三角のあたま03

 京都勘定

 
 
前の章では美女の出身地について考えたが、私は旅に出ると、もう一つ、
 
「この町で一番大きな会社はどこですか」
 
 と、きまって質問をする。
 
 一番大きな会社……さしずめ法人税を一番多く払っている企業だろうか。
 
 これを聞くと、その町が拠《よ》って立っている基盤が見えて来る。まったくの話、一つの市が一つの企業と、その下請け、出入りの業者、それらの社員と家族であらかた成り立っているような、そんな町もまれではない。かつての八《や》幡《はた》市は八幡製鉄の町だったし、今の豊田市はトヨタ自工の町だろう。私自身は豊田へ一度も足を踏み入れたことがないけれど、この町でトヨタ以外の車を駆るのは、ちょっと抵抗感があるそうな。
 
 こういう情況の町では、当然のことながら、その中心となる企業の浮沈が町の経済を大きく支配する。全市民の懐に直接響く。
 
 だから質問を発して昇り調子の企業の名前が返って来ると、
 
 ——なるほど、道理で、みんなの表情が明るいわけだ——
 
 と合点する。反対にそれが斜陽の業種だったりすると、
 
 ——この町の将来も大変だなあ——
 
 と同情しないわけにいかない。
 
 
 
 数年前、京都銀行の幹部氏と同じ車に乗りあわせたことがあった。例によって私は、
 
「京都で一番大きい会社はどこですか」
 
 と尋ねた。
 
「京都にはあまり大きな企業がありまへんなあ」
 
「そうですか」
 
 京セラは京都に本社を置く企業ではあるまいか。
 
「うちあたりが結構上位におって……こりゃ、あまりよろしいこと、おへん」
 
「どうしてです?」
 
「地方銀行ちゅうもんは、二十位くらいがよろしいおす。ほかの会社に儲《もう》けてもろうて、うちは貸したり借りたりする立場やさかいに。銀行が上位にいるようじゃ、たいした町じゃおへん」
 
 言われてみれば、そんな気もする。銀行は経済活動の中心だが、銀行だけが張り切っていてもどうにもならない。そういう機能の業種だろう。
 
 幹部氏は話を続けて、
 
「昔は京都の衣料品や調度品など、ぎょうさん皇室が買《こ》うてくれはったから、よろしゅうおましたけど、このごろはおまへん」
 
 と伝統産業の衰微を嘆く。
 
 ——戦前はそんなにたくさん皇室が買ったのだろうか——
 
 なんとなく話がおかしいので、
 
「昔っていつごろのことですか」
 
 と聞けば、
 
「そりゃ、あなた、天子様が京都にいてはりましたころですわね」
 
 つまり明治より前の話らしい。
 
「はあ」
 
 少し驚いた。京都の人は私などよりずっと長いスパンでものごとを考えている。そう言えば、ほかにも似たような笑い話を聞いたことがあった。京都の人が、
 
「この前の戦さで大事な文化財がぎょうさん焼けてしもうた」
 
 と、しきりに嘆く。聞き手が、
 
 ——はて、いつの戦争だろう。京都は空襲にあわなかったはずだが——
 
 と思い、そのことを尋ねると、京都の人はおおらかに答えたとか。
 
「そりゃ、応仁の乱どすわ」
 
 やはり古都には悠久の時が流れているのだろう。
 
 
 
 言うまでもなく京都は見どころの多い町である。私は何回訪ねたかわからない。そして、いくつもの名所を見てまわった。その数も数えきれない。京都で過ごした夜も多い。
 
 だが……ある日、ふと気がついた。
 
 ——京都にはずいぶんお金を払ったけど、俺、京都からお金をもらったこと、あったかなあ——
 
 もちろん私は小説家であり、本を書いて読者に買っていただくことが私の主たる経済活動であり、京都でも私の本はちゃんと売れている。だから京都からも充分にお金をいただいているはずだが、これは間接的なので実感が薄い。
 
 お金をいただくと言えば……そう、たとえば講演会の謝金など。これは直接現金で手渡されることが多いから、
 
 ——もらった、もらった——
 
 と、印象も鮮明に残る。
 
 ところが私は京都で講演会のたぐいをやったことがほとんどない。思い出せない。全国ほとんどの主要都市で一回くらいはきっとやっているというのに……。
 
 京都と私の関係について言えば、私が支払っているほうが圧倒的に多く、もらいは少ない。
 
「そんな気がしないか」
 
「うん。俺もそうだなあ」
 
 同業のSさんもそう言っていた。
 
 あらためて調べてみると、京都では東京から講師を招いて文化講演会などを開く試みが少ないようだ。
 
 ——そりゃ、そうだよなあ——
 
 と私はすぐに納得した。
 
 京都の人にしてみれば、文化というものは京都にこそ存在している。日本では京都が文化を担っているのである。
 
 ああ、それなのに、関東の学者や小説家風情が京都にやって来て、あつかましくも文化講演会とは……。
 
 むこうから見れば、私なんか東国の田舎者、あずまえびすでしかない。
 
 しもじもは京都にのぼってお金を払うのが当然、えらそうなことをほざいてお金を持ち帰るなど、とんでもない、あかん、なのである。
 
 京都の人の心の中には、そんな気分が少しあるようだ。
 
 
 
 ところが、つい先だってから私は〓“京都新聞〓”の夕刊に連載小説を書くようになった。
 
 これとても京都新聞社から直接交渉を受けたわけではなく、東京の通信社がお世話してくれた仕事である。
 
 通信社が私のところから原稿を取って、さし絵をつけ、地方新聞社に売りさばく。売れて行く先は一つではない。目下のところ私の連載小説は〓“京都新聞〓”のほかに鹿児島の〓“南日本新聞〓”、富山の〓“北日本新聞〓”にも載っている。この先、遅れて連載の始まるところもあるだろう。同じ作品がいくつもの地方新聞に掲載されるわけである。
 
 だが、〓“京都新聞〓”が有力な買い手であることは変りない。
 
 ——今までのぶん、取り戻せるかなあ——
 
 収支計算はなにごとであれ、バランスのとれている状態がよろしい。
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