲しそうな顔で、つぶやきをつづけた。
「あしたはまた、遠くの縁日に出かけなくてはならない。さて、ひと通り練習してから眠るとしようか」
 老人はボウシのなかから、いろいろなものを取り出した。ほかにはなにもできないが、この手品だけはうまいのだった。
 そのようすを、窓の外から熱心に見つめている二人の人影があった。彼らは、こんな意味のことを話し合った。
「すごいものだな」
「ああ、驚くべきことだ」
 普通の人なら、こんなに目を丸くするはずはない。彼らは、ミーラ星からやってきた宇宙人だった。そっと地球に立ち寄ってみたものの、学ぶべき文明もなさそうなので帰ろうとした。そして、通りがかりになにげなくのぞいた家のなかに、この光景を見つけたのだ。彼らはさらに話しあった。
「あれは、なんでも出てくる装置だ」
「ぜひ、ミーラ星に持ち帰りたいものだ」
 そのあげく、彼らは家のなかに入った。老人はびっくりした。ぴっちりした銀色の服の、見なれない二人が、とつぜんあらわれたのだから。酒に酔ったせいかと思ったが、そうでもないらしい。
 ミーラ星人たちは老人に「それをゆずってくれ」と、手まねでたのんだ。だが、老人は首と手を振った。これは渡せない。これがなくなったら、生活してゆけないのだ。
 しかし、ミーラ星人たちは欲しくてたまらなかった。あきらめられない。そこで二人はうなずきあい、老人に飛びかかり、腕ずくで取りあげてしまった。
 老人は泣き声をあげた。ボウシを取られたら、あしたからどうしたらいいのだろう。それを見て、ミーラ星人たちは少し気の毒になり、相談しあった。
「悲しんでいるぞ。むりもないな。こんな便利な装置なのだから。よし、かわりに、なにか置いていってやるとするか。だが、なにがいいだろう」
「そうだな。こんなものしかないが」
 と、ひとりがポケットから、ボールぐらいの大きさのエメラルドを出した。美しい緑色の宝石だ。しかし、べつのひとりは言った。
「なんだ。このあいだ寄った星に、たくさんころがっていた石ころじゃないか。そんなものでは悪いだろう」
「しかし、ほかにしようがない。同情はいいかげんにして、さあ、早く引きあげよう」
 ミーラ星人たちは、その宝石を置き、老人の家からかけ出した。そして、林の奥の宇宙船にもどり、大急ぎで夜の空へ飛び立っていった。
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