平の将門94

 策士策動

 
 
 貞盛の地方事情の説明は、徹頭徹尾《てつとうてつび》、彼自身のための巧みな弁護であった。同時に、将門にとっては、拭うことのできない「反逆者」「乱暴者」という印象を、堂上公卿の頭に烙《や》きつけてしまったものであった。
 ことばは爽やかで、理念はよく通っているし、第一、貞盛の態度がしおらしい。こういう印象には、わけもなく、好感をもつのが、公卿心理でもあった。
「……なるほど」
「そうしたわけか」
 殿上の諸官は、みな、貞盛の説明に、肯定した。実頼は、さいごに、訊ねた。
「しかし貞盛。お汝《こと》は、すでに先に、将門追討の官符を請うて、その令旨をたずさえて東国へ下っていたのではないか」
「左様であります」
「なぜ、令旨を奉じて、将門を捕えぬか——前には、久しい月日、東国においては、お汝の所在も知る者なく、そのため、将門をして、ほしいままに、暴威を振わせたとも聞き及ぶが」
「その儀は、申しわけもありません」
 貞盛は、素直に、庭上へぬかずいて、罪を謝した。
「けれど、それには、仔細がないわけではございません。——理由は、すでに、私の父国香、叔父良正、良兼、また源護の一家までが、ほとんど将門のために、滅されております。それ故、今や将門一人が、勢威を占め、四隣の国々も、将門の仕返しを恐れて、官符の令旨を奉じる心にならないのです。すべて、将門を恐れるところから来ております」
「けれど、その害を除かん為の、官符の令ではないか。なぜ、努めぬ」
「されば、私としては、武蔵、下野、常陸、安房、上総と、国々を歴訪して、官命にこたえ、各、出兵せよと、説いて歩きましたが、そのうち、身辺に危険が迫って、やむなく常陸に嫁いでいる姉の良人、常陸介維茂の許へ、しばらく身を潜めていた次第でした」
「世間も歩けぬほどに始終、将門が狙うておるのか」
「刺客、密偵を放って、この貞盛をつけ廻し、折あらばと、諸道を塞いでおります故、常に、生けるそらもありません。……加うるに敗残の叔父、羽鳥の良兼も、将門のため、居館、領土を焼きつくされ、ついに、悲憤の余り、病床に仆れ……敢《あえ》なく……」と、貞盛はここにいたると、声をかき曇らせ——「敢なくも、先頃、病歿いたしました。ここにおいて、ついにわれらの九族は亡び去り、残るは、貞盛一名となりました。……今は、果てなく他国に潜伏して、空しくこのままあらんよりはと、維茂と計って、ひそかに東山道より信濃路を経《へ》、都へ、再上告のため、急ぎ上って来たようなわけでございます」
「む。千曲川の難は、その途中の事であったよな。やれやれ、将門の執念の烈しさよ」
 と、実頼は歎声と共に、訊問を終った。——こうして、貞盛はその日、まもなく退出したが、殿上の反応にたいして、彼は、
「まずは、上首尾」
 と、心のうちで、独り満足して帰った。
 そしてまた、数日の後、彼は大納言実頼の私邸を訪ね、また九条の権中納言師輔の邸宅へも伺って、
「いまや私は、東国の郷里では、父祖以来の家園も将門に蹂躪《じゆうりん》され、まったく孤独無援の心細い立場になりました」
 などと雑談にまぎらせて、若い師輔の同情をひくような事をいった。
 若いといっても、九条師輔は三十二歳。長兄の実頼はもう四十歳である。
 むかし、将門が仕えた藤原忠平は、すでに六十からの老齢であり、太政大臣の顕職《けんしよく》にあるが、政治面からはもう実際的には身を退いていた。朝廷の政廟で、実権をもっているのは、子息の実頼と師輔なのである。
「いや、さは案ずるな、お汝の弟繁盛に、わしの内意は申してある。ただ、父の忠平公がどうも、将門にたいして、多少、お愍《あわ》れみをかけておられる。……多分、むかしわが家に仕えていた小者という御憐愍《ごれんびん》からではあろうが……容易に、彼を朝廷の謀反人とする儀には、御同意をなされぬのだ。しかし、それも、お汝の訴文に偽りがなければ、時と事実が、証拠だてて来るにちがいない。もうしばらく、時を待て」
 師輔は、貞盛を力づけた。
 貞盛が、表向きの訴文や裏面運動によって、官に求めているものは、将門を朝敵として、決定づける事にある。——けれど、朝敵の詔が発せられれば、当然、これが討伐には、正式な征賊将軍を任命し、また都から官軍を派遣しなければならない。
「たとえ、貞盛の上告文の通りであろうと、朝敵と断ずるのは、由々しいことである。将門を喚問《かんもん》しても、猜疑《さいぎ》して上洛せぬとすれば推問使《すいもんし》を下向させて、将門の真意と、実情を、たしかめて見るべきではあるまいか」
 廟議は今、こういうところで低迷しているとも師輔は貞盛に洩らした。——貞盛としては、その廟議の帰決を、あらゆる方法のもとに、自分に有利に誘《みちび》かなければならなかった。
 今や、彼にとって、中央の方針の如何《いかん》が、生涯の運命をひらくか閉じるかの分れ目でもあったのである。
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