魔女たちのたそがれ14

 13 夜の校《こう》舎《しや》

 
 男たちは、かなり山の奥《おく》深《ふか》くへと分け入って行った。
「畜《ちく》生《しよう》!」
 とか、
「いい加《か》減《げん》にしてくれよ!」
 といった声が上るのは、大分へばって来たせいだろう。
 依子と多江は、用心しながら、男たちの後を尾《つ》けて行ったが、向《むこ》うは、そんな用心をする余《よ》裕《ゆう》もないようだった。
「——こっちへ行くと、どこに出るの?」
 依子は、低《ひく》い声で訊《き》いた。
「湖《みずうみ》の方だわ」
「湖? そんなもの、あるの? 初《はじ》めて聞いたわ」
「湖っていっても、ただの池《いけ》なの。少し大きいくらいの。町の人が、『湖』と呼んでるだけで」
「まだ遠《とお》いいの?」
「そうね……。私《わたし》も、あまり行ったことがないけど、たぶん、この調《ちよう》子《し》で行けば、まだ一時間はかかると思うわ」
 依子たちはともかく、男たちは、棺《かん》という大《おお》荷《に》物《もつ》をかついでいるのだ。どんどん、ペースは落《お》ちていて、尾《び》行《こう》するのは至《いた》って楽《らく》であった。
「——もうすぐ陽《ひ》が落ちるわ」
 と、多江が言った。
 実《じつ》際《さい》、山の中は、そろそろ影《かげ》の中に入って、ほの暗《ぐら》くなりかけていた。風が冷たくなっている。
「ワッ!」
 と、突《とつ》然《ぜん》、男の一人が声を上げたので、依子と多江は、一《いつ》瞬《しゆん》、気《き》付《づ》かれたのかと身を伏《ふ》せた。
 しかし、続《つづ》いて、何かが岩《いわ》にぶっつかるような音がしたので、事《じ》情《じよう》が呑み込めた。棺《かん》を落《お》としたのだ。
「何だ、だらしねえぞ!」
 もう一人が怒《ど》鳴《な》る。
「だけど——もうだめだよ」
 と、完《かん》全《ぜん》に参《まい》っている様《よう》子《す》。
「俺《おれ》だって疲《つか》れてるんだ。だけど、言いつけられた所《ところ》まで運《はこ》ばないと、後でどやされるんだぜ」
「分るもんか!——誰《だれ》も調《しら》べに来るわけじゃあるめえし、ここで埋《う》めちまおうぜ」
「だけど……」
 と、ためらいながら、こっちもかなり迷《まよ》っている様《よう》子《す》である。
「ここだってあそこだって、大して変《かわ》らないじゃねえか」
「そりゃな。——でも、ばれたら怖《こわ》いぜ」
「俺たちが黙《だま》ってりゃ、分りっこねえよ。そうだろ?」
「じゃ、ちゃんと言われた通りの所へ埋《う》めた、って言うのか?」
「それでいいさ。分らなきゃ関《かん》係《けい》ないだろ」
「うん……」
 相《あい》手《て》も息《いき》をついて、「よし、そうするか」
 と賛《さん》成《せい》した。
「助《たす》かった! じゃ、この辺《へん》を掘《ほ》ろうぜ」
「じゃ、せめてわきの方にしよう。ここじゃ、人が通るかもしれねえ」
「じゃ、その木の陰《かげ》だ。早くしよう。夜になっちまう」
「OK。じゃ、棺《かん》を運ぶぞ」
「そうなりゃ、力が出るさ」
「現《げん》金《きん》な奴《やつ》だ」
 と笑ったのは、雑《ざつ》貨《か》屋《や》の息《むす》子《こ》である。
 二人の姿《すがた》が、木の陰《かげ》に隠《かく》れて、見えなくなった。
 少しして、ザッ、ザッ、という音が聞こえて来た。穴《あな》を掘《ほ》っているのだ。
「戻《もど》ろう」
 と、多江が言った。
「えっ?」
「夜になるもの。明りも何もないんだよ」
 そうだった。依子は、尾《び》行《こう》に夢《む》中《ちゆう》で、そこまで考えていなかったのだ。
「——場《ば》所《しよ》は分る?」
「うん、ちゃんと憶《おぼ》えてる」
 と、多江は肯《うなず》いた。
「あれを掘《ほ》り出せば、動《うご》かぬ証《しよう》拠《こ》になるわ」
「でも慎《しん》重《ちよう》にやらなくちゃ」
 と、多江は首を振《ふ》った。「あれが叔《お》母《ば》さんだったとしても、町の人間が殺《ころ》したって証《しよう》拠《こ》はないんだもの」
「私《わたし》が見たわ」
「反《はん》対《たい》の証人が、十人は出て来るわ」
 と、多江は言った。「挙《あげ》句《く》に、谷の人間が犯《はん》人《にん》、ってことにされかねない。よほど慎重にやらなきゃ」
 局《きよく》外《がい》者《しや》の自分より、当《とう》事《じ》者《しや》である多江の方がよほど冷《れい》静《せい》なのに、依子は心を打《う》たれた。
 そこまでには、どれだけ、ひどい仕《し》打《う》ちを堪《た》えて来た過《か》去《こ》があったのだろうか。
「ともかく、今は戻《もど》りましょう」
 と、多江は言った。「少しでも明るさの残《のこ》ってる内《うち》に、町の見える所《ところ》まで行かなきゃ。谷へ案《あん》内《ない》するのは、また今《こん》度《ど》だわ」
「残《ざん》念《ねん》ね。でも——」
 歩き出して、依子は、ちょっと振《ふ》り向《む》いた。
「大《たい》変《へん》な切り札《ふだ》をつかんだわ。向うは、こっちに見られたことを知らない。この強《つよ》味《み》を利《り》用《よう》しなきゃ」
 足早に、来た道を戻りながら、多江が苦《く》笑《しよう》した。
「大変な先生もいたもんね」
「そうよ。教《きよう》師《し》だって、作《さく》戦《せん》を立てる能《のう》力《りよく》は必《ひつ》要《よう》なんだから」
 と依子は言ってやった。
 
 辛《かろ》うじて、町を見下ろす丘《おか》に辿《たど》りついた。
「——間に合ったわ!」
 と、多江は息《いき》を弾《はず》ませた。
 多江が息を弾ませているのだ。依子の方は、ハアハアと、肩《かた》で息をしていた。
「先生を迷《まい》子《ご》にさせちゃ、申《もう》し訳《わけ》ないもんね」
 と、多江は明るく言った。
 たった今、叔《お》母《ば》のものに間《ま》違《ちが》いないと思える棺《かん》を見て来たばかりだ。それでいて、こうして、明るく振《ふ》る舞《ま》っていられる。
 その逞《たくま》しさが、依子には羨《うらやま》しくもあり、また哀《かな》しくも思えた。
 実《じつ》際《さい》、もうすっかり夜になって、町は、ただ光の点の平《へい》面《めん》に過《す》ぎない。
「ここからなら、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》よ」
 やっと、少し呼《こ》吸《きゆう》を整《ととの》えて、依子は言った。「それより、こんなに暗《くら》くて、あなたは帰れるの?」
「私《わたし》はコウモリだもの」
 と、多江は言った。「超《ちよう》音《おん》波《ぱ》を出すの」
「まさか」
 と、依子は笑《わら》った。
「吸《きゆう》血《けつ》鬼《き》の親《しん》類《るい》かもね。——慣《な》れた道だもの、平《へい》気《き》よ」
「さっきの二人に出会わないでね」
「お化《ば》けのふりして脅《おど》かしてやるわ」
 多江は、二、三歩離《はな》れて、「じゃ、先生、またね」
 と言った。
「待《ま》って! 明日、会える?」
「私《わたし》は仕《し》事《ごと》よ」
「あのレストランに行くの。そこで刑《けい》事《じ》と会うのよ」
「そう」
「あなたとは、まだ知らないことにしておいた方が——」
「そうして。悪《わる》いけど」
 と、多江は言った。「信《しん》じないわけじゃないの。ただ——」
「無《む》理《り》に、とは言わないわ。話の結《けつ》果《か》は、改《あらた》めて……。じゃ、明日ね」
 多江は、わざとかしこまって、
「おいでをお待《ま》ちしております」
 と、言って、小走りに去《さ》って行った。
 すぐに姿《すがた》は暗がりの中に消《き》え、足音の方が長く残《のこ》っていた。
 依子は、学校の方を回って、町へ戻《もど》ることにした。町へ入るところを、誰《だれ》かに見られても、学校の方《ほう》角《がく》からなら、怪《あや》しまれることはあるまい。
 依子は、張り切っていた。
 もちろん、あの棺《かん》を目にしたのはショックだったが、しかし、向《むこ》うの弱《よわ》味《み》を握《にぎ》っているのだ。
 せっかくつかんだ有《ゆう》利《り》な札《ふだ》である。じっくりと構《かま》えて使《つか》おう。
 学校が見えて来て、依子は足を止めた。
「変《へん》だわ」
 と呟《つぶや》く。
 ——明りが点《つ》いているのだ。
 こんな時間に誰《だれ》が? 依子は、緊《きん》張《ちよう》した。
 襲《おそ》われて、裸《はだか》にされた記《き》憶《おく》がよみがえる。——しかし、用心していれば、そう不《ふ》意《い》をつかれることはない。
 いざ取っ組み合いにでもなったら、負《ま》けちゃいないから!
 依子は、学校へ近《ちか》付《づ》くと、足を緩《ゆる》めた。——用心に越《こ》したことはない。
 明りが点いていて、時《とき》折《おり》、影《かげ》が揺《ゆ》れる。誰か、いるのだ。
 依子は、校《こう》舎《しや》の中へ滑《すべ》り込《こ》んだ。
 静《しず》まり返った校舎。——廊《ろう》下《か》の奥《おく》に、光が洩《も》れている。
 パチパチ、という音。あれは何だろう?
 依子は、耳を澄《す》まして、考えていた。チーン、という音で、思い当る。タイプライターだ! チーンと鳴《な》るのは、キャリッジが戻《もど》る音である。
 それにしても、誰《だれ》がタイプなど打《う》っているのだろう? それも、あまりうまいタイピストではない。
 雨だれ、というほどひどくはないが、しかし、およそ単《たん》調《ちよう》なリズムである。
 依子は、そっと廊《ろう》下《か》を進《すす》んで行った。
 何しろ古《ふる》い校《こう》舎《しや》だ。時々、足下の板《いた》が、ギーッと鳴ったりして、肝《きも》を冷《ひ》やしたが、タイプを打っている人間は、夢《む》中《ちゆう》らしく、気《き》付《づ》かない様《よう》子《す》だ。
 今日は、探《たん》偵《てい》の真《ま》似《ね》ごとばかりだわ、と依子は思った。
 明りの点いているのは、職《しよく》員《いん》室《しつ》である。では——水谷だろうか?
 しかし、水谷が、こんな時間に学校へ来て仕《し》事《ごと》をしているなんて、ちょっと考えられないことだ。
 慎《しん》重《ちよう》に、窓《まど》に寄《よ》って、顔を出してみる。
 やはり、水谷だった。依子の方に背《せ》中《なか》を向けて、一心にタイプを打っている。
 何だろう?——どうも、納《なつ》得《とく》しかねて、依子は、目をこらした。
 ハッとした。——傍《そば》の机《つくえ》に、手《て》提《さ》げ金《きん》庫《こ》が置《お》かれている。開《あ》けたままだ。
 そうか!
 多江の話を思い出した。水谷が、学校のお金を使《つか》い込《こ》んだことを……。
 一《いち》度《ど》やれば、二度目はやさしい。三度目はもっとやさしいだろう。
 タイプは、伝《でん》票《ぴよう》に違《ちが》いない。本校へ出す、一か月分の出金の一《いち》覧《らん》を、打《う》ち直《なお》しているのだ。自分が使《つか》った金に、何か名目をつけて、帳《ちよう》尻《じり》を合わせているのだろう。
 何てことだ!
 依子は、激《はげ》しい怒《いか》りに、顔を紅《こう》潮《ちよう》させた。
 怒りのこもった視《し》線《せん》が、感《かん》じられたのかどうか、水谷は、ハッと振《ふ》り向《む》いた。
 視線が合う。——一《いつ》瞬《しゆん》、迷《まよ》ったが、依子は、見られたからには強く出るしかない、と決《けつ》心《しん》した。
「——お仕《し》事《ごと》ですか」
 と、職《しよく》員《いん》室《しつ》に入って行く。
「やあ、どうも……」
 水谷は、引きつったような笑《え》顔《がお》を向《む》けた。
 分っているのだ。見られてしまったことを……。
「学校のお金ですよ」
 と、依子は言った。
 水谷は、フウッと息《いき》をついて、
「やはり、分りましたか」
 と言った。「中込先生は鋭《するど》いからな。いずれ知れると思ってましたよ」
「いくらぐらい?」
 水谷は、開《ひら》き直《なお》ったのか、いとも平《へい》然《ぜん》と、言った。
「四、五十万というところでしょうかね」
「前にはいくらでしたの?」
 水谷は、ちょっと顔をこわばらせた。
「なるほど……。よくご存《ぞん》知《じ》ですね」
「いくらでした?」
 と、依子はくり返《かえ》した。
「二百万ほどのものです。政《せい》治《じ》家《か》あたりに比《くら》べりゃ、大したことはない」
「正《せい》当《とう》化《か》するには、無《む》理《り》がありません?」
 水谷は笑《わら》って、
「正当化したいなんて、思ってもいませんでしたよ」
 と言った。
「不《ふ》正《せい》を認《みと》めるんですね」
「もちろん。しかし——」
 と、依子の方へ指《ゆび》を突《つ》き出した。「中込先生だって同《どう》罪《ざい》ですよ」
「何ですって?」
「私《わたし》一人が使《つか》い込《こ》んだという証《しよう》拠《こ》はない。この手提げ金《きん》庫《こ》は、あなたも開《あ》けられるんですから」
 依子はおかしくなった。
「おどしてるつもりですか? そんなこと、調《しら》べればすぐに分ります。水谷先生は、警《けい》察《さつ》の取《と》り調《しら》べに堪《た》えられる方じゃないと思いますけど」
 水谷が、ちょっと青ざめた。
「届《とど》けるつもりですか?」
「他《ほか》に、どうしろとおっしゃるの?」
「目をつぶる、という手もありますよ」
 水谷は立ち上った。
「無《む》理《り》です」
「いいですか。そんなことをしたって、あなたには一文の得《とく》にもならない。二人でうまくやれば、百万や二百万の金はすぐに手に入りますよ」
「やめて下さい」
 苛《いら》々《いら》して言った。
「しかし——」
「ともかく、聞くつもりはありません」
 依子はタイプの方へ歩み寄《よ》って、水谷が打《う》ちかけていた用紙を引き抜《ぬ》いた。
「これが証《しよう》拠《こ》になるでしょうね」
 それに目を通している間、警《けい》戒《かい》心《しん》が薄《うす》れていた。
 水谷が、まさか襲《おそ》いかかって来るとは、思ってもいなかったのだ。
 突《つ》き飛ばされて、依子は床《ゆか》に転《てん》倒《とう》した。水谷がその上《うえ》に倒《たお》れて来る。依子を押《おさ》えつけようとした。
「何をするんです!」
 依子は叫《さけ》びながら、激《はげ》しくもみ合った。
「何を——気《き》取《ど》ってるんだ!——どうせ処《しよ》女《じよ》じゃないくせに!」
 水谷が、まるで別《べつ》人《じん》のように、荒《あら》々《あら》しく依子を組み敷《し》こうとした。依子も、予《よ》想《そう》外《がい》のことに抵《てい》抗《こう》が遅《おく》れた。
「諦《あきら》めろ!——どうせ——かなわないんだぞ」
 水谷の手が、依子の胸《むな》元《もと》へ入ろうとする。依子は、水谷を甘《あま》く見ていたらしい、と思った。
 乱《らん》暴《ぼう》なことには縁《えん》のない男だと思っていたのだ。
 しかし、見かけからは、思いもよらない力で、依子は押え込《こ》まれてしまった。足が依子の膝《ひざ》を割《わ》って来る。
 かみついてやろうとしても、巧《たく》みに逃《のが》れて、そうはさせないのだ。
「どうだ——俺《おれ》のことを馬《ば》鹿《か》にしてたんだろう?——さあ、これで、どうだ!」
 水谷の右手が依子の首にかかった。息《いき》がつまる。依子は必《ひつ》死《し》で頭を振《ふ》ったが、振り離《はな》すことはできなかった。
 殺《ころ》す気はないのだ、と依子は悟《さと》った。ただ、抵《てい》抗《こう》する力を失《うしな》わせるためなのだ。
 その力の入れ方。——依子は必死で、冷《れい》静《せい》になろうと努《つと》めた。
 もう少し——もう少し我《が》慢《まん》して!
 依子は、ぐったりと、体の力を抜《ぬ》いた。半ば失《しつ》神《しん》しているように見せかける。
「よし、それでいいんだ……」
 水谷の手が離れた。
 同時に、依子は体をひねった。水谷が横《よこ》へ投《な》げ出されるように引っくり返《かえ》る。依子は飛《と》び起《お》きて、廊《ろう》下《か》へ向《むか》って走った。
「待《ま》て!」
 水谷が追《お》って来る。
 廊下を走る依子の前に、人《ひと》影《かげ》が立った。
「助《たす》けて!」
 と、依子は叫《さけ》んだ。
「どうしました?」
 河村だった。
 依子を抱《だ》き止めると、びっくりしたように、
「先生、どうしたんです?」
 と言った。
 追って来ていた水谷が、足を止め、クルリと向きを変《か》えて逃《に》げ出した。
「ありゃ、水谷先生じゃないですか!」
 と、河村は、呆《あき》れたように言った。
 依子は、疲《つか》れ切っていた。廊下にヘナヘナと座《すわ》り込《こ》んでしまったのだ……。
「何《なに》事《ごと》です?」
 と、河村が訊《き》いた。
 依子が事《じ》情《じよう》を説《せつ》明《めい》できたのは、十五分ほどもたってからだった。
「——なるほど」
 河村は、タイプ用紙を眺《なが》めて、「これは問《もん》題《だい》だ」
 と、ため息《いき》をついた。
「ともかく、不《ふ》正《せい》にお金を使《つか》っていたんです」
「学校の先生がねえ」
 河村は首を振《ふ》った。「世《よ》も末《すえ》だな」
「どうします?」
 と、依子は言った。
 もみ消《け》されては困る。
「もちろん、先生には出頭していただくことになりますね。公《こう》金《きん》の横《おう》領《りよう》と文書偽《ぎ》造《ぞう》、それに婦《ふ》女《じよ》暴《ぼう》行《こう》……」
「未遂です」
 と、依子は付《つ》け加《くわ》えた。
「未《み》遂《すい》ですね。——いずれにせよ、あの先生はもうここへは戻《もど》りませんよ」
 依子は、ふと、河村の言《こと》葉《ば》に、ひどく冷《ひ》ややかなものを覚《おぼ》えた。
 
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