平の将門106

 京へ帰る日

 
 
 常陸の国庁には、先頃から太政官の巡察使が来ていた。そして数日間、中央との行政の打合せやら、貢税《こうぜい》の状況などを、府官から訊き取ったりしていた。
 弾正忠《だんじようのちゆう》藤原定遠《さだとお》と、その随員たちであった。
 その弾正忠定遠は、昨夜、国司の藤原維茂の邸に招かれて、盛大な饗宴の主賓にすえられた。
 歓をつくして、旅舎にひきあげたのは、かなり深更のことであった。もちろん、彼の随員たちも、それぞれ酒食の饗応をうけ、みな飽満して眠りについた。
 公務は、終ったのである。
 ゆうべの宴は、送別の意味でもあった。しかし、わずかな残務と旅支度のために、翌一日は休養していた。
 すると、荷駄に山と積ませた土産物をもって、維茂とその従者が、早朝に彼の旅舎を訪ねて来た。
「昨夜は、お疲れでしたろう。ろくなおもてなしもなくて」
「いや、それどころではない。あんな御饗宴には、都でも滅多に出会えません」
「やがて、伜の為憲と、そして昨夜御一しょになった貞盛も、ちょっと、御挨拶に伺いたいとか申していました。何かと、旅のお支度に、お心もそぞろな中でございましょうが」
 雑談しているうちに、その為憲と貞盛が、連れ立って、またここへ来た。——この二人も、餞別の品々を、定遠の前に供えて、
「何かまだ、お名残が尽きぬ気がしますな。今夜はひとつ、お気軽に、私の家へ遊びに来てください」
 と、為憲がいったりした。
「伺いましょう。旅の支度さえ調えば、もう用のない体ですから。……もちろん維茂どのや貞盛どのも御一しょでしょうな」
「出かけます」と、貞盛は答えて——「自分の邸も、以前のようなら、ぜひ一夜は泊っていただきたいのですが」と、いった。
「そうそう。お父上の大掾国香どのも亡くなられ、以後の御災難で、お館なども焼かれておしまいになったとか」
「さだめし、醜い噂ばかりがお耳にはいっている事でしょう。いやお恥かしい次第です」
「して、お住居は近頃?」
「那珂郡《なかごおり》のさる所に、仮に妻子と家人共は置いております。——が、自分は京都とこの地方を往来しているので……まあ、萍《うきくさ》のような境遇ですな。はははは」
 貞盛の自嘲していう顔には、複雑な影があった。それに昨夜から同席して打ち解けたふうは示していても、自分の住所にしろ、近頃の進退についても、どこか話に明瞭を欠いていた。秘密をもつ人間のような、誰にでも細心な気をつかって物をいっているふうが見える。
 しかし、弾正忠定遠が、何もそんな観察をくだしていたわけではない。彼も、貞盛と将門との険悪な葛藤や、またこの地方を含めた坂東一帯の積年にわたる闘争なども、中央を立つときから耳にしていた。けれど、それに触れたら厄介な話になるのをよく弁《わきま》えていたのである。馬鹿ばなしや、冗談には興じても、それには触れないに限るときめていた。——そして今は、官用も果たし、別宴にも臨み、慣例の郷産物の贈り物を受けたので、ただ、さりげなく宿を立ち、早く都の妻子の顔でも見ようという欲望を余しているだけであった。
 ところが、その日。
 為憲や貞盛たちも、まだこの旅舎で定遠と話しこんでいる間に、国庁の早馬が、長官たる維茂を、ここまで、探し当てて来て、
「兵変です。隣国の侵入です。下総の将門勢が、大挙して、常陸の国境を踏み越えて来たとの報らせがありました」
 と、二騎三騎と、相次いで、急に維茂に訴えて来た。
 ——まあ、一献、と旅舎の者に命じて、酒肴の支度をさせ、定遠がしきりに、三名をひき止めていた折であったが、途端に、そんな主客のくつろぎは消し飛ばされてしまった。
「なに、将門の軍勢だと」
 と、まず貞盛が蒼白な顔をして、浮き腰を立てたし、為憲は、予期するところもあったので、
「来たな! 機先を制して」
 と、眦《まなじり》を上げて、突っ立った。
 けれど、誰よりも、責任上、仰天したのは、維茂である。維茂は、息子の為憲と貞盛とが、ここ数ヵ月にわたって、何か、将門を牽制《けんせい》すべく、軍備の充実をはかっているくらいなことは知っていたが、そうまで、将門を刺戟していたものとは思っていない。もとより両国間に戦闘が起ろうなどとは、夢想もしていない人だった。
「ど、どういう事なのだ。これは一体」
 貞盛を見、息子の顔を見、彼はその狼狽ぶりを隠すこともなく狼狽して、二人に正した。
「何か、間違いではないのか。……あの一徹者の将門を相手に、事を起したら、必ずやまた、かの国香や水守の良正や羽鳥の良兼と同じ轍を踏むだろう。——構えて相手にするなと、おまえ達にも固くいっておいた」
 貞盛は、眼をそらした。眉間に、彼らしい神経を青白く漂わせて、廂ごしに、十一月の空を見ていた。
 維茂と為憲との父子の間に、ちょっと感情のもつれが露骨になりかけた。父の文治主義と息子の覇力主義との食いちがいが、はしなくも表面に出たのである。
「まあ、御父子でありながらの議論はおやめなさい。そんな場合ではないでしょう」
 定遠がいったのはもっともである。たしかにそんな事態ではない。そして定遠もまた、急に座を立っていい出した。
「明朝と思っていたが、私もこれから直ちに宿を立ちます。——貞盛どのには、都でお会いする折もあろうが、御父子には、いつまたお会い出来るやら分らぬ。……どうぞ御機嫌よう。……私に構わず、どうか国庁の方へ、すぐお駈けつけ下さい。一刻も早く、どうぞ」
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