日本人の笑い20

   あいびき

 
 
  忍ばずといえど忍ぶにいいところ
 
 ただいま、東京の名物は、いや東京だけではない、大阪、京都、名古屋といった大都会の名物は、バー、キャバレーなどの社交場と、かつてサカサクラゲと称したラブ・ホテルであろう。売春防止法も手伝って、恋愛がいよいよ自由化した結果、青いシトネの利用できる夏場はともかく、暖かい場所を必要とするのであるから、ホテルの数は自由恋愛のシンボルといってよいだろう。
 戦前には臨検というものがあって、家族が多かったり、シュウトメが意地悪なため、やむなくホテルを利用する夫婦者であろうと、はたまた商売人であろうと、警官や私服がおもしろ半分にドカドカとふみこんで、住所氏名を書きとめたりしてさんざん油をしぼり、風の吹きまわしが悪いと、恋人同士でも引ったてられたものだそうな。
 今思えば、夢のようなはなしだ。近ごろ上方では、OLとその恋人たちが、出勤前のひと時をホテルで過ごすことがはやっているそうだが、すこしせわしいけれど、さぞ爽快《そうかい》なことだろう。
 さて、表向き男女関係のやかましかった江戸時代にも、そこはよくしたもので、出合茶屋と称する類似のものがあった。
 出合いとは、デートのことである。そのデート茶屋は、今と同じく江戸市中に散在していたのだが、千駄《せんだ》ヶ谷《や》や湯島のように一ヵ所に集まって有名だったのは、上野は不忍《しのばず》の池のほとりであった。かの陽物神で有名な池中に突き出た弁天島に何十軒かならんでいた。今でもそうであるように、蓮の名所だったので、蓮《はす》の茶屋、また池の茶屋ともいったものである。川柳でよんでいる出合茶屋は、ほとんどここといってよいくらい有名であった。
 それにしても江戸時代の夜は暗く、女性の外出は困難だったから、蓮見にかこつけたりして、たいていは昼間のデートだったようだ。したがって、人目に立つことおびただしい。
  蓮池をこいつと思う二人づれ
  合傘《あいがさ》で来るとは太い出合茶屋
 世間の噂もなんのその、と覚悟をきめた二人は、正々堂々と出はいりしただろうが、忍ばねばならぬからこそ訪れるのだから、一般はそうはいかない。
  出合茶屋あやうい首が二つ来る
というヨロメキ組もあったわけだから、いっしょにはいるわけにはいかない。
  女中さま先刻からと出合茶屋
  さきへ来てめん鳥池に待っている
  白鳥の首ほどのばし女待ち
 先に行って待っているのは、どうも女ばかりのようである。とくに江戸時代の女性がはり切っていたからというわけではあるまい。徹底的な男尊女卑の時代のことだから、
 ——おまえ、先へ行って待っておいで。
かなんかで、男が貫禄を見せた結果であろう。今どきは、
 ——あんた、先へ行って暖めといて。
てなもんである。最後の「白鳥の首」は、
  出合いする所を白鳥のろり見る
という句もあるように、当時は不忍の池にじっさい白鳥が飛来したからなのだが、この二句をソックリ皇居前広場にうつして、ピタリとはまるところがおもしろい。白鳥と腕時計を七三ににらんで、彼氏や彼女を待った覚えのある方は、さぞ、この句が身にしみることでありましょう。
 さて、ここを利用する男女さまざまなる中に、
  むずかしい帯を解かせる出合茶屋
というのはいかがであろう。
 ——これから食事に行くんだが、君もよかったら来たまえ。ちょっとうまいプルニエを発見したんだ。
とまあ、ひけ時に社長か部長にさそわれて、最初はつつがなく車で送られ、三度目あたり気をゆるしてお供をすると、
  むずかしいスーツぬがせる出合茶屋
  口紅がすっぱり池の茶屋ではげ
ということに相なるわけだ。人間というものは、同じようなことを、よくもまあ、あきないでくり返しているもんだ。
 しかしまあ、なんといっても、名だたる不忍の出合茶屋で目立つ存在は、たまに宿下《やどさ》がりしてたまの逢瀬《おうせ》を楽しむ江戸城や大名屋敷の奥女中と、後家《ごけ》さんであった。
  明日はもう上がると出合いしつっこさ
 年になんべんかという、七夕《たなばた》さまみたいなデートだから、いくら燃えても燃えつきない。
 ——じれったいわネエ。明日はあたしお屋敷に上がるのよ。また今度といったって、遠い先のことじゃないの。しっかりしてよ。ねえ後生だから。
 そのせつない気持は、わかりすぎるほどわかるのだが、すでになんべんか事おわった男性といたしては、「かんべんネ。」というよりほかはない。男性の劣等感のきわまる時である。
  根を縛ってももういけぬ出合茶屋
  出合茶屋ゆるせの声は男なり
 いずこの部分の根をしばるのか、不敏未経験にしてわたしにはわからないが、よほどせっぱ詰まった状態であるにちがいない。ついに「ゆるせの声」とともに白旗をかかげた男性の悲惨さを思うにつけても、タフガイというコトバは、実は女性のためのものであることを再認識せざるをえない。
  蓮を見に息子を誘ういやな後家
  蓮葉《はちすば》のにごりに後家はしみにくる
 奥女中とちがって、時間の制限がないから、後家はゆうゆうたるものである。自分の息子ではない、他人の息子、つまりこれと目星をつけた若いつばめを不忍の蓮見にさそって、帰りにご休憩という段取りである。にごりにそまぬはずの蓮葉のにごりにしみに来る、という句なども、どこか芝居がかっておっとりしている。
 どうも、後家さんこと未亡人という存在は、古来気にかかるものらしい。「貞女両夫にまみえず」というきびしい道徳があって、愛していようがいまいが、亭主が死ぬと髪を切って、若い身そらをあたら独身で通すというしきたりなのだから、男としては気がもめるわけだ。性の経験者でありながら空閨《くうけい》を守っているということに、よほど魅力があるのだろう。
 しかも江戸時代の後家は、亡夫への愛のしるしとしての独身ではなく、道徳や遺産にしばられてのやむをえざる空閨というのが多かったのだから、せきとめられた春水は、さぞかし四沢《したく》に満ちてせつないことであろうと、まあ想像されるものだから、好色な男どもが、わあわあと騒ぎたてたのである。おまけに後家は、あくまでも道徳上の身がまえで、恋人を作ったからといって、女房族のように殺されたり、男の方も後家さんと仲よくしたからといって、七両二歩の首代をとられたりする心配がないのだから、なおさらだ。
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