上杉謙信14

 つなぎ烽火《のろし》

 
 
 他国の使者が着くと、その日から接伴役《せつぱんやく》、案内役が付ききりになる。もちろん目付《めつけ》だ、鄭重なる監視人である。
 逗留数日、きょう信玄が会うというので、斎藤下野は、ひとりだけゆるされて、毘沙門堂内の使者の間へ通された。当日の案内接伴役は、初鹿野《はじかの》伝右衛門と曲淵《まがりぶち》庄左衛門であった。
「ただ今、主君へお告げしておきましたから、しばらくこれで」
 と、控えさせて、甲州の二臣は、わざと下野へ雑談をしかけた。
 下野の風采《ふうさい》というものは、何分にも、彼の国元においてさえ、あまり薫《かんば》しくないものである。まして甲州の歴々は、一見してみなあきれた顔であった。こんな見ッともない小男を——と思った。しかも片目足なえという不具者だ。いまだ曾《か》つてどこの国からもこんな使者は迎えたことがない。
「貴国の越後は、海七分の小国とわれわれは伺っておりますが、事実は、もっと大国でござろうな」
 接伴の曲淵が訊ねると、斎藤下野は悪びれるふうもなく、
「されば、仰せの通り、海ばかり帯びて、至って小国です。当甲州は、強大無比と聞いていますが、たとえばどれほどな大きさでしょうか」
「国の広さは、南北八日路《かじ》といわれています。大国の証拠には、日々、街道すじの往還、荷駄千匹ずつありと申す。以て、御推量がつくでしょう」
「はははは。それは意外」
「何をお笑いめさるか」
「でも、荷駄千匹の往来と御自慢あるが、越後においては、出入りの船、日々《にちにち》千艘《そう》。一艘の船には、馬千疋が負うほどの荷は積みます。してみると甲州は、存外な小国とみえますな」
 曲淵は赤面して黙ってしまった。初鹿野《はじかの》伝右衛門が、それを救うように、
「下野殿。つかぬことを承るが、越後では他国へのお使いに、貴殿のような小男を、わざと選んでお出しになるのかな。失礼ながら、何尺おありになりますか」
 下野は、少しも動ぜずに、すぐこう答えた。
「わが越後では、使者を他国へ向ける場合、先《さき》が大国なれば大なる男を、先が小国なれば小なる男をつかわすことが例になっています。たとえば、貴国へはそれがしのような小男を遣わされたように」
 二の句も出ずに、伝右衛門が口をとじていると、下野はなお、
「身長をおたずねでござったが、こう見えましても、それがしは五尺にわずか一寸ぐらいしか不足ではござらぬ。お見うけするに、御両所はいずれも五尺五寸はおありらしい。それがしより勝ることそもそも何尺。おふたりを合せても、失礼ながら生涯に、それがしほど御奉公をなし得るや否や。剣は三尺に足らずといえども物干《ものほ》し竿《ざお》より勝りましょう。お館には勿体ないものに美々《びび》しい衣裳を着せてお用いではある」
 耐えきれなくなったとみえる。襖《ふすま》の内で信玄が笑ってしまったのだ。さすが卑屈でない。呵々《かか》と高笑しながら、
「大炊。襖《ふすま》をひらけ」
 と、命じ、
「上杉どのの使者か。斎藤下野というか。なかなかおもしろいことをいう。むかし淳于《じゆんうこん》は斉王《せいおう》の命をうけて、楚国に使いし、その途中、楚王《そおう》に贈る鵞鳥《がちよう》を焼いて食べてしまいながら、空籠を奉じて楚王にまみえ、詭弁《きべん》をふるってかえって王をよろこばせ、斉王は廉直な臣をもって倖《しあわ》せであると感心させたとかいう。——その方はあの淳于にも似たる男よ。上杉家において、禄はいかほど貰っておるか」
 と、早速、信玄も打解《うちと》けて、話しかけた。
 下野は、遥かへさがって、拝礼をしながら、
「六百貫をいただいております」
 と、謹んで答えた。
 信玄は、聞いて、
「過分なくれようかな。上杉どのは下《しも》に厚いとみえる」
 と、つぶやいた。
 それから、片目はどうしてつぶれたかとか、足はどこで跛行《びつこ》になったかなどと、露骨にたずねたが、下野の答えは、機智縦横でしかも相手を不快にさせない程度に自己の見識と鋭さを持っていた。
「小兵者《こひようもの》ながら、なかなか利《き》け者。わが家へ使いにさし向けられた者ほどある。上杉どのの祖先、鎌倉の権五郎景政《かげまさ》も、鳥海《とりみ》弥三郎の矢に片目を奪われ、しかも武名かくれもなかった。おそらくその方の如き人物であったかも知れぬな。はははは。大炊大炊」
「はい」
「使者に、酒を与えろ。大いに犒《ねぎら》ってつかわそう」
「お待ち下さい」
 下野はさえぎって——
「御酒をいただく前に戴かねばならぬものがあります」
「何か」
「割ケ嶽の一城です」
「……ふうむ」
 信玄の眼が、初めてらんと光った。眼じりの小皺《こじわ》は、この時利剣のように刎《は》ね上がっていた。下野は、たたみかけて、
「おそらく、お館のさしずではなく、出先にある甲州の将士が、無断の乱暴と存ぜられますが、あの一儀は、実に、わが上杉家と親睦のちかい固き武田家の御名のために、深く惜しまずにはいられません」
「いや、割ケ嶽を攻めたは、信玄のさしずじゃ。決して出先の独断ではない」
「ほ。左様なお下知を、どうしてお下しになりましたか。永禄の元年、互いに、爾後《じご》は干戈《かんか》を交えまいと、神文《しんもん》を交わし、約定を取結んである御両家のあいだがらなるに」
「その以前、割ケ嶽の城は、当武田家の所領であった」
「御理由にはなりません」
「使者!」
「はいっ」
「そちは、酒をのむか、のまんか」
「いただきます。御返辞を頂戴いたした後で」
「信玄の返辞はすんだ。ふくろに納めた弓も、取出せばいつでも出せる。酒をとるか、弓をとるか。そちは謙信どのから、何と申しつかって来たか」
「もとより、それがしをして、これへお遣わしあるからには……」
「そうだろう。ともあれ飲め。永禄元年の誓紙条文《せいしじようもん》、そのまま両家にとめ置きたくば」
「御無態です。左様なお答えのみを持って、何で使者たるものが帰られましょう」
「いやいや、そちはなかなか、君命を恥かしめてはいない。賞めつかわしておるではないか」
「ゆめ。甲州の御大将などから、お賞めにあずかりたくはありません。今日はまず御拝顔を得たこととし、明日、また明後日、十日でも半月でも、御意を待って伺い直します。改めておねがいいたします」
「ねがいとは、何を」
「明確なる御謝罪の証《しるし》を」
「ははは。むだであろう」
「むだかも知れませぬが」
「酒が出た。のむか」
「こんどは戴きます」
 下野は、大盃を取った。彼の痛飲はまた敵国の君臣に眼をみはらせた。
 けれど、それなどは、些細《ささい》な愕《おどろ》きに過ぎない。その夜、躑躅《つつじ》ケ崎へはいった飛報には全城みな耳を疑うような震駭《しんがい》をうけた。信越国境の方面からつなぎ烽火《のろし》で一刻の間に伝わって来たことである。つなぎ烽火というのは、一里距《お》き二里距きに備えてあるのろし筒が、次々と轟煙《ごうえん》を移して甲府の本城へと、
 ——敵軍襲来《しゆうらい》!
 の急を忽ちのうちに警報して来る組織のものであった。
 斎藤下野、そのほか使者の一行は、それとともに、馬をとばして、府外遠くへ、遮二無二、鞭を打って、逃げ出していた。
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