魔女たちのたそがれ17

 16 消《き》えた依子

 
 珍《めずら》しく、小西警《けい》部《ぶ》は機《き》嫌《げん》が悪《わる》かった。
 といって、普《ふ》通《つう》の上《うわ》役《やく》と違《ちが》うのは、やたらに部《ぶ》下《か》を怒《ど》鳴《な》りつけて、その不《ふ》機《き》嫌《げん》を解《かい》消《しよう》したりしないところだ。
 その分、ストレスはたまる。——仕《し》方《かた》のないところだろう。上役か部下か、どっちかに、ストレスはたまるものなのだ。
 小西が苛《いら》立《だ》っているのは、車のナンバーが分っているのに、車を割《わ》り出すのに時間がかかっているせいだった。
「まだなのか」
 席《せき》から、電話を入れる。「もう何時間たったと思ってるんだ?」
「申《もう》し訳《わけ》ありません、今、やっていますから——」
「早くしてくれ!」
 小西は、受話器を置《お》いた。苛《いら》々《いら》していても、叩《たた》きつけたりはしない。
「しかし、幸《こう》運《うん》でしたね」
 と、言ったのは、三木刑《けい》事《じ》である。
 こちらは至《いた》ってのんびりしている。小西と違《ちが》うのは、結《けつ》果《か》が出るまでは休んでいられる、という発《はつ》想《そう》の違《ちが》いであろう。
「あの子《こ》供《ども》の記《き》憶《おく》違いってこともある」
 と、小西は言った。
「でも、あの手の子供は、結《けつ》構《こう》、よく憶《おぼ》えてるもんですよ」
「該《がい》当《とう》の車がなかったら、また厄《やつ》介《かい》だぞ。それに近いナンバーの車を全《ぜん》部《ぶ》洗《あら》い出さなきゃならん」
「そうですね。でも、ただ当てもなく歩き回るよりは……。中込依子の方はどうします」
「手は二本、頭は一つしかないよ」
 小西はため息《いき》をついた。
「いっそのこと、町へ乗《の》り込んでみませんか?」
「どういう名目で、だ?」
 三木は肩《かた》をすくめた。
「何とでもつけられるじゃありませんか。未《み》解《かい》決《けつ》の殺《さつ》人《じん》だってあるんだし」
「担《たん》当《とう》が違《ちが》う」
「そりゃそうですが……」
「あの娘《むすめ》の話をもとにして、強《きよう》制《せい》捜《そう》査《さ》に踏《ふ》み切るのはむずかしい。証《しよう》拠《こ》が残《のこ》っているかどうか……」
「でも、田代のことがありますよ」
 三木は真《しん》剣《けん》な口《く》調《ちよう》になっていた。「刑《けい》事《じ》が一人、行《ゆく》方《え》不《ふ》明《めい》なんです。もっと力を入れて調《しら》べても、おかしくはないんじゃありませんか?」
 小西は、三木の目を見《み》返《かえ》した。
「——気《き》持《もち》は分る」
 と肯《うなず》く。「しかし、焦《あせ》るな。一気にやる必《ひつ》要《よう》がある。向《むこ》うは町ぐるみだぞ。下手をすると、町中を相《あい》手《て》にしなきゃならん」
「そのときになりゃ、やりますよ。たとえ向《むこ》うが東京都《と》だって」
 三木は、ちょっとむきになって言った。
「一度行ってみるのは、いいかもしれん」
 と、小西は少し考えながら、言った。「あまり何もしないのでは、却《かえ》って向うが怪《あや》しむ恐《おそ》れがあるからな」
「やりましょう! 警《けい》部《ぶ》と僕《ぼく》の二人なら——」
「落《お》ちつけよ。ともかく、この殺《さつ》人《じん》が片《かた》付《づ》かんと、動《うご》きが取《と》れない」
「車を割《わ》り出すのを、手《て》伝《つだ》って来ましょうか」
 今《こん》度《ど》は、三木の方がせっかちになった。
 ちょうどそれに答えるように、電話が鳴り出した。
「ほら来たぞ」
 と小西はニヤリと笑った。「——小西だ。——そうか。言ってくれ。——何だと?」
 小西の顔に、信《しん》じ難《がた》いという表《ひよう》 情《じよう》が浮《うか》んだ。
「——間《ま》違《ちが》いないか?——よし、分った。ご苦《く》労《ろう》」
 受話器を置《お》くと、小西は、フウッと息《いき》をついた。
「どうしたんです?」
 三木の質《しつ》問《もん》が聞こえているのかどうか。小西は、ちょっと考え込んでいる様《よう》子《す》だったが……。
「こいつは面《おも》白《しろ》くなって来た」
 と、小西は言った。
「え?」
「あのナンバーが誰《だれ》の車のものだったと思う?」
「分りませんよ」
「当《とう》然《ぜん》だ」
 小西は、メモした紙を、三木へ手《て》渡《わた》した。三木はそれを見て、ちょっと目を見《み》開《ひら》いた。
「警《けい》部《ぶ》、これはもしかして——河村というのは——」
「あの町の、駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》の巡《じゆん》査《さ》だ。あれは河村の車だった」
 三木の頬《ほお》が紅《こう》潮《ちよう》した。
「警《けい》部《ぶ》、これは——」
「うむ。どうしても、あの町へ行かねばならんようだな」
「じゃ、今夜の内《うち》にも出かけましょう!」
「いや、あの山《やま》道《みち》を夜中には無《む》理《り》だ。それに逮《たい》捕《ほ》に行くわけじゃないぞ。あくまで、捜《そう》査《さ》だ。それを忘《わす》れるな」
「分ってます。じゃ、明日、朝一番で出かけましょう」
「そうだな、今夜は早く寝《ね》ておこう」
 小西が立ち上ったとき、また電話が鳴《な》り出した。
「今《こん》度《ど》は何だ。——ああ、小西だ」
 顔が、こわばった。
「——よし、急《きゆう》行《こう》する。現《げん》場《じよう》付《ふ》近《きん》に非《ひ》常《じよう》線《せん》を張《は》れ」
「何《なに》事《ごと》です?」
「また殺《ころ》しだ。同じように喉《のど》を切られた」
「何ですって?」
「しかも、現場はあの病《びよう》院《いん》の中だ。行くぞ」
 小西と、三木は、ほとんど駆《か》け出すような勢《いきお》いで、歩き出していた。
 
 津田は、ホテルの部《へ》屋《や》で、何となく寝《ね》苦《ぐる》しい夜を過《すご》していた。
 眠《ねむ》っては起《お》き、まどろんでは目が覚《さ》める。——理《り》由《ゆう》は分らなかったが、ともかく、疲《つか》れていても、一《いつ》向《こう》に眠れないのだ。
 畜《ちく》生《しよう》。——ベッドに起き上って、津田は頭を振《ふ》った。
 どうして、こう寝つけないんだろう?
 これならいっそ、アルコールでも一《いつ》杯《ぱい》引っかけておくんだった。しかし、こんなホテルでは、およそそういう場《ば》所《しよ》もサービスもあるまい。
 冷《れい》蔵《ぞう》庫《こ》があったな、ビールぐらい入っているだろう。
 いや、それとも、いっそシャワーでも浴《あ》びて、さっぱりした方がいいかもしれない。
 ——そのとき、ふと気《き》付《づ》いた。
 ドアの前に誰《だれ》か立っている。——ドアの下から、廊《ろう》下《か》の明りが洩《も》れているのだが、そこに、影《かげ》が動《うご》いているのだ。
 しかも、それは通《つう》過《か》しては行かない。いつまでも、ドアの前を、右へ左へ、動いている。
 誰だろう?——津田は、急に頭がはっきりと冴《さ》えてしまった。
 津田とて、もともとあまり勇《ゆう》敢《かん》な方ではない。いや、どっちかといえば、臆《おく》病《びよう》だし、できることなら、危《あぶ》ないことには近づきたくない、という性《せい》質《しつ》である。
 どっかへ行っちまってくれないかな、と半ば期《き》待《たい》しつつ、津田は、その「影」の動きを見ていた。
 が、一《いつ》向《こう》に、それはドアの前を離《はな》れようとしないのだ。
 津田はベッドからそっと出ると、スリッパをはいた。
 ゆっくりとドアの方へ近付く。——ドアに、外を見るスコープがついているといいのだが、ここのドアには、それがない。
 どうしようか? 津田はしばらく迷《まよ》った。
 そっとドアに耳を押《お》し当ててみる。
 色々な音はする。空《くう》調《ちよう》だの、水の流《なが》れる音だの……。
 しかし、ドアの前に誰《だれ》が立っているかまでは分らない。
 よし、——津田は腹《はら》を決《き》めた。
 音がしないように、静《しず》かにドアチェーンを外す。そして一気にドアを開《あ》けるんだ。
 いいか、行くぞ。——それ!
 パッとドアを開けると……目の前には誰もいなかった。
 一《いつ》瞬《しゆん》、幽《ゆう》霊《れい》でも出たのか、とゾッとした。しかし、気が付くと——何のことはない。
 天《てん》井《じよう》の明りの、ちょうどドアのすぐ上の一つが、古くなったのか、チカチカと、明《めい》滅《めつ》していて、それが、ドアの下から見ると、まるで何か動《うご》いているように見えたのだった。
 津田は、大きく息を吐《は》き出した。——笑《わら》いたくなったが、ちょっと自分が惨《みじ》めでもある。
 ま、いいや。何ともなかったんだ。
 それに、誰《だれ》かに見られていたというわけでもない。
 津田は、ドアを閉《し》めると、部《へ》屋《や》の明りをつけた。——馬《ば》鹿《か》だな、全《まつた》く!
 汗《あせ》までかいている。結《けつ》局《きよく》シャワーでも浴《あ》びなきゃならない。
 ふと、津田は、サイレンの音に気《き》付《づ》いた。
 OLが喉《のど》を切られたときのことを思い出して、ハッとする。
 サイレンは、また病《びよう》院《いん》の方へ向《むか》ったようだ。
 いくら何でも、まさか……。
 津田は窓《まど》から、表《おもて》を眺《なが》めた。——パトカーが続《つづ》いて行く。
 それだけではない。パトカーが、そこここに停《とま》って、警《けい》官《かん》が道へ出ると、動《うご》き回り始《はじ》めた。
 どうやら、また何かあったようだ。
 突《とつ》然《ぜん》、電話が鳴《な》り出した。いや、電話としては、ごく普《ふ》通《つう》に鳴ったのだが、状《じよう》 況《きよう》が状況だっただけに、津田は飛《と》び上らんばかりに驚《おどろ》いた。
「はい、津田です」
「小西です。夜中にどうも——」
「何があったんですか? 今、外を見ていたんです」
「また同じように喉《のど》を切られて殺《ころ》されたんです」
「それはまた——」
「中込さんの入《にゆう》院《いん》している病院の中、なんですよ」
「何ですって? まさか彼《かの》女《じよ》が——」
「いや、殺されたのは看《かん》護《ご》婦《ふ》です。ご心《しん》配《ぱい》だといけないと思いましてね」
「わざわざどうも。——良《よ》かったら、彼女の病《びよう》室《しつ》に行って、ついていてやりたいのですが」
「それは構《かま》いませんよ。待《ま》っていて下さい。誰《だれ》かをそっちへやりましょう」
 こんなときでも、小西の細《こま》かい気のつかい方に、津田は感《かん》心《しん》した。
 十分としない内《うち》に、三木刑《けい》事《じ》がホテルへやって来た。仕《し》度《たく》をして待《ま》っていた津田は、そのまま、すぐにホテルを出た。
 ——途《と》中《ちゆう》、車のナンバーから、それが河村の車だと分ったことを聞かされて、津田もびっくりした。
「それは凄《すご》い手がかりですね!」
「全《まつた》くです。——あ、この件《けん》は口外しないで下さい。たぶん、中込さんにも伏《ふ》せておいた方がいいでしょう」
「分りました」
 と、津田は肯《うなず》いた。
 思いもかけないところから、手がかりが出て来たものだ。
「大きな事《じ》件《けん》が解《かい》決《けつ》するときってのは、こんなもんですよ」
 と、三木刑《けい》事《じ》は言った。
 病《びよう》院《いん》へ着《つ》くと、小西がやって来た。
「彼《かの》女《じよ》は寝《ね》てるんでしょうか?」
 と、津田は訊《き》いた。
「さあ、現《げん》場《じよう》の方が大《たい》変《へん》で、私も見ていないんです。行ってみて下さい」
「分りました。しかし——どうして病院の中で?」
「分りませんね」
 と、小西は首を振《ふ》った。「まさか、この中に犯《はん》人《にん》がいるということはないでしょうが……」
 津田は、ちょっと青ざめた。
 津田は、依子の病《びよう》室《しつ》のドアを開《あ》けた。
 もちろん、中は暗《くら》い。——起《おこ》してしまうといけないので、津田は、目が慣《な》れるまで、待つことにした。
 ベッドは、こんもりと盛《も》り上って、依子はよく眠《ねむ》っているようだ……。いや、どこか変だ。
 津田は、依子の寝《ね》息《いき》が、まるで聞こえていないのに気《き》付《づ》いた。
 まさか——依子!
 津田は、明りを点《つ》けた。毛《もう》布《ふ》をめくってみる。——そこにあるのは、丸《まる》めた毛布と、クッションだった。
「大《たい》変《へん》だ」
 と、津田は呟《つぶや》いた。
 しばし、どうしていいか分らず、立ちすくんでいた。
 これは、ただ、部《へ》屋《や》を出て行ったというだけじゃない。寝《ね》ているように見せかけているのだ。
「失《しつ》礼《れい》」
 と、ドアが開《ひら》いて、小西が顔を出した。「どうです、彼《かの》女《じよ》は?」
 津田は、黙《だま》ってベッドを指《ゆび》さした。
 小西の顔色が変《かわ》った。
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