本日もセンチメンタル23

 23 追いつめられて

 
 
 ここで詩《し》織《おり》が大《だい》活《かつ》躍《やく》、たちまち三《み》船《ふね》とその六人の子分をのしてしまった、と来れば、お話の方は簡《かん》単《たん》だが、いくら小説でもそこまで都合良くはいかない。
 
 詩織は別に空《から》手《て》の有段者でも、柔《じゆう》道《どう》の黒帯でもないのだ。
 
 ま、「空手」よりは「空《くう》腹《ふく》」、「黒帯」よりは「腹帯」の方に縁《えん》がある(小さいころ、よくオヘソを出して寝《ね》ていて、お腹《なか》をこわしたので)。が、これじゃ、敵をやっつけるわけにいかない。
 
「エイッ!」
 
 と、三船に体当りした詩織、そこは体重の差で、ドン、とはね返されてしまった。
 
「キャッ!」
 
 と、悲《ひ》鳴《めい》を上げて、尻《しり》もちをつく。
 
「勇ましいこった」
 
 と、三船は笑った。「おい、せっかくこんだけ見物人が大勢いるんだ。裸《はだか》にひんむいてサービスしてやれ」
 
「な、何よ! お巡《まわ》りさんが来るわよ!」
 
 詩織が強がっても、首ねっこをつかまれてギュッと引っ張り上げられると、首の辺《あた》りが苦しくなって、目を白黒。
 
 哀《あわ》れ、ここで詩織も一《いつ》巻《かん》の終り——かと思うと——。
 
 ゴーン……。
 
 季節外《はず》れの除夜の鐘《かね》みたいな音がしたと思うと、詩織の体がまた重力に任された。つまり、落下した。
 
「逃《に》げるんだ!」
 
 ぐい、と手首をつかまれる。——隆《たか》志《し》だった!
 
 子分の一人が、ウーンと唸《うな》り声を上げて引っくり返る。
 
 隆志が、その辺の屑《くず》入《い》れ(鉄の大きな缶《かん》みたいなものである)で、ぶん殴《なぐ》ったのだ。
 
 詩織は、あわてて立ち上ると、引っ張られて走り出した。
 
「隆志!」
 
「急げ!」
 
 二人が、人ごみをかき分けて駆《か》けて行くと、三船の方も、やっと怒《おこ》り出したのか、
 
「おい! 逃がすな!」
 
 と、怒《ど》鳴《な》った。
 
 ワーッと子分たちが詩織と隆志を追って駆《か》け出す。
 
「どいてくれ!」
 
 何しろ人が多くて、思うように逃げられないのだ。隆志が大声を出しながら、走る。
 
「隆志! そっちは——」
 
「あそこへ逃げ込もう!」
 
 隆志が、走りながら、指さしたのは——何と、あの〈お化《ば》け屋《や》敷《しき》〉だった!
 
「あ、だめ! あそこはだめ!」
 
 と、詩織は叫《さけ》んだ。
 
「だめって、どうして!」
 
「だって——」
 
 事情をゆっくり説明している暇《ひま》はない。
 
「ね。じゃ他《ほか》の方へ!」
 
 と詩織は言ったが、三船の子分たちで足の速いのが、何人か先へ回って、正面から駆けて来るのが見えた。
 
「まずい!」
 
 やっぱり、〈お化け屋敷〉しかない!
 
 二人は、仕方なく、〈お化け屋敷〉へと飛び込《こ》むことにした。
 
「入場券は?」
 
「そんなもん、いいよ!」
 
「だけど——」
 
 詩織としては、少々気になったのだが、この際、そんなことは言っておられない、というのも事実だったので、やむを得ず、入口から飛び込んだ。
 
「——ああ、参った!」
 
 隆志がハアハア息をついている。
 
「私だって……。でも、追いかけて来るわよ!」
 
「分《わか》ってるけど……。少し休まないと」
 
「休む?——そうだ!」
 
 詩織は、中を進んで行くと、さっき啓《けい》子《こ》が連れて行ってくれた休《きゆう》憩《けい》室《しつ》を捜《さが》した。
 
「ええと……確かこの辺だわ」
 
女《おんな》吸《きゆう》血《けつ》鬼《き》の姿《すがた》はなかった。休んでいるのかしら?
 
「おい、どこへ行くんだよ?」
 
「いいから。——こっちだわ、確か」
 
 手を引っ張って、詩織は古井戸の裏《うら》手《て》へ回った。「この壁を——」
 
 壁を押《お》すと、クルリと回って休憩室へ出る。中は誰《だれ》もいなかった。
 
「おい、どうしてこんな所、知ってるんだよ?」
 
 と、隆志がびっくりしている。
 
「さっきね。鬼に案内してもらったの」
 
 暑い! コーラでも飲もう。
 
「呑《のん》気《き》な奴《やつ》だな」
 
「何よ。大体、あんたが貧血起してのびちゃうからいけないんでしょ!」
 
 隆志が貧血を起したことと、三船に追われたことは、一応関係ないはずだが、こう言えば隆志としても、何も言い返せない、と分っているのである。
 
「そりゃ……人間、誰だって、欠点ってのはあらあ」
 
 と、隆志はブツブツ言っている。
 
「それより、啓子さん、どこへ行ったのかしら」
 
「あの女の子? 会ったのか?」
 
「ここでね。女吸血鬼になってたの」
 
 隆志は、一《いつ》瞬《しゆん》青ざめた。本当の吸血鬼に変身したのかと思ったのである。
 
「それより、花《はな》八《や》木《ぎ》の奴《やつ》! 肝《かん》心《じん》の時になるといなくなるんだから! 全く!」
 
 コーラをぐっと飲むと、詩織は腹《はら》立《だ》たしげに言った。
 
「だけどさ——」
 
 と、隆志が言いかけた時、
 
「おい! 徹《てつ》底《てい》的に捜《さが》せ!」
 
 と、怒《ど》鳴《な》る声がした。
 
「来たよ」
 
「そうね」
 
「どうする?」
 
「知らない」
 
「お前——」
 
 隆志が唖《あ》然《ぜん》として、「先のことも考えないで、ここへ飛び込《こ》んだの?」
 
「あら、ここへ来たらって言ったのは隆志じゃない」
 
「そりゃそうだけど……。俺《おれ》はただ、ここを通り抜《ぬ》けて逃《に》げるつもりだったんだ」
 
「私、ただ喉《のど》が乾《かわ》いたから、コーラが飲みたかっただけだもん」
 
 と、詩織が言っている間にも、
 
「おい! 構わねえ、どこでも叩《たた》き壊《こわ》して、捜すんだ!」
 
 と、声がして、ドタン、バタン、バリバリ……。
 
 あちこちぶっ壊している音が聞こえて来た。
 
「どうするんだよ! ここも見付かっちまうぞ」
 
「じゃ——私が悪いって言うの? 何もかも私のせいだと……」
 
 詩織の目から大《おお》粒《つぶ》の涙《なみだ》が——。
 
「分《わか》った! お前のせいじゃない!」
 
 隆志はあわてて言った。「本当だ。悪いのは俺《おれ》だ!」
 
「そう?」
 
「そうだ」
 
「じゃ、何もかも?」
 
「何もかも」
 
「メス猫《ねこ》にヒゲがあるのも?」
 
「ああ、俺が悪い! ともかく泣くな! ここから、何とかして逃《に》げ出さないと……」
 
 だが——遅《おそ》かった。
 
 二人が入って来た入口の壁《かべ》が、ドン、という音と共に押《お》し倒《たお》されて、三船の子分が二人、目の前に立っていたのである。
 
「いたぞ!」
 
 と、一人が怒《ど》鳴《な》った。「おい、こっちだ!」
 
 他《ほか》の子分たちも集まって来る。
 
「ちょうどいいや。ここなら悲《ひ》鳴《めい》を上げたって、誰《だれ》にも聞こえないぜ」
 
 と、一人が笑った。「手間、かけさせやがって」
 
「詩織」
 
 と、隆志が言った。「僕が闘《たたか》ってる間に、逃《に》げるんだ!」
 
「でも——」
 
「いいか!」
 
 隆志が、ワーッと叫《さけ》びながら、突《つ》っ込《こ》んで行くと——ガツン、と音がして、隆志は一発でのびてしまった。
 
 これじゃ、詩織の逃げる間がない。
 
「この娘《むすめ》の方だ、用があるのは」
 
「——コーラ、飲まない?」
 
 と、詩織は言ってみた。
 
 その時、
 
「大変だ!」
 
 と、叫び声がした。
 
 あの、さっき隆志にのされた子分である。
 
「おい、大変だ! 親分が——親分が、殺された!」
 
 それを聞いて、詩織もびっくりしたのだった……。
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