魔女たちのたそがれ16

 15 三つの殺《さつ》人《じん》

 
「目《もく》撃《げき》者《しや》」は、小西をがっかりさせた。
 何しろ、小学生なのだ。しかも二年生。
 果《はた》してどこまで信《しん》じていいものやら、と思った。しかし、そうは言えないし、万《まん》分《ぶん》の一でも、この子《こ》供《ども》が重《じゆう》要《よう》な証《しよう》言《げん》をしてくれる可《か》能《のう》性《せい》だってあるのだ。
 家は、現《げん》場《ば》に近い。ほんの七、八十メートルというところか。
「この子ったら、何ですか、どうしてもお話しするんだと言いまして……」
 母親は、ちょっと苦《にが》々《にが》しげだった。余《よ》計《けい》なことを言って、というわけだろう。
 もちろん、子供が警《けい》察《さつ》へ進《すす》んで協《きよう》 力《りよく》を申《もう》し出たのだから、本来なら親も賞《ほ》めてやるべきなのだろうが、実《じつ》際《さい》には、
「厄《やつ》介《かい》なことには係《かかわ》り合いたくない」
 という意《い》識《しき》が強い。
 その気《き》持《もち》は、小西にもよく分った。
「いや、ありがたいですよ。ともかく、まるで手がかりがなくて往《おう》生《じよう》していたんです。どんな小さな情《じよう》報《ほう》でも、助《たす》かります」
「そうでしょうか……」
 母親は、ちょっと照《て》れたように言った。
「さて——」
 小西は、当の子《こ》供《ども》の方へ向《む》いた。「君《きみ》は、いくつ?」
 もちろん、年《ねん》齢《れい》も知っているのだが、順《じゆん》序《じよ》 立てて話に入って行った方がいいのだ。
「八歳《さい》」
 と、その子供は答《こた》えた。
 しっかりした子だ、と思った。いい加《か》減《げん》な作り話で、大人をきりきり舞《ま》いさせて喜《よろこ》ぶという手合では、少なくともないようだ。
 男の子にしては、多少色が白い。都《と》会《かい》的《てき》というべきかもしれない。
「そうか。——ゆうべの事《じ》件《けん》、知ってるね」
「うん」
 と、少年は肯《うなず》いた。
「君はそのとき、何をしてたの?」
「組み立ててた」
「ほう。何を?」
「ベンツ」
「ベンツ?」
 と、小西が思わず訊《き》き返《かえ》した。
「あの——」
 と、母親が口を挟《はさ》む。「この子、自《じ》動《どう》車《しや》のプラモデルが大《だい》好《す》きでして。やらせておくと何時間でもやっているんです」
「なるほど」
 よくそういう子がいるものだ。子《こ》供《ども》の集《しゆう》 中《ちゆう》 力《りよく》というのは凄《すご》いものなのである。
「べンツのプラモデルを組み立てていたんだね?」
「うん」
「それで——何を見たの?」
「車」
「車だって? どの車?」
「白い車だった。サーッと通って行っちゃったけど」
「ほう」
 小西は座《すわ》り直《なお》した。「事《じ》件《けん》があったころなんだね」
「うん。車の中に誰《だれ》か走って入って行ったのも見た」
「誰かが?——その誰かは、どっちから走って来た?」
「あっち」
 少年の指《さ》したのは、現《げん》場《ば》の方《ほう》角《がく》だった。
「で、車はどっちへ行った?」
 少年の指は反《はん》対《たい》方《ほう》向《こう》を指した。
 犯人が車に乗《の》って逃《に》げ去《さ》ったということも、もちろん考えられないではない。
 白い車か……。
「ねえ、どんな車だったか、分るかい?」
 と、小西は少年に訊《き》いた。
「国《こく》産《さん》車《しや》はよく知らないんだよ」
 と、少年は、もっともらしく顔をしかめて首をかしげた。
「ほう、じゃ、外車専《せん》門《もん》か」
「ベンツとかBMWなら、よく分るんだけど——」
 少年の大人びた口のきき方に、三木刑《けい》事《じ》が笑《わら》いをこらえている。
「そうか。じゃ、犯《はん》人《にん》はそんなに金《かね》持《もち》じゃなかったんだろうな」
 と、小西は肯《うなず》いた。「車に、何か変《かわ》ったところはなかった? 傷《きず》があるとか、絵《え》が描《か》いてあるとか……」
「別《べつ》にないよ。ただの白い車で……」
「そうか。——じゃ、その車に駆《か》け込んだ誰《だれ》かの方は?」
「ちょっと遠《とお》かったけど、女の人だったみたい」
「女の人?」
 これは面《おも》白《しろ》い証《しよう》言《げん》だった。
「髪《かみ》が長かったし、服《ふく》も長かったよ」
「服も?」
「うん。凄《すご》く長くて、フワッと広がってるんだ」
 殺《さつ》人《じん》者《しや》にしては、面《おも》白《しろ》い服《ふく》装《そう》である。
 ただ、その小学生も、女《じよ》性《せい》の服装に関《かん》しての知《ち》識《しき》は、あまり持《も》っていないらしく、それ以《い》上《じよう》は聞き出せなかった。
「——いや、ありがとう。とても助《たす》かるよ」
 と、小西は手《て》帳《ちよう》を閉《と》じた。「おじさんたち、本当に困《こま》っていたんだよ」
「そう?」
「そうさ。犯人を捕《つか》まえたら、またお礼《れい》を言いに来るからね」
 小西は、母親にも礼《れい》を言って、帰りかけた。
「ねえ、おじさん」
 と、少年が言った。「これ、いる?」
 紙きれを出している。
「何だい?」
「あの車のナンバーだよ」
 と、少年は言った。
 
 看《かん》護《ご》婦《ふ》の夜《や》勤《きん》というのは、忙《いそが》しいものである。
 知らない人からは、
「眠《ねむ》くて困《こま》るでしょう」
 などと言われるが、とんでもない。
 眠くなる暇《ひま》などはない。次《つぎ》から次へと、仕《し》事《ごと》は山のようにあるのだ。
「——眠い」
 と、若《わか》い看護婦が欠伸《 あ く び》をした。
 ちょっと古手の方が、渋《しぶ》い顔をする。
 ただ眠いのならともかく、勤《きん》務《む》につく前、男と会って来たせいで眠《ねむ》いのを、ちゃんと知っているのだ。
「しっかりしなさいよ! まだ十二時になったばかりよ」
「はあい」
 もちろん、若《わか》い方は逆《さか》らわない。
 平《ひら》野《の》紀《のり》子《こ》は、ここの看《かん》護《ご》婦《ふ》の中でも、「うるさ型《がた》」で通っているのだ。
「——警《けい》察《さつ》の人は?」
「さっきみえてましたけど。下へ戻《もど》ったんじゃありませんか?」
「そう。——あんたたちも、よく用心してね」
 平野紀子は、一人で、歩き出した。
 十二時を過《す》ぎると、一《いち》度《ど》、一人で病《びよう》院《いん》 中《じゆう》を見回る。それが彼《かの》女《じよ》のくせなのである。
 長年の勘《かん》で、何かあるときは、分る。音がしなくても、分るのだ。
 実《じつ》際《さい》、それで危《あぶ》ない状《じよう》態《たい》の患《かん》者《じや》が、救《すく》われたことも、二、三度あった。
 平野紀子の超《ちよう》能《のう》力《りよく》、などと言われたものである。
 ——今日は、何《なに》事《ごと》もないようだ。
 いつにも増《ま》して、彼《かの》女《じよ》の神《しん》経《けい》は敏《びん》感《かん》になっている。
 ともかく、ああいう特《とく》殊《しゆ》な患《かん》者《じや》がいて、警《けい》察《さつ》官《かん》がうろうろしているというのは、あまり嬉《うれ》しい状《じよう》 況《きよう》ではない。
 ともかく、患者というのは、細《こま》かい異《い》常《じよう》にすぐ気《き》付《づ》く。その点では、患者の方が、よほど超能力、と言えるかもしれない。
 ともかく、早く正《せい》常《じよう》な状態に戻《もど》ってほしいわ、と思った。
 ——ふと、足を止める。
 何だろう? 自分でも、どうして足が止ったのか、分らなかった。
 しばらくじっと立っていて、やっと分った。
 階《かい》段《だん》の方から、物音がするのだ。誰《だれ》かいるらしい。
 患者がフラフラと出て来てしまうことも、珍《めずら》しくはない。
 平野紀子は、階《かい》段《だん》を覗《のぞ》いた。——下の方からだ。
 人の声のようでもあり、何かの音のようでもある。
「誰《だれ》かいるの?」
 と、声をかける。
 シン、と静《しず》かになった。人がいる、ということだ。
「誰なの?」
 と、階段を降《お》りて行く。「もう夜中ですよ——」
 踊《おど》り場に、人《ひと》影《かげ》はなかった。非《ひ》常《じよう》階段への出口が、少し開《ひら》いている。
 誰か出て行ったのだろうか? それとも、入って来たのか。
 ドアを開け、外を覗いてみる。——誰もいないようだ。
 ドアを閉める。そのとき、背《はい》後《ご》に誰かがいる、と感《かん》じた。
 平野紀子は、少し太《ふと》っていて、動《どう》作《さ》はあまり早くなかった。振《ふ》り向《む》く前に、彼女の喉《のど》に銀《ぎん》色《いろ》の刃《やいば》が走った。
 
 依子は、田代刑《けい》事《じ》が姿《すがた》を消《け》した後、どうしたものか、途《と》方《ほう》に暮《く》れてしまった。
 一《いち》応《おう》、多江を待《ま》つ約《やく》束《そく》はしていたものの、大分時間がある。
 レストランの近くで、まだ未《み》練《れん》がましく立っていると、多江が店から出て来た。
「あら」
「あら、じゃないわ。何してるの? 姿が見えたから、びっくりして」
「それが——今話してた刑《けい》事《じ》さん、どこかに行っちゃったのよ」
 多江は目を丸《まる》くした。
「まさか」
「本当よ。——ずっと待ってるんだけど、戻《もど》って来ないし」
「もう四十分になるよ、出てから」
「そう。——気になるわ」
 と、依子は首を振《ふ》った。
「私《わたし》、今からお昼休みが取《と》れるの。待《ま》っててくれる?」
「ええ、もちろんよ」
 多江は店の中へ戻《もど》ると、すぐに制《せい》服《ふく》を脱《ぬ》いで、出て来た。
「裏《うら》に静《しず》かな店があるわ」
 と、先に立って行く。
 およそ目に付《つ》かない、小さな喫《きつ》茶《さ》店《てん》で、趣《しゆ》味《み》でやっている、という感《かん》じだった。
「——先生のこと、〈谷〉で話してみたよ」
 と、コーヒーを飲《の》みながら、多江は言った。
「そう。それで?」
「みんな好《こう》感《かん》は持《も》ってる。でも——先生のためには、危《あぶ》ないから、やめとけ、って」
「やめとけ?——何を?」
「私たちと係《かかわ》り合うことよ」
 依子は静かに、微《ほほ》笑《え》んだ。
「手《て》遅《おく》れよ」
「そうね」
 多江は、ちょっと笑った。「——学校で何かあったの? 噂《うわさ》を聞いたわ」
「そうよ。また襲《おそ》われたの。でも、今《こん》度《ど》はちょっと違《ちが》っててね」
 水谷との一《いつ》件《けん》を話すと、多江は顔をしかめた。
「その内《うち》、やるとは思ったけど……。危《あぶ》なかったわね」
「あの人一人ぐらいなら、負《ま》けやしないわ」
「強いんだから! でも、油《ゆ》断《だん》が怖《こわ》いのよ」
「分ってるわ。でも、この一件はもう公《おおやけ》になったから……」
「それがおかしいわ」
 と多江が言った。
「おかしい?」
「あの水谷を、そんな風に追《お》い詰《つ》めたら、何をしゃべるか分らないじゃないの。——それぐらい町の人にも分ってるはずだけど」
「つまり……水谷を手《て》配《はい》したのも、何か理《り》由《ゆう》があるっていうわけ?」
「たぶんね」
 と、多江は肯《うなず》いた。「先生、充《じゆう》分《ぶん》に用心してね」
「そうするわ」
 多江の話は、思いがけなかった。
 もちろん、多江の思い過《すご》しということもあるだろうが、何といっても、依子は、根《ね》の深《ふか》さを知らない。多江の忠《ちゆう》告《こく》には耳を傾《かたむ》けるしかないだろう。
「今日は、明るい内《うち》に帰った方がいいよ」
 と、多江は言った。「また、夜にでも、先生の所《ところ》へ行くから」
「そうね。——じゃ、ご忠告に従《したが》うわ」
 と、依子は肯いた。
「珍《めずら》しく、素《す》直《なお》に言うこと聞いた」
「失《しつ》礼《れい》ね」
 と、依子は笑《わら》った。
 ——町へ戻《もど》ったのは、そろそろ陽《ひ》が傾《かたむ》いて来る時《じ》刻《こく》だった。
 下《げ》宿《しゆく》先《さき》へ上ると、
「先生、お帰りで」
 思いがけず、河村の顔が出て来た。
「まあ、河村さん。どうかしたんですの?」
 依子は、ちょっとギクリとした。
 つい、生《せい》徒《と》に何かあったのか、と考えてしまうのである。
「お待《ま》ちしてたんです。水谷先生——いや、水谷がね、見《み》付《つ》かったのですよ」
「そうですか。それで——」
「死《し》んでいました」
 依子は、
「死んで……」
 と、呟《つぶや》くように言った。
「ともかく、来て下さい。つい、今しがたなんです」
「ええ、もちろん」
 依子は、河村について、外へ出た。
 ——学校の裏《うら》手《て》、あの、小川が、現《げん》場《ば》だった。
「子供が遊《あそ》んでいて、見《み》付《つ》けたんです。——びっくりしましたよ」
 水谷の死《し》体《たい》は、まだ河《か》原《わら》にあった。布《ぬの》をかけられている。
「——自《じ》殺《さつ》ですの?」
「それが……妙《みよう》でしてね」
 と河村は頭をかいた。「喉《のど》を切られているんです」
「喉を——」
 依子は息《いき》を呑《の》んだ。
「見て下さい。——いや、気が進《すす》まなければ、いいですよ」
「見ます。見せて下さい」
 と、依子は言った。
 町の人間が、七、八人、集《あつ》まっている。子供も混《まじ》っているので、河村が、
「みんな、あっちへ行け!」
 と手を振《ふ》って散《ち》らせた。
 布《ぬの》がめくられると、依子は、一《いつ》瞬《しゆん》、目をそむけた。
 水谷とは思えない、歪《ゆが》んだ表《ひよう》 情《じよう》だった。
 恐《きよう》怖《ふ》か、それとも恨《うら》みか……。そして喉《のど》が大きく切り裂《さ》かれている。
「自分で、喉を切っても、こうは行きませんよ」
 と、河村は言った。
「そうでしょうね」
 依子の声は震《ふる》えていた。「ということは……」
「たぶん、剃《かみ》刀《そり》のような、鋭《するど》い刃《は》物《もの》でしょうが、ここにはない。つまり、どこかで殺《ころ》されて、ここへ運《はこ》ばれた、ということです」
「殺されて……」
 依子は、布を戻《もど》した。「でも——誰《だれ》が水谷先生を殺すんでしょう?」
「分りませんね」
 と、河村は肩《かた》をすくめた。「それはこれからです。殺《さつ》人《じん》となると、県《けん》警《けい》の担《たん》当《とう》ですからな」
「また、ですね」
「そうです。前の一《いつ》件《けん》も片《かた》付《づ》いていないというのに」
 依子はハッとした。
 つい、無《む》意《い》識《しき》に口にしていたのだ。——依子のいう「殺人」は、大沢和子のことだった。
 河村は、もちろん、角田栄子の事《じ》件《けん》について、言っているのだった。
 そう。それを「二つ」と数えれば、三つの殺人が、この小さな町で、相《あい》次《つ》いだことになる。
 急《きゆう》に、陽《ひ》が落《お》ちて、辺《あた》りが暗《くら》くかげり始《はじ》めていた。
 
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