三角のあたま49

 北海道紀行

 
 
 北海道の観光シーズンは、夏。
 
 冬も、春も、秋も、それぞれにわるくはないけれど、観光客が一番多く集まって来る季節ということならば、やはり夏だろう。
 
 そのシーズンが始まる直前に、私は北海道へ行った。旅の目的は糠《ぬか》平《びら》の水力発電所を見学すること。そのためだけならば一泊旅行で充分なのだが、
 
 ——せっかくいい季節に行くんだから——
 
 と、もう一泊余計に時間をとって遊びのスケジュールを加えた。
 
 なんの自慢にもならないことなのだが(そう言いながらも、つい、つい自慢してしまうけれど)ここ数年、私は本当に天気に恵まれている。文字通りの晴れ男。ここぞというときには、かならず晴天になる。少なくとも雨は降らない。
 
 三年ほど前、長崎と熊本へ講演旅行に出かけたときなどは、
 
「長崎は今日一日大丈夫らしいですよ。熊本はドシャ降りだけど」
 
 と知らされ、たしかに長崎のホールで講演を終え聴衆が家に帰り着く頃まで、雨は落ちて来なかった。
 
 翌日は国見から長洲へとフェリーで渡ったのだが、舟つき場はものすごい土砂降りだった。
 
 ところが熊本市内に入る頃から雨は止み、夜の講演会に集まる足にはなんの支障もなかっただろう。
 
「長崎はいま集中豪雨らしいですよ」
 
 てなものであった。
 
 そして一昨年、これはたしか大分の講演会だったと思うのだが、
 
「今日は降りましたねえ」
 
 と、かねてから私の晴れ男ぶりを聞かされている同行者があざ笑う。
 
「なんの、なんの」
 
 その日は、ある会社の親《しん》睦《ぼく》会《かい》のためにアトラクションとしておこなう講演で、聴衆はみんな会場となるホテルに泊まっている。雨が降っても参加者の人数が減るわけではないし、なんの迷惑もかからない。天気をつかさどる神様のほうにだって都合があるだろう。こんなときくらいは雨の配給があっても仕方あるまい。私の場合、本当に必要なときには、かならず晴れてくれるのである。
 
 
 帯《おび》広《ひろ》の機内で、私はいつものように同行のIさんに自慢をした。
 
 そして、その結果。はい、初日の発電所のあたりでは小雨がパラついたけれど、こんなのは、めじゃあない、めじゃあない。二日目、三日目は、みごとな快晴。十《と》勝《かち》川《がわ》温泉を起点として、オンネトー、阿《あ》寒《かん》湖、摩《ま》周《しゆう》 湖、屈《くつ》斜《しや》路《ろ》湖、美《び》幌《ほろ》峠、さらに川湯温泉に一泊して、ふたたび美幌峠、オホーツク海、小清水の原生花園、網《あば》走《しり》の刑務所や監獄博物館はあんまり天気と関係がないけれど、北海道を少しでも知っている人ならば、このコースがどれほど晴天のときにすばらしいか、わざわざ説明する必要もあるまい。
 
 摩周湖、真実、まっ青な水をたたえておりました。屈斜路湖、怪獣クッシーこそ現われなかったけれど、摩周に負けるものかと雄大な青さを広げておりました。美幌峠、三百六十度の展望が青空の下に広がり、文句なしに天下一品。私も世界の佳景をたくさん見ましたけれど、けっして遜《そん》色《しよく》はない。どこへ出しても恥ずかしくない。これに比べれば、
 
 ——日本三景なんて、ありゃ、なにかね——
 
 松島、宮島、天の橋立、地元のみなさんには申し訳ないけれど、格がちがいます。新しい日本三景を選ばなくてはなるまい、と思った。 
 
 それで思い出したのだが、ついでに〓“日本駄目名所〓”というのも選んでみてはどうだろう。つまり、これは、名所と言われながら行ってみるとさっぱりよくないところである。またまた地元のみなさんには申し訳ないけれど、私の選んだ〓“日本駄目名所〓”は、まず第一に土《と》佐《さ》の高知のはりまや橋。「ここだ」と教えられてもよくわからない。なんのおもしろ味もない。二番に福井の東尋坊。むかし、むかし、絵葉書で見たときは白波騒ぐ絶景であったが、今は、どこにでもあるような、ただの岩場。どうなってるのかねえ。そして三番は札幌の時計台。ビルに挟まれてあわれです。
 
 しかし、まあ、駄目名所はほかにもまだまだたくさんあるだろう。
 
 
 さて、旅のさなか、川湯温泉の酒場で酒を飲み、外に出ると、満月に近い月が天にかかっている。
 
「もう一度、摩周湖へ行こうよ」
 
 時刻は夜の十一時五分過ぎ。
 
「今からですか」
 
「月の摩周湖を見たい」
 
 タクシーを呼び、夜道をまっしぐらに走った。
 
「こういう客、いませんか」
 
「初めてですねえ」
 
「気味わるいですか」
 
「お二人ですから。一人だと、自殺するんじゃないかとか……」
 
 道が上りにかかると、霧が流れている。トンネルなんかは、お化けくらいらくに現われそうな感じ。人の気配はもちろんのこと、車も通らない。
 
「霧が出てますね」
 
「かまいません」
 
 車が止まり、第三展望台に立つと、湖を囲む山々が黒く環を作り、その底にさながら綿あめみたいに霧をいっぱいに集めた摩周湖があった。
 
 ——この霧の下に、昼間見た神秘の湖面があるはず——
 
 ポーンと飛び込めば……現実にはものすごい跳躍力を必要とするけれど、頭の中で考えるだけならば、宙に舞い、霧の層を貫いて、だれも触れたことのない水の面に到達するだろう。このイメージは、身が引き締まるほどすてきだった。
 
 ——満月が湖面に映る摩周湖なんて、あるのだろうか——
 
 あるとすれば、文字通りの絶景だろう。一年に一度あるのかどうか。神様もそこまでは私にサービスをしてくれなかった。
 
 網走の監獄博物館は、ちょっぴり悪趣味のところもあるけれど、一見の価値がある。とくにお子様連れにはお勧めしたい。
 
「わるいことをすると、こうなるのよ」
 
 現在の刑務所とは少なからず趣きを異にしているだろうけれど、子どもはそこまでよくわからない。眼で見る迫力はなかなかのものである。元監視さんの説明があれば、さらによい。
 
 昨今は、わるいことをするとどうなるのか、子どもに教える手段がすっかりなくなってしまって……。
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