アンバランスな放課後34

34 外車の男

 
 家へ帰るのも、気が重かったので、私は外から一応電話を入れることにした。
「——あ、奈々子? 良かったわ。夕ご飯どうするのか、迷ってたとこよ」
「黒田さんは?」
「帰ったわ。あなたによろしくって」
「そう。何時ごろ?」
「時間?——そうね、あの後、割とすぐじゃない? どうして?」
「別に。じゃ、今から帰る」
「分った。何かこしらえとくわ」
 ホッとして、私は電話を切った。
 千恵とはもう別れていた。——あの子といると、本当にこっちまで元気が出て来る。
 ああいうエネルギーを発散するのは、まあ天性みたいなものだろう。
 家まで、歩いて十分ほどの所から電話していたので、私は少しのんびりと歩いて行くことにした。
 黒田は、あの後、『割とすぐに』家を出ている。
 私をはねかけた車が、黒田のもの、という可能性は、大いにあるわけだ。
 そろそろ、辺りが薄暗くなる時刻だった。
 車の音がして、私は振り返った。つい、敏感になっている。
 何だか、道幅一杯という感じの大きな外車が、滑るように走って来たと思うと、私のそばに来て停った。
 何だろう?
 戸惑っていると、車の窓から、
「芝奈々子君かね」
 と、声をかけられた。
「はあ……」
 ドシッと落ちついた感じの、紳士。まあ会社の社長か重役ってところだろう。
「ちょっと話がある。乗ってくれないかね?」
「え?」
 私は面《めん》食《く》らった。
「私は矢神。貴子の父だよ」
 矢神貴子の父親!——私は一瞬、息をのんだ。
「あの……お話って?」
「長くはかからない。乗ってくれないか」
「はあ」
 運転手が降りて来て、ドアを開ける。
 仕方ない。——私は、矢神の隣に乗り込んだ。
 車がゆっくりと走り出す。
「あの……」
「娘が、いつも世話になっているね」
「あ、いえ……」
 何のつもりだろう?——私にも、選挙から手を引けとか言うつもりかしら。
「今度、生徒会長の選挙があるそうだね」
 と、矢神が言った。
「ええ。——ご存知でしょう」
「実はね、うちの子会社の社長が、困って相談して来たのだ」
「え?」
「どうも貴子が、君と組んでいる子に、色々、圧力をかけているらしい」
「ご存知なかったんですか」
 と、私は唖《あ》然《ぜん》として言った。
「そこで、君の話を聞きたいと思ったのさ。本当のところを、聞かせてくれないかね」
 私は、しばらく何と言っていいのか、分らなかった。
 しかし——考えてみれば、矢神貴子は、それぐらいのこと、勝手にやりかねない。
「分りました」
 私は、そもそも立候補からして、おそらく彼女の仕組んだことだというところから始めて、特に竹沢千恵の方に、色々ないやがらせや圧力があることを説明した。
 もちろん、矢神がそれを信じるかどうか、私には分らなかったが、ともかく、向うが話してくれと言うのだ。遠慮なく、言わせてもらうことにした。
「——そうか」
 矢神は、私が話を終えると、肯《うなず》いて、「その子の家は、そんなに深刻になっているのか……」
「ええ。千恵当人も、考えています。表には出さないけど、分ります」
「なるほど」
 矢神は肯いて、目を閉じた。
 しばらく、重苦しい沈黙があった。
 矢神が何と言い出すか、私は、じっと待っていた……。
「——分った」
 矢神は目を開けた。「君や、その竹沢という子には、全く、すまないことをしたね」
 私はホッとした。
「じゃ——」
「貴子のすることを信用して、何も口は出さなかったが、却《かえ》って、あの子にとってはまずいことになったようだ」
 矢神は、ため息をついた。「——あの子は大人だ。君も分っているだろうが」
「ええ」
「だから、私も、あの子の自主性を尊重していた。しかし、社長の娘という立場を利用するというのでは、放っておけない」
 矢神は私を見て、ニッコリ笑った。「君はなかなかしっかりした子だね」
「いえ……」
「貴子の奴も、まだ人を見る目がない。君や、その竹沢という子なら、自分の思い通りになると思ったんだろう」
「だと思います」
「ところが、当てが外れて、当人も焦ったんだな」
「でも——私はともかく、竹沢さんは可哀《かわい》そうです」
「うん」
 矢神は肯いた。「そのことは心配ない。子会社の社長へ、そんなことを仕事の場へ持ち込むな、と言っておいた」
「良かった」
「貴子にも、よく言っておく。——君らは、心おきなく選挙を戦ってくれ」
 車は、いつの間にか、マンションの前に来ていた。「ここだね、君の家は」
「そうです」
 運転手がドアを開けてくれる。私は、
「ありがとうございました」
 と、礼を言って、外へ出た。
「その内、会社へ一度遊びにおいで」
 と、矢神は声をかけて来た……。
 ——車が走り去るのを見送って、私は心が軽くなっているのを感じた。
 良かった!
 もちろん、矢神貴子は頭に来ることだろうが、少なくとも、表立って、妨害したり圧力をかけたり、ということは、もうできなくなるに違いない。
 私は、千恵にこのことを知らせてやろうと急いでマンションへ入って行った。
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