三角のあたま51

 武器としての頭

 
 
 数年前タイのバンコクへ行ったとき、店頭に〓“イングリッシュ・スポークン〓”と書かれたみやげもの屋を見つけて立ち寄った。つまり、この店では英語が通ずるということである。
 
 私は英語がうまくないけれど、タイ語はできないし、日本語の通ずる店は少ないし、英語で話すよりほかにない。店頭の表示を指さして、
 
〓“さあ、英語のできる店員を呼んでほしい〓”
 
 と身ぶりで告げると、十二、三歳の少年が現われた。私が下手な英語で話しかけると、彼もまた相当に下手な英語で答える。私も下手だが、彼はもっとひどい。ほとんど通じない。こっちがわるいんじゃなく、これはむこうがわるいらしいぞ。その証拠にメモ用紙に英文を書いて見せてもあまりよく通じない。私は、ご多分に漏れず書く英語ならそこそこにできるのである。店の主人が心配そうに眺めている。
 
 少年は、表情だけは〓“わかってる、わかってる〓”すこぶる愛想よく頷《うなず》いたりしているのだが、応答はトンチンカンである。
 
 ——ああ、そうか——
 
 私はすぐに納得した。
 
 タイで職業を得るのはなかなかむつかしい。おそらく、この少年は〓“英語ができる〓”というふれこみで、この店に雇われたにちがいない。ほとんどできないのに〓“できる〓”と偽って……。実情が知れたら首になるだろう。主人は、
 
 ——こいつ、本当に英語が話せるのかな——
 
 疑い始めている。
 
 だからこそ彼は愛想よく、いかにも英語が通じているようにふるまわなくてはいけなかった。
 
 そうとわかれば……私は笑いかけ、二人のあいだでチャンと英語が通じているように口調を合わせてやった。
 
 ——首になったら気の毒だ——
 
 まあ、いずれ実情が知れて首になるだろうけれど……。
 
「サンキュウ・ベリ・マッチ」
 
 なんとか買い物をすませ、彼の声を背後に聞きながら、
 
 ——どこで習ったのかな——
 
 と考えた。まともな英語教育なんか受けてるはずがない。少年の心には、ただ初めに、
 
 ——英語がうまくなりたい——
 
 と、その意志だけがあった。向学心と言うより生きて行く手段として、それを願ったのではあるまいか。その志は多とすべきものだろう。ほんの少し話せるようになり、そこで、
 
「私、英語が話せます」
 
 と売り込み、あとはなんとか辻《つじ》褄《つま》をあわせよう、と、そんな計画。
 
「なんだ、できもせんくせに」
 
 何度か雇い主に叱《しか》られ、首になり……しかし、そのうちに彼は本当に英語をうまく話せるようになってしまう。今、タイの街中で見かける〓“英語の話せる〓”店員や客引きは、みんなこうした修業のすえ話せるようになったのではあるまいか。
 
 ——彼もうまくいくかな——
 
 しばらくは少年の笑顔が忘れられなかった。
 
 
 日本に帰って来て考えた。
 
 ——あの少年が〓“イングリッシュ・スポークン〓”に入るのならば、日本人はみんな大丈夫だな——
 
 中学三年までの義務教育なら、だれもが受けている。
 
「駄目、駄目、ぜんぜん駄目。私、英語、まるっきりきらいだったから」
 
 手を振って逃げてってしまう人だって、少しはできたはずである。教科書を一見すればわかる通り、中学三年の英語はレベルとしてけっして低くはない。日常会話の範囲は充分にカバーしている。五段階評価で3を取っていれば、あのタイプの少年よりきっと実力があるだろう。あとは度胸の問題……。
 
 もし無人島にアメリカ人とたった二人で流されてしまったら、持っている英語力を最大限に利用しなければいけないし、きっとうまくなるだろう。
 
 自分自身に対する反省も含めて言うのだが、いつの頃から、日本国では、学校の勉強は学校の勉強、世の中で役に立つのは、それとはべつな知識……そんな気分がだれの心の中にも少しあるようだ。
 
 学校の勉強は、合格点を得たところで完結する。それが卒業後、役に立つかどうかはさして問題ではない。長い年月をかけて、教えるほうも、教わるほうも、ダラダラと遠まわりをやっている。
 
 昔の教育は少しちがった。高等小学校を出ていれば、かなりのものだった。まして中学を出ていれば、りっぱなインテリゲンチュアである。短い期間に本当に役に立つことを教えていた。
 
 知識の領域が今より狭かったせいもあるけれど、教育ってなんだろう? 世の中に出て役に立つ武器を与えること、それをかちとること、教育の原点と密接に結びついていた。
 
 今だって、もちろん、学校で習ったことは役に立つ。大学は言うに及ばず、高校、中学校、小学校、それぞれの段階で身につけたものは、けっしてお遊びではない、一生の武器として、第一線の武器として役に立つはずである。ただ、私たちがなんとなく、
 
 ——役に立たなくてもいいか——
 
 そんな意識を心のどこかに抱いている。
 
 
 ペンクラブの依頼を受けて、私は恐怖小説のアンソロジイを三冊編んだ。題して〓“恐怖の森〓”〓“恐怖の旅〓”〓“恐怖の花〓”の三部作である。アンソロジイというのは〓“詩文などの選集〓”のこと。私の場合は、恐怖を含んだ短篇小説を対象にして、
 
「筒井康隆さんの〓“遠い座敷〓”はおもしろかったなあ。半村良さんの〓“箪《たん》笥《す》〓”は怖かったなあ」
 
 いろいろな作家の名作を集めて三冊の本とする試みだった。どんな作品を選ぶか、隠れた名作を選ぶのが編纂者の腕の見せどころだが、名作はなかなか隠れていてくれないから、セレクションはむつかしい。
 
 岡本綺《き》堂《どう》の〓“くろん坊〓”、大下宇《う》陀《だ》児《る》の〓“情獄〓”、林辰雄の〓“双生真珠〓”などを選んだが、これらの作品は、みんな私が中学生の頃に読んだものだった。四十年も昔に、
 
 ——おもしろいなあ——
 
 と感じ、それが今、役に立っている。学校教育と直接には関係がないけれど、幼いとき手に入れた知識は、けっして〓“かりのもの〓”ではなく、実戦でもチャンと役に立つ武器である。またそうでなければ、やりきれない。
分享到:
赞(0)