神州天馬侠30

 鞍馬の竹童

 
    三
 
 みんな空をむいて、同じように、眉毛《まゆげ》の上へ片手をかざしている。
 烏帽子《えぼし》の老人、市女笠《いちめがさ》の女、侍《さむらい》、百姓、町人——雑多《ざつた》な人がたかって、なにか評議《ひようぎ》の最中《さいちゆう》である。
「さて、ふしぎなやつじゃのう」
「仙人《せんにん》でしょうか」
「いや、天狗《てんぐ》にちがいない」
「だって、この真昼《まひる》なかに」
「おや、よく見ると本を読んでいますよ」
「いよいよ魔物《まもの》ときまった」
 この人々は、そも、なにを見ているのだろう。
 ここは近江《おうみ》の国、比叡山《ひえいざん》のふもと、坂本《さかもと》で、日吉《ひよし》の森からそびえ立った五重塔《ごじゆうのとう》のてッぺん——そこにみんなの瞳《ひとみ》があつまっているのだった。
 なるほどふしぎ、人だかりのするのもむりではない。太陽のまぶしさにさえぎられて、しかとは見えないが、鶴《つる》のごとき老人が、五重塔《ごじゆうのとう》のてッぺんにたしかにいるようだ。しかも目のいい者のことばでは、あの高い、登《のぼ》りようもない上でのんきに書物を見ているという。
「なに、魔物《まもの》だと? どけどけ、どいてみろ」
「や、今為朝《いまためとも》がきた」
 群集はすぐまわりをひらいた。今為朝《いまためとも》といわれたのはどんな人物かと見ると、丈《たけ》たかく、色浅ぐろい二十四、五|歳《さい》の武士《ぶし》である。黒い紋服《もんぷく》の片肌《かたはだ》をぬぎ、手には、日輪巻《にちりんまき》の強弓《ごうきゆう》と、一本の矢をさかしまに握《にぎ》っていた。
「む、いかにも見えるな……」
 と、五重塔のいただきをながめた武士は、ガッキリ、その矢をつがえはじめた。
「や、あれを射《い》ておしまいなさいますか」
 あたりの者は興《きよう》にそそられて、どよみ立った。
「この霊地《れいち》へきて、奇怪なまねをするにっくいやつ、ことによったら、南蛮寺《なんばんじ》にいるキリシタンのともがらかもしれぬ。いずれにせよ、ぶッぱなして諸人《しよにん》への見せしめとしてくれる」
 弓の持ちかた、矢番《やつがい》も、なにさまおぼえのあるらしい態度だ。それもそのはず、この武士こそ、坂本《さかもと》の町に弓術《きゆうじゆつ》の道場をひらいて、都にまで名のきこえている代々木流《よよぎりゆう》の遠矢《とおや》の達人《たつじん》、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》という者であるが、町の人は名をよばずに、今為朝《いまためとも》とあだなしていた。
「あの矢先に立ってはたまるまい……」
 人々がかたずをのんでみつめるまに、矢筈《やはず》を弦《つる》にかけた蔦之助は、陽《ひ》にきらめく鏃《やじり》を、虚空《こくう》にむけて、ギリギリと満月にしぼりだした。
 塔《とう》のいただきにいる者のすがたは、下界《げかい》のさわぎを、どこふく風かというようすで、すましこんでいるらしい。
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