トットチャンネル(22)

若干名《じやつかんめい》

 
 それは、速達の葉書で来た。
 トットの名前と住所の上に押《お》してある、真赤《まつか》な速達のしるしの横線が、いかにも鮮《あざ》やかで、これなら「特別のお知らせ」って、すぐわかる、と、トットは思った。差出人は、日本放送協会。芝《しば》局料金別納郵便、という丸いスタンプが印象的だった。
 トットは、息を止めるようにして、葉書の文面を見た。終りのほうに目が行かないように自分をいましめて、始めから読み始めた。タイプ印刷で、こう書いてあった。
「前略
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 過日の銓衡《せんこう》試験の結果、貴下は合格と決定|致《いた》しました。ついては、左記により開講致しますから、本状|御持参《ごじさん》の上、御出席下さい。
[#ここで字下げ終わり]
   記
  日時 四月六日 午前十時
  場所 観光ホテル
   日本放送協会
    編成局 庶務課《しよむか》」
 トットは、大きく息を、はいた。
 ……ああ。とうとう。やっと。これで。一応。とにかく。やれやれ。よかった。わあー。いろんな気持が、押しよせた。NHKの俳優|募集《ぼしゆう》の広告を見て、決心してから、まだ三ヶ月と、ちょっとしか経《た》っていないのに、随分《ずいぶん》いろんな事を経験した。試験の頃《ころ》のことが、もう、ずーっと昔《むかし》に起ったことのように思えた。そして、この三ヶ月間の第一次養成中は、毎日が、楽しくは、あったけど、やっぱり、この合格が決まるまでは、何かソワソワしていたのだ、と、いま、わかった。
「わあー、受かったって!」
 突然《とつぜん》、トットは、うれしくなって、葉書をヒラヒラさせて、家中を走り廻《まわ》った。昔、小学生のトットちゃんだった頃なら、一番最初に、この葉書を見せに行ったはずの、シェパードのロッキーが、もう、いないのが残念だった。
 葉書を受けとってから三日目に、トットはNHKのむかいにある、観光ホテルに出かけて行った。そして、とうとう、長いこと疑問だった「若干名」を、この目で確かめることが出来たのだった。
 若干名の人数と顔ぶれは、次の通りだった。
 今井喜美子(後《のち》の、新道乃里子さん)
 臼田弘子(後の、幸田弘子さん)
 黒柳徹子(トットのこと)
 鈴木|崇予《みつよ》(後の、里見京子さん)
 田中洋子
 友部光子
 本多文子
 吉本ミキ
 横山道代
 今井純成(後の、今井純さん)
 木下秀雄
 黒江悠久
 桜井英一
 鈴木|啓弘《よしひろ》
 関根信昭
 三田松五郎
 八木光生
 以上、女性九人、男性八人。
 磯浦《いそうら》康二という人がいたんだけど、この人は、このあとNHKのアナウンサーの試験を受けなおして、合格したので、アナウンサーになってしまった。そんなわけで、若干名は、十七人、のことだった。トットがNHKの新聞広告の、「採用は若干名」というのを読んで、パパに「若干名って、何名のこと?」と聞いて、パパが「何名って決まってるわけじゃなくて、いい人がいたら採用することで。でも、まあ、数人って、とこかな」と教えてくれてから、六千人の応募者が、ハラハラしたり、泣いたり笑ったりして、とうとう、ここで、十七名が、若干名として残った。残ったほうが良かったか、悪かったか、それは、誰《だれ》にもわからないことだったけど、トットに関していえば、少なくとも、この葉書が、人生を変えたことは事実だった。
 自分の子供に上手に絵本を読んでやる、お母さんになるつもりのトットが、これで、まだ、日本人の誰にも、わかっていなかった、テレビジョン、という世界に、一歩、足をふみ入れることになったのだから。
 それにしても、トットが、つらくて、申しわけない、と思ったのは、例のストライキをしなかったことだった。というのも、こんな風に個々の家に合格の葉書が来て、指定通りに、観光ホテルに集ったとき、みんなに、また逢《あ》えた嬉《うれ》しさが先にたち、
「わあー、また逢えて、よかった」とか、
「あなた、残ったのねえ」とか、騒《さわ》いでるうちに、NHKの庶務の人が来て、あっという間に、時間割のこと、交通費のこと、講師の先生のこと等を説明し、あれよあれよ、というまに、授業が始まっちゃったのだった。
 あんなに、固く約束《やくそく》をして別れたのに。でも、「落ちた人を入れてくれなきゃ、私|達《たち》も入りません」と、NHKにかけあう余裕《よゆう》も、また、誰が落ちたのか、正確なデータもなかった。
「あれ、あの人、いないけど、落ちたのかなあ?」「本当は受かってるんだけど、今日、都合が悪かったのかしらね」とか、はっきりしないうちに、ストライキをしようという盛《も》り上りにも欠け、NHKに誰が落ちたのか聞く暇《ひま》もなく、結局、そのままに、なってしまった。きっと、落ちた人は、家で、「今にストライキの結果が来るに違《ちが》いない」と、待ってただろうに。(なんて、人間は、自分勝手なんだろう)トットは、あとあと、何年経っても、約束を破って悪かった、という気持が残っていた。
 この、三ヶ月間の養成を一緒《いつしよ》に受けた仲間、二十八人のうちの、合格しなかった十一人とは、その後、一度も逢うことは、なかった。
 後に、芸能界で逢うこともなかったから、きっと、それぞれ、あの日を境いに、別の道を歩き出したに、ちがいなかった。
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