三角のあたま30

 心が一番

 
 二十六、七歳の頃、お金が大好きという女性にめぐりあった。かりにS子としておこう。
 
 私の恋人ではない。ただの友人。
 
 説明するまでもなく、私は彼女の恋人になるための主要条件を決定的に欠いていた。
 
 S子はむしろ清《せい》楚《そ》な感じの美人で、一見したところ、とても〓“お金大好き人間〓”には見えなかったが、私は彼女の日常生活を身近にうかがえる立場にいたので、
 
 ——ああ、この人は本当にお金が好きなんだなあ——
 
 と察知することができた。
 
 お札にアイロンをかけ、いとおしそうに財布に入れておく。見えないところでは頬《ほお》ずりくらいしていたのではあるまいか。S子の財布には……大分昔のことなので記憶も薄くなってしまったが、いつも二千円。千円札一枚、五百円札一枚、そして百円札四枚と小銭である。余分なお金は持たない。こういう点では、とても几《き》帳《ちよう》面《めん》な性格の持ち主だった。
 
 話は少し横道にそれるが、お金というものは、気位の高い美女とよく似ている。それを手に入れたければ「好きです、好きです、好きです」と、ひたすら熱愛しなければいけない。身も心も捧げるつもりで接しなければ、寄りついてくれない。
 
 逆に言えば、
 
「お金だけが人生じゃないよ」
 
 などとうそぶいているようでは駄目なのである。それはちょうど気位の高い美女に、
 
「あんただけが女じゃないよ」
 
 と告げたようなもの。もう金輪際近づいて来てはくれない。お金がほしければ、いつでもどこでも「好きです、好きです」と、口に出すかどうかはともかく、心の中で思っていることが肝要である。
 
 S子はまさしくそういう女性だった。
 
 私はと言えば、育った家が「お金だけが人生じゃないよ」と考えたがるタイプ。その習慣が骨身に染み込んでいるから、今でも抜けきれない。若い頃はさらにそうだった。だからS子の生き方にはあまり好感を抱けなかった。
 
 S子の選ぶ男はみんなお金持だった。私は三人知っている。三十代が二人、四十代が一人……いや、いや、こういうことは事情をよく説明しないとわかりにくい。
 
 最初が四十代の既婚男性、つまり不倫の恋である。二人目が三十そこそこの青年実業家。と言うより中どころの企業の二代目で、絵にかいたようなボンボン。そして三人目が病気の奥さんを持つ三十代後半の男。「ゆくゆくは結婚しよう」なんておいしいお話もあったらしいが、奥さんはなかなか死ななかったし、離婚もしなかった。
 
 どの恋も、まあ、言ってみれば、高級車に乗ってフランス料理店に赴き、一流ホテルで愛しあい、贅沢な海外旅行なんかも挟まれていて、まことにはではでしい。プレゼントも毛皮のコートやダイヤのブローチなんかをもらっちゃう。破局のときには、S子はちゃんと手切れ金のようなものをせしめていた。
 
 しかし、この生き方は少々あやうい。
 
 ——こんなことで一生幸福に暮らしていけるかなあ——
 
 ある日、私はS子をつかまえ、
 
「お金がそんなに好きなのか?」
 
 と年来の疑問を投げかけてみた。
 
「そりゃお金は大事にしなくちゃいけないわ。このごろ一円玉が落ちてても拾わない人が多いでしょ。いけないと思う」
 
「そういうこと言ってんじゃないよ」
 
「じゃあ、なあに?」
 
「男の魅力ってなにかなあ。お金をたくさん持ってることだろうか」
 
 S子はシャンと首を立て、私の顔を見すえたうえで、
 
「そりゃ人柄でしょう。きまってるじゃない。お金か心かって聞かれたら、それは心よ。気のあう人じゃなきゃ、好きになれないわ」
 
 と答える。嘘《うそ》を言っているようには見えない。私はうろたえた。
 
「しかし……あんたが好きになる人、みんな金持じゃないか」
 
「そりゃ結果じゃないの」
 
「そうかなあ」
 
 思案のあとでS子はポツリとつぶやいた。
 
「お金を持ってない人って、私、性格として好きになれないのよね。なんかいじましくて」
 
「なるほどね」
 
 私は弱い声で答えた。
 
 S子の考えは、私が推察したところ、好きなのはお金ではなく、お金を持つことによって育成される人柄や心のほう、そういうことらしい。
 
 ——結局は同じことなのではあるまいか——
 
 そんな気もしたけれど、S子は、
 
「そうじゃないわ。あ、この人、感じがいいって、そう思って好きになってみると、たまたまお金持なのね」
 
 と、恋愛にはフィーリングの一致が第一であることを主張してやまなかった。
 
 数年後、S子は見合結婚をした。相手はやはり資産家だった。
 
「会ったとたんに、性格のいい人だわ、この人とならやっていける、そう思ったわ」
 
 S子は誇らしげに笑っていた。
 
 
 
 同じ頃、私は一人のプレイボーイと知りあった。いわゆる漁色家。恋人の多いこと、多いこと。こまかい事情までは知らない。本来大っぴらにすることではないから、見えて来るものは限られている。
 
「やっぱり一押し、二金、三男かね」と、プレイボーイ道の極意を尋ねてみた。
 
「うん。そうだな。たしかに男前かどうかはたいした条件じゃないな。銭は一定の効果があるだろうけど、半端な金じゃ駄目だよ。やっぱり、押しって言うか、まめって言うか、ねばり強く、懲りずに頑張らなくちゃ、いかんのとちがうか」
 
「うん」
 
「しかし、一番大切なのは、まごころだよ」
 
「えっ」
 
 私はうろたえた。こんなところにまごころが出て来るとは思わなかった。プレイボーイ氏はゆっくりと解説してくれた。
 
「まごころでぶつかれば、今、好きな男がいる女でなければ、たいていなんとかなる。この世にまごころほど強いものはないね。ただ、まごころが使えないときが多いだろう。まごころじゃないものを、まごころに見せて使わなくちゃいかんから、それが苦しいのよ」
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