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 こんなことって、テレビドラマの世界だと思っていた。
 とんでもない話だよね、朝の海で女の子と知り合うなんて。あまりに安易。
 ぼくは、ジョッグをしていた。毎朝の七キロ。からだをほぐすためのやつ。朝練習はその程度で充分。ここで疲れちゃうとね、かえって午後にひびく。
 だいたい、日本では練習っていうと、どんなスポーツでも、量をやれば偉いって感じでしょう? 長い時間走るとか、腕立て伏せ一〇〇回とか。
 ぼくは、そういうのって、だいっきらい。最低だと思う。苦しい練習して、精神力、根性つけるのが目的なら、朝から晩まで机にかじりついて漢字書き取りするとか、たき火の中を裸足で歩いて渡ってみるとかね、いくらでも他に方法はある。
 本当に速く走れるようになりたかったら、無駄に疲れる練習なんてしたらいけないよ。ぼくはいつも思うんだけど、筋肉は絶対にそんなのは望んでない。量よりは質の問題で、適度な刺激を与えて、そのあとは、むしろ回復させるのに時間をかけるべき。だらだら練習してるから、スプリントがなくなっちゃうんだ。
 家から砂浜までは舗装された道。ゆっくり、ほとんど速足ぐらいのスピードで、体重をかけずに軽くいく。ときどき出勤のひとを追い抜きながら、分譲地の家々の間を、いったんはくだって、県道に出る。
 そして、もういちど坂をのぼりきると、海が見える。
 見慣れた光景なのだけれど、坂の頂上では、水平線まで盛り上がっている海の水が、こちら側にあふれて押し寄せてくるような気がいつもする。潮の香りのする風を受けながらかけおり、国道に沿って走る単線の電車の踏切を越えれば、そこはもう海岸だ。
 道路から海辺へと続くコンクリートの急な階段を足をすべらさないようにして降りながら、ぼくは、幸せだって感じる。走っていることが。自分が生きていることが。
 だって、ぼくの足は、すぐにも砂浜に届くのだ。
 やわらかい砂に、ぼくのアシックスのシューズが触れる。おおげさに言えば、それは官能的瞬間だ。砂はぼくの五八キロをそっと包み込むように受けとめる。かたくり粉を握ったときのギスっという感触で。
 砂浜のどのコースを選ぶかは、体調にあわせて決めていた。調子のよくないときは、比較的硬めで走りやすい水際。もっとも、潮の干満のかげんで、満潮に近い時間にはそういう硬いコースがない場合もあるんだけどね。
 負荷を高めたいときには、いちばん軟らかいところ。波打ち際と、上を国道が走っているコンクリート壁との中間ぐらいを走る。あまり壁に近いあたりは避けることにしていた。乾燥性の植物、昼顔なんかの根が張ってるところがあったり、流木が埋まってたりして、安定していなくて、とっても走りにくい。
 その日は、気分がよかった。
 春休みが終わって高校生になるなんて、べつに全然|嬉《うれ》しいことじゃない。
 それは、陽射しのせい。朝だというのに、光は強く、五月といっても信じられるくらいだった。
 くだけては砂浜を滑るように近づいてくる海水が、あまりにキラキラとしているので、からだは軽かったのだけど、ぼくは誘惑に抵抗できず、水際のコースを選んだ。
 雨の日用のシューズをはいてくるべきだったのだろう。そのまま、数センチに薄くなった透明な液体のひろがりの中に踏み込んでしまいたかった。
 岬まで行って折り返した。細かくなって粒になった貝殻が、潮の流れのせいなのかなあ、うちあげられて集まっているところがある。そこまで来ると、脚を前後に大きくひらいて股関節《こかんせつ》を伸ばした。黒い砂が硬くひきしまっているところでは、五〇メートルぐらいのダッシュ。小さな流れをいくつか飛び越えると、海のにおいが、昨日までよりも強くなっているのがわかる。
 でも、そこまでは、ぼくひとりの、いつもの朝だったわけ。
 奇妙なことになってしまったのは、砂浜の先のほうで、犬がからまりあっているのが見えたところからだ。初めはじゃれあってるだけなのかと思ったけど、そばに女の子がいた。黄緑色の服が揺れるのが目にとまる。
 ぼくは、少しスピードを上げて近づいていった。
 からだは快調。四月の朝早く、砂浜を七キロちかくジョッグしても、ぼくは全然疲れていない。汗ばんでさえない。
 大きな黒いほうの犬は、前から海岸に住みついているやつだ。
 ぼくと顔見知り、っていうのかな、こういう場合も。向こうがぼくを認識しているかどうかは、たぶんしてると思うのだけど、自信はない。
 それで、もう一匹の茶色に白がはいっているのは、首輪から赤い散歩用のひもをたらしていた。女の子は、エリー、って呼んだけど、耳を貸さない。
 なんかね、女の子はあまり必死って感じじゃなくって、うんざりしてるようにも見える。ウエストのあたりに片手をあてて、小さく、ぶつけるようにエリーって、もう一度犬に向かって言って、そして、ぼくと目があってしまった。
 しょうがないから、ぼくは、からまっては少し移動し、止まってはまたからまる犬たちを追いかけ、差別するつもりはなかったのだけど、成り行き上、小さいほうをかかえあげ大きいやつの鼻先を蹴《け》るポーズをした。
 女の子の腕の中にもどっても、エリーの興奮はおさまらなかった。もがいては、もう離れていっている大きい犬に向かってキャンキャンほえた。
 なさけない。
 黒いやつを撫《な》でにいってやろうかと思ってたら、女の子が言った。
「ありがとう、広瀬君でしょう?」
 ぼくの顔を見て微笑む。でも、女の子は、犬があばれるので、すぐにそっちに気をとられる。
 小学校のときかなんかの知り合いかと思ったけれど、心あたりはなかった。ぼくよりだいぶ年上で、大学生のようにも見える。
 黄緑の服は変な形をしていた。厚手のスウェット素材なのだけれど、犬を砂浜におろしてかがんで押さえているだけで、おなかのわきのところから背中まで出てしまった。
 ぼくが、ぼんやりとながめていると、彼女は微笑んで、もう一度|訊《き》いた。
「あの、TWO LAPSやってる、広瀬君でしょう?」
 八〇〇メートルのことを、TWO LAPS、なんて呼ぶのは、どう考えても一般的なことではなかった。だいたい、ふつうのひとは、競技場を二周すると八〇〇メートルになるっていうことを知っているかどうかさえあやしい、とぼくは思う。
 日本ではマラソンとか駅伝が人気がある。あるいは、逆に一〇〇メートル。
 でも、世界的に見たら、陸上競技では中距離、八〇〇とか一五〇〇がいちばん注目を浴びる距離なのだ。
 中距離っていったけど、アメリカでは、八〇〇までをDASHと呼んで、それ以上をRUNとして区別している。つまり、八〇〇までは短距離の扱い。八〇〇メートルを走ることが、どんなに楽しくて苦しくて特別なことなのか、少しはわかってもらえるかな?
 女の子は立ちあがった。砂のついた手を軽くはたきながら、ぼくを見る。
 黄緑の服は、やはり何と呼んだらいいのかわからない形をしていた。
 陸上競技をしているの、とぼくが訊くと、首を振った。
 歩き出すまで、ぼくは気づかなかったのだ。女の子は、脚をひきずっていた。左足を外に開くようにして砂浜をこすってから踏み出す。一歩ごとに肩が上下した。
 ばかな質問をしてしまったと思って凍りついていたぼくに、どうってことないのよ、とわからせるためのように、階段のところで散歩用のヒモをぼくに差し出した。
 それは、とても自然な動作だった。
 そういうわけで、なぜか、ふたり海岸で犬の散歩をして帰ってきました、という感じになってしまった。ぼくがヒモを持ったまま。
 エリーは、ちょっと引いただけで振り向いて、ぼくのことを見て困った顔をし、それから飼い主にとびつく。
 どうも落ち着きのないやつだ。
 結局、家まで行ってしまった。女の子は、「山口《やまぐち》」と書かれた表札を指でさして、
「これ、私の名字」
 と言った。
 当たり前だ。
 でも、考えてみれば、それまでぼくも尋ねなかったし、女の子も名乗らなかった。毎朝走ってるの、とか訊かれて、うん、とか返事しているだけだったのだ。
 山口は、ちょっと待ってて、と言うと、犬を繋《つな》ぎにいった。
 広い芝生の隅にある赤くペイントされた犬小屋は、エリーには不相応に大きかった。山口が、左足をひきずりながら金属のボウルに水をいっぱい入れて運んでくるのを、ぼくは見ていた。
 海に向かう南斜面に庭を大きくとり、テラスには木製の白い椅子とテーブルがあり、開放的な、結局は、このあたりによくある家のつくりだった。
 清潔に磨かれたボウルは、透明な水をたたえ、朝の陽射しを浴びて銀色に光っていた。山口は、顔を突っ込むようにして水を飲むエリーの頭を撫でた。背中がまた、半分ぐらい出る。ぼくは自分ののどの渇きを初めて意識した。
 道路との境は、公園にあるような黒く塗られた金属の角柱とその内側の植え込みとでできていた。山口は横に渡された胸の高さぐらいのてすりのようになっている横棒に、芝生の方から両腕を伸ばしてついて、
「きょうは、ありがとう。とても、楽しかった」
 と言った。
 額に汗がうっすらと浮かんでいた。
「また、陸上の話が聞きたいわ。電話番号、教えてくれる?」
 べつに黙秘するのも変だったので、ぼくはうちのを言った。山口もぼくに教えてくれた。
 山口の家は、ぼくの家とはひとつ離れた丘の中腹だった。
 そこからかけおりてかけのぼって帰ったから、朝の七キロは、ほぼ予定どおり。
 なんだか内容はいつもと大きく違う気がしたけど。
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