上杉謙信57

 車掛り

 
 ——すわこそ、謙信、山を降りたか。
 この愕《おどろ》きは、たしかに、信玄の胸の中にはあった。
 けれど、彼の眉は動じない。
 しかも直覚していたのである。事態の重大なることとその急とを。
「…………」
 浦野民部左衛門の報告を聞き取ってから、一瞬、彼はその大きな眼を、瞼《まぶた》の中でぎょろりと動かした。ふふうむと、鼻腔《びこう》から洩る息が聞える。そして、右手の軍配の柄が膝を離れたと思うと、
「室賀《むろが》入道。念のために、もういちど物見をして来い。——謙信ほどな大将が何とて、二十日に余る陣を捨て、一戦も交えず国へ引揚げるはずはない。しかも夜前より千曲を渡りいまなお、この附近に夜を明かしてあるからには、ただの退陣とは心得られぬ。——民部が見違えと思わるる。疾《と》く参って再度、謙信が備えの態を見極めて来い」
 と一隅にいた者の顔を指して命じた。
「はっ。見て参ります」
 室賀入道は、地侍だ。この辺の地理に詳しい。駒の背にとびつくや否、一鞭加えて馳け去った。信玄は続いてすぐ原隼人正を呼び、また山本勘介入道道鬼を呼び、床几の左右へ近々とふたりをさし招いて、何事か忙しげにささやき合っている。
 ——その頃、もうお互いの面には払暁《ふつぎよう》の薄明りが見られていた。たしかに夜は白みかけているのだ。しかしいよいよ深い朝霧に物の色目《あやめ》も識分《みわ》けられない。いや、こうした霧の中では、視線を塞《ふさ》がれるばかりでなく、物の音響すらよく通らないものであった。味方の内の馬の嘶《いなな》きやすぐ其処《そ こ》らの物音すら極めて鈍《にぶ》くしか聞えなかった。
 信玄は十分にそれを計算していた。平常の視覚と聴覚の通念から誤謬《ごびゆう》を生まないように今や細心に日頃の兵法の知識を五官に役立たせていたのである。——にもかかわらず、それでもまだ敵方との距離の推量に、遉《さすが》の彼すら過誤を抱いていたことが、それから寸刻の後に明白になった。
「見て戻りました」
 室賀入道はこれへ帰って来るなり大声で呶鳴った。すでに事態は急迫以上に急迫していたので、跼《ひざまず》いて詳密《しようみつ》に告げている間もなかった。
「越後勢は悉《ことごと》く、お味方を右に見て、幾重にも幾重にも、分厚い縦隊を押迫《おしせば》め、犀川へ犀川へと、こなたを傍目《わきめ》に見捨てて赴《おもむ》く態に見えますものの、実は、旋風《つむじ》のごとく大きな渦を八幡原いっぱいに描きながら、徐々とわが軍へ距離をちぢめつつあります」
 聞くやいな信玄は、羽を搏つ鷲のように、身づくろいを示しながら、
「やはりそうか。それこそ、車掛《くるまがか》りというものぞ」
 と、躍り起《た》っていった。
「さらば隼人正。ただ今、勘介入道も申したごとく、敵にさまでの覚悟あって、手詰の陣掛りして来るからには、味方もこのままの備えでは支え難い。疾《と》く疾く、勘介の指図どおり諸所の部隊へ、陣立更《じんだてが》えのこと、申し触れよ」
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