三角のあたま39

 脱サラについて

 
 私は十一年間サラリーマンを勤めたのち退職して文筆業に転身した。脱サラと言えば、脱サラの体験者だろう。
 
 こんな経歴を過去に持っているから、
 
 ——あの人は、きっと脱サラの賛成論者にちがいない——
 
 と世間は思うものらしい。
 
 時折その手のインタビューなどの申し込みを受けるのだが、残念でした、私はむしろ脱サラに関しては保守的な考えの持ち主のほうである。
 
 私の場合はたまたまうまく行ったけれど、これは運がよかったから。
 
 ——危ない橋を渡ったなあ——
 
 と、今でも思い返して、しみじみそう思う。
 
 正確な統計の出しにくい事柄ではあるけれど、脱サラの成功例は依然としてそう多くはあるまい。私の頃は一〇パーセント以下と言われていた。今でも、よくて二〇パーセントくらいのものではあるまいか。
 
 自分の置かれた立場に不満を持つサラリーマンは大勢いるから、ジャーナリズムはとかく脱サラの長所と可能性を喧《けん》伝《でん》したがるし、たしかに職業を自由に変えられるほうが未来的な展望を持っているだろう。だが、現状を正確に眺めれば、まだまだ転職や脱サラには、相当な危険がある。
 
 そして、おもしろいことに、脱サラの成功者はほとんど例外なく、
 
「もとの会社でこれだけ努力していれば、なにもやめなくてもよかったでしょうね」
 
 と言っている。これは熟慮してよいことだろう。
 
 もちろん成功例も数多くあるんだし、一生意にそわない仕事をやるなんて、本当に馬鹿げている。ケース・バイ・ケース。十把ひとからげに論じるのも適当ではあるまい。
 
 ただ私の体験から考えて、これだけは言ってもよさそうな気がする。つまり、怒りのエネルギーだけで即断しないこと。
 
 職場でなにかおもしろくないことがあって、
 
 ——こんな会社、俺には向いていない。罷《や》めてやる——
 
 辞表を叩《たた》きつけるというケースである。叩きつけないまでも、怒りを胸にさっさと退職を実行する場合である。
 
 気分はよくわかる。やりようによっては、まことに恰《かつ》好《こう》がよろしい。
 
 だが、これがよくない。
 
 怒り狂っても、すぐには決断をせず、そのエネルギーを、
 
 ——果して自分はこの職場以外で生きて行けるかどうか——
 
 冷静に考えることに向けてみよう。
 
 隠忍自重。臥《が》薪《しん》嘗《しよう》胆《たん》。まあ、そこまでやらなくても、考えているうちに周囲の情況も少し変るし、怒りもさめる。その程度の怒りなら、あまり思い切ったことなどしないほうがよかっただろう。
 
 怒って、三年……。そのくらい熟慮すればよい結果にも恵まれるのではあるまいか。
 
「こんな会社に、俺、いつまでもいることないんだ。ここだけの話だけどサ、ほかから誘われてるんだ。うん。ヘッド・ハンティング? まあ、そういうこと。ウッフフフ」
 
 顎《あご》などをスルリと撫《な》で、ここだけの話をいろいろなところで語っているサラリーマンを時折見かけるけれど、あれはなんのつもりなのかなあ。あまりお勧めはできない。
 
 当人も承知のうえで根も葉もないホラを吹いているのなら、これはもう救いようがない。だが、それとはべつに、特別優秀なサラリーマンでなくても長いあいだには〓“ほかから誘われている〓”ような気配に遭遇することはある。
 
「あなたみたいな方がわが社に来てくだされば本当に助かる。いや、まったく、高給で優遇しますよ」
 
 これくらいのことは言われるかもしれない。
 
 しかし、ほとんどがお世辞の一種。ただのお話。本気にしてはいけないケースも多い。
 
 それよりもなによりも、自分で、
 
「ほかからもいろいろ誘われているんだ」
 
 などと、あまり確かでもない気配を拠《よ》りどころにして吹《ふい》聴《ちよう》していると、余人はいざ知らず、当人自身が、
 
 ——俺は相当なものなんだよな——
 
 と、いくばくかの錯覚を抱いてしまう。
 
 冷静に自分の実力を判断し、ほかの環境でも通用するかどうか熟慮しなくてはいけない一番大切なときに、この錯覚は致命傷になりかねない。この手の台詞《せりふ》をひとこと吐くたびにおのれの判断は甘くなると思ってまちがいない。唇を固く閉じて、内圧を高め、その噴射力で飛び出して行かなければなるまい。
 
 それに、こと志と異って長くその職場にいることとなれば、こんな言動は百害あって一益なし。たとえ外に出て行くとしても、あとに残る仲間たちに対して、こんな言いぐさは失礼であり、配慮を欠くことになるだろう。まったくの話、
 
 ——どうせこんな会社、厭《いや》で出て行くんだから——
 
 うしろ足で砂を蹴《け》り立てたいような、そんな心境でやめる人も多いだろうけれど、ここでもう一息我慢が大切。一つの職場をやめて、もう一つの仕事に就いたとしても、二つのあいだにまったく繋《つなが》りがないことはめずらしい。
 
 前の職場は、なにはともあれ職業人として何年か身を置いたところである。その経験によって今の仕事を得ているはずである。人間関係も仕事のルートもノウハウも密接に繋っている。
 
「お世話になりました、今後ともよろしく」
 
 溜《りゆう》飲《いん》は文字通り腹の中にとどめて、愛想よく立ち去るほうが後難がない。
 
 あっ、もう一つ、奥さんの了解。転職、脱サラにはこれが欠かせない。
 
「だから、私、あのとき、冒険はやめてって言ったじゃない」
 
 下手をすると、一生言われる。
 
 本当のことを言えば、自分の仕事に疑問があるうちは……つまり将来に転職、脱サラの可能性を相当に持っているならば、その段階では結婚なんかしないほうがいいのだろう。独り身であれば転職、脱サラ、どんな冒険だって自由にできる。若くて結婚、この身の災難、シェクスピアもそう書いている。
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