三角のあたま11

 蕗《ふき》谷《や》虹《こう》児《じ》など

 
 
 
 講演で新潟県の新《し》発《ば》田《た》市へ行った。
 
 新発田と聞いて私がまず第一に思い出すのは、遠い時代に日本の各地でテントをかけていたシバタ・サーカスのことである。
 
 シバタ・サーカスは新発田市に本拠地を置く曲馬団であった。いや、厳密に言えば、少しちがうのだが、私はずっとそう思っていた。
 
 ソ連やアメリカのサーカスは明るすぎて私は少し気に入らない。少なくとも私の記憶の中にあるサーカスは、あれではない。
 
 クラリネットが陽気に音楽を奏でていたけれど、サーカスはいつも悲しく、かすかに恐ろしい気配があった。
 
 そう、人さらい……。
 
 さらわれた子どもは、毎日酢を飲まされ、体の骨をやわらかくして、親方に鞭《むち》で打たれて芸を仕込まれるのだとか。
 
 まさか私の知っている時代にそんなことが本当にあったとは思わないけれど、興行のあとテントがあとかたもなく消え、昨日《きのう》までのざわめきが逃げるように知らない町へ立ち去って行ってしまう。そんなサーカスには、人さらいくらいあってもおかしくない、不思議な怪しさがあった。
 
 父や母もサーカスを見に行くことを許してはくれたけれど、
 
「まっすぐ帰って来るのよ」
 
 と、つけ加えるのを忘れない。
 
 一歩まちがえば、とんでもない陥《かん》穽《せい》がある……。事実、興行師たちの世界は、普通の家庭とは折りあえない部分を持っていただろう。
 
 明るいサーカスに違和感を持つのは私だけではあるまい。
 
「ちょっとちがうのよねえー」
 
「これ、文部省推薦じゃないの?」
 
 つい最近、新橋の汐留駅跡のあき地で、リングリング・ブラザーズの興行を見たのだが、私たちの世代の印象は共通していた。
 
 ことのよしあしを言うのではなく、昔のサーカスは怪しく、なつかしい。悲しげな様子のピエロはどういう人たちだったのか。踊り子に恋している男や、踊り子を食いものにしている男や、いろいろいたにちがいない。
 
 
 
 昨夜《ゆうべ》巴《パ》里《リ》に笑い過ぎ
 
 今《け》朝《さ》は巴里を泣いて覚《さ》め
 
 若い身空を なんとしょう
 
 笑いのマスクを盗まれた
 
 
 
 ことこと ことこと
 
 ことこと ことこと
 
 
 
 涙のマスクを ふところに
 
 旅のピエローは 身が痩《ほそ》り
 
 夜更けをセーヌへ水鏡
 
 ことこと ことこと こと
 
 
 
 なぜ突然パリのピエロがここに登場するかと言えば、これは蕗谷虹児の詩であり、蕗谷虹児は新発田市の出身者だから。市の文化会館のとなりにこぢんまりとした記念館が建っている。
 
 今では蕗谷虹児の名を知る人もそう多くはないだろうけれど、大正の末期から昭和の初めにかけてモダニズム溢《あふ》れる画風と詩歌でそれなりの人気を集めた人であった。
 
 
 
 きんらんどんすの帯しめながら
 
 花嫁御寮はなぜ泣くのだろう
 
 
 
 文金島田に髪結いながら
 
 花嫁御寮はなぜ泣くのだろう
 
 
 
 この文句で始まる童詩〓“花嫁人形〓”の作詩者と言えば「あ、そうなの」と、たいていの人が頷《うなず》いてくれる。芸術家の評価は、どの道むつかしいものではあるけれど、大ざっぱに言って蕗谷虹児はイラストレーションの分野では竹久夢二の次くらい、童詩の分野では西条八十の次くらい……と言ったら、お叱《しか》りを受けるだろうか。
 
 真価はともかく、世間の扱いとしては、このあたりが当たらずとも遠からず。しかし、私は中学生の頃にたまたま虹児の詩画集を見て、
 
 ——うん、これはおもしろい——
 
 今日に至るまで、ずっとファンであり続けている。新発田と聞いて、第二番目に思い出すのは、この詩人のことである。
 
 たったいま引用したのは〓“夜更けに聴く靴の音〓”という題。短い詩だが、気分はよく出ている。このピエロも遠い昔のサーカスの男、あまり幸福な影を引きずってはいない。
 
 
 
〓“花嫁人形〓”の詩について言えば、金《きん》襴《らん》緞《どん》子《す》だの、文金島田だの、こんなときに言う決まり文句を用いていながら、詩がちっとも俗っぽくなっていない。そこがすばらしい。しかもどちらの名辞も、かなり大げさな用語である。飾っていながら抑制のきいているところに作者のセンスがある。もう一つ、引用させていただこう。〓“遠めがね〓”という題の童詩である。
 
 
 
 オランダ船の伴《バ》天《テ》連《レン》さまはまだ若い、
 
 のぼる帆橋 遠眼鏡。
 
 
 
 高い帆橋 雲のなか、雲のなかから覗《のぞ》いてみたら
 
 鬱《うつ》金《こん》香《こう》咲くオランダが
 
 
 
 丘が、わが家が、いもうとが、
 
 くるくるまわる風車
 
 くるくるまわって
 
 ちょいと消えた。
 
 
 
 も一度 見たいと
 
 のぞいてみたら
 
 遠くフジヤマ 帆かけ舟
 
 見えるは旅の空ばかり。
 
 
 
 ここでは鬱金香が、すてきな言葉使いである。初めて読んだときには、なんのことやらわからなかったけれど、これはチューリップ。故郷のオランダを眺めているのだから、そこに咲く花はやはりこれがふさわしい。これもずいぶん仰々しい用語だが、詩の中ではほとんどそれを感じさせない。むしろ〓“ウッコンコウ〓”というリズムが、前後の文句とよく折りあって、ほどよい調子を作り出している。
 
 中学生の頃の私は科学少年で、将来は化学者になって日本の科学発展のために貢献しようと、まことに頼もしいことを考えていた。
 
 だが、今になって考えてみると、詩歌や小説のたぐいにも結構好みがあって、
 
 ——うん、これはいい調子だ——
 
 一人でそらんじて悦に入っているところがあった。それが今の仕事に役立っていることはまちがいないだろう。
 
 蕗谷虹児について語る人は少ない。それだけに虹児に触れると、忘れていた古い写真を急に見せられたみたいに、遠い日が忽《こつ》然《ぜん》とよみがえって来る。私の心の中ではサーカスと蕗谷虹児が結びついている。そして、いつもあやしい夢を見させてくれる。
 
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