キャンパスは深夜営業18

18 小部屋の話

 
 良二は、ウーンと呻《うめ》いて、目を覚ました。
 何で、こんなに体が痛いんだ?
 頭を振って起き上ると……。ん? 何だ、これ?
 左右を見回して、良二はギョッとした。何だか人相のあまり良くない男たちが、少なくとも七、八人、眠りこけている。
 一瞬、どこに泊ってたっけ、と考えてから思い出した。
 そうだ。ゆうべ……。
「おはようございます」
 と声がして、顔を上げると、宍戸がヌッと立っている。
「ど、どうも……」
「お嬢様がお待ちです」
「はあ」
 いつもの屋根裏だが、昨日まで二人だけの城だったのに、今や——何人いるんだろう?
 知香の主だった子分たちが、みんなここへ引越して来たのだ。
 朝までに全員をここへ上げるのは、大仕事だった。
「——おはよう」
 と、知香が、いつものテーブルで待っていて、キスしてくれる。
「今、何時だろう?」
「十一時。もちろん、お昼よ」
「音をたてて、大丈夫?」
「大丈夫。今日はここ、クラブがないの」
 知香は、良二にコーヒーを注いだ。「宍戸さん」
「はあ」
「二人きりの時間なの。あっちへ行っててよ」
「かしこまりました」
「カーテン、引いといてね」
 良二は、トーストをかじりながら、
「ゆうべの引越しは大変だったね」
 と、言った。「それに——あ、そうだ! あの事件は?」
「それが妙なのよ」
 と、知香は首を振った。
「というと?」
「TVも新聞も、まるで取り上げていないのよ」
「まさか!」
「本当よ」
 と、知香は、良二に新聞を渡した。
 なるほど、社会面を開いても、それらしい記事はない。
「どういうことだろう?」
「まだ発見されてないってことは考えられるわ。あのパトカーが、全然、別の事件で来たんだとすれば。でも、TVでもやってないってことは……」
「こんな時間で、まだ?」
「ホテルの人がのんびりしていて、起こしていないか、それとも——」
「それとも?」
「何かの事情で、警察が公表を押えているか、よ」
「そんなこと、あるのかい?」
「もちろんよ。——待って」
 知香は、立ち上ると、「宍戸さん、ちょっと来て」
「何か?」
「ゆうべ話したこと、憶えてるでしょ?」
「殺しの件ですね」
「そう。——ね、警察の方から、情報を集めてみてよ」
「分りました。じゃ、二、三、心当りを当ってみましょう」
 泥棒が、警察に情報源を持っているというのも、妙なものだ。
 良二は、すっかり感心してしまっていた。
「そうだわ、それより……」
 と、知香が、何か思い付いた様子で、「ね、宍戸さん。こうしましょう」
 と、言った……。
 
〈覗《のぞ》き部屋〉だと? フン、下らん!
 米田警部は、軽《けい》蔑《べつ》の目で、その看板を眺めた。
 どうせろくでもない女が、面白くもない裸をチラッと見せて、はいおしまい、ってなもんだ。いつもそうだからな。
 米田は、しかし、しばらくそれを見て、ためらっていた。
 呼出しがあったのは、確かに、この店の前である。しかし、時間はまだ大《だい》分《ぶ》早かった。
 だとすれば——周囲の様子を探っておくのも、警官としては、必要かもしれない。
「うん、これも任務だ」
 と、自分に言い聞かせるように肯きながら言って、その〈覗き部屋〉と書かれた入口から中へ入って行った。
「毎度どうも」
 と、声をかけられ、米田は仏《ぶつ》頂《ちよう》面《づら》で、
「俺は初めてだ」
 と、言い返したりした……。
 金を払って、開いているドアを開けた。
 腰をおろすと、もう身動きできない感じの小さな部屋。そこに、小さな窓がついていて、今は閉じている。
 米田は、それでも何となく落ちつかない気分で、エヘンと咳《せき》払《ばら》いしたり、意味もなく、左右を見回したりしていたが——何も見えやしないのである——その内、コトッと音がして、窓が開いた。
「——警部さん」
 と呼ばれて、びっくりした。
「ん?」
 窓の向うで、見たことのある顔が、笑っている。米田は唖《あ》然《ぜん》とした。
「あ! ——若林知香!」
「いらっしゃいませ」
 と、知香はいたずらっぽく言った。「残念ですけど、ヌードは見せられませんの」
「 おい! そこを動くな! 今——今——」
 ドアを開けて、飛び出そうとしたが……。「ドアが——畜生! どうなってるんだ!」
「開かないわよ」
 と、知香が言った。
「何だと?」
 米田は愕《がく》然《ぜん》として、「じゃ、ここへ閉じ込めるつもりだったのか!」
「あら、入って来たのは、そっちの勝手でしょう」
 米田も、そう言われると弱い。
「うむ……。しかし、これはずるい!」
 知香は笑って、
「私は、お話があって、来てもらったのよ。こんな風でないと、ゆっくり話もできないしね」
「何だ、一体?」
「一つは、笠間たちのこと」
「こっちの知ったことか」
「笠間たちがのさばったら、もっともっと凶悪な事件がふえるわよ。——もちろん、これは私たちの問題だけど」
「笠間は、なかなか抜け目のない奴《やつ》だ」
 と、米田は言った。「用心するんだな。大物とつながっているという噂《うわさ》だ」
「大物?」
「それが誰かは知らん。しかし、かなり、政界の上の方の誰かだってことだ」
「政界の……。そうか、それであんなに強気なのか」
 と、知香は肯《うなず》いた。
「お前じゃ、とても相手にならんぞ」
「心配してくれるの?」
「お前が殺されちゃ可哀そうだ、と思ってるだけだ」
「ありがとう。結構やさしいんだ」
「何を言うか! この手でお前に手錠をかけてやるぞ」
「その時が来たらね。——もう一つ、訊きたいんだけど」
「何だ?」
「昨日、〈K〉ってラブホテルで、女が殺されたでしょ」
「何だと?」
 米田が目をむいた。
「そういう話、入ってない?」
「うむ……。確かに、そんなことは聞いたが……。しかし、あれは——」
「報道してない。どうして?」
 米田は、知香の顔を覗《のぞ》き込んで、
「どうしてそんなことを、お前が知ってるんだ?」
 と、言った。
「わけがあってね。ね、教えてよ、どうしてなの?」
「うむ……。よくは知らん」
 と、米田が目をそらした。
「どうして隠すの? 死体の身許だって、分ってるんでしょ? 平田千代子だって」
 米田は、ため息をついて、
「そこまで知ってるのか」
「どうして公表しないの?」
「事情があるからだ」
「どんな?」
「言えん」
 知香は、しばらく間を置いて、
「もしかして……警官がやったんじゃないか、とか?」
「そんなことは——言えん!」
 米田は、ますます渋い顔になった。
「そこまで言ったら同じよ。教えてよ。ねえ?」
 米田は、しばらくして肩をすくめ、
「いつまでも伏せちゃおけんしな……。いいだろう」
 と、言った。「女と付合っていた男の名が出たところで、ストップがかかったんだ」
「どうして? 男って誰?」
「うむ。——お前の通っていた大学の、金山という教授だ」
 金山が、平田千代子と? 知香はびっくりした。
「でも——金山先生だと、何で警察がまずいの?」
「金山教授というのは、今の警察庁の金山長官の弟なんだ」
「長官の……」
 知香は肯いた。
 金山と平田千代子。——果して本当に、二人は関係があったんだろうか?
 そう。それとも、平田教授がそう言ったのか。
「——ありがと、米田さん」
 と、知香は言った。「バイトの女の子のヌードでも見る?」
「いいから、出してくれ」
「五分したら、そのドアが開くわ」
 知香はニッコリ笑って、「バイバイ」
 と手を振り、窓を閉めたのだった……。
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