平の将門81

 浮寝の巣

 
 
 豊田一帯の火は、夜になると、いよいよその範囲を、燎原《りようげん》のすがたに、拡げていた。
 桔梗は、乳のみ子を抱いて、牧の馬小屋の中に、身をひそめ、
「わが良人《つ ま》は。将門様は」
 と、そばに従いている老臣の多治経明《たじのつねあき》にのべつ訊ねていた。
 経明は、折々、丘へのぼって、赤い夜空をながめ、自分の生涯と、自分が仕えて来た前代良持からの半世紀に亘《わた》る土の歴史をふりかえって、
「ああ長い年月だった。また、短いつかの間の夢でもあった。空の星だけは、何も知らぬげに、悠久と、またたいていることよ。——何百年、何千年、今夜のような業火《ごうか》をくり返して、ここの土が、ほんとに、禍いなく安楽に住める土になることやら? ……。到底、限りある命では、それは見極め得ないものを、わしは余りに長生きをし過ぎたようだ」
 八十をこえた老臣は、さして烈《はげ》しい感情に衝かれることもなく、また、折々に、桔梗のそばへ戻って来て、
「まだ、お館様は、必死に、御合戦と見えまする。敵を追いしりぞけて後、かならず、お見え遊ばしましょう。余りに、お気づかいなされると、和子さまの、お乳《ち》の出にも障《さわ》りましょうず。何事も運命におまかせあって……」
 と、落着き切った語調で彼女の暴風のような不安をなだめていた。
 そのうちに、負傷した味方やら、防ぎ口を破られた人々が、いい合せたように、この大結ノ牧へ、逃げ退いて来る。
 やがて、将門も。また将頼、将平たちも、「残念だ」「無念だ」と、口々にさけびながら、雪崩《な だ》れ合って来た。
「こうなっては、一時、ちりぢりに身を潜めて、再挙を図るしかありません。兄者人は、お体もすぐれぬ御様子ゆえ、どうか、ここを落ちて、御養生に努めてください」
 彼の弟等も、老臣の経明も、また主なる郎党にしても、すべてが、それを目睫《もくしよう》の急として、
「桔梗さまも、御一しょに」
 と、いや応なく、疲れていない馬を選んで、馬の背へ、押しあげた。
 それと、経明のさしずで、ここまで、火中から運び出した財宝の品々も、十数頭の馬に積んで、
「一刻も早く」
 と、大結ノ牧の丘から、南の曠野へ、急がせた。経明はその後で心静かに自刃《じじん》した。
 将門には屈強な郎党が四、五十騎ほど従いて行った。彼と桔梗を乗せた二頭の馬をまん中にして、行くあてもなく、その夜の危地を脱したのであった。
 その、わずかな郎党と、妻子をつれて将門は数日のあいだ、彼方《かなた》此方《こなた》、逃げまわった。
 初めの四、五日は、芦《あし》ケ谷《や》(安静村)の漁夫の家に、妻子を隠して、近くを警戒しながら潜伏していたが、偵察に出した梨丸《なしまる》や、走り下部《しもべ》の子春丸《ししゆんまる》などが、立ち帰って来て、
「ここも、物騒です。良兼の兵が、あちこち、農家の一軒一軒まで、豊田の残党はいないか、将門を匿《かくま》ってはいないかと、吠え脅しながら、調べ歩いているようです」
 と、報告した。
 翌日。また六郎将武も、十騎ばかりつれて、ここへ加わり、
「三郎兄や四郎兄は、他日を期して、遠くへ落ちて行きました。兄者人も、こんな近くにいては、物騒です。——敵は豊田を占領して、勝ちほこり、草の根を分けても、こんどは、将門の首を持って帰ると豪語しておるのに」と、将門の油断をいさめた。
 将門も、それを、覚《さと》らないではない。けれど、乳のみ子を抱いた桔梗が足手まといなのである。それと、自分の病も懶《ものう》く、なお、妻子との別れ難い気もちも手伝う。
 が、危険は、そのほかにも、いろいろ、身近に、感じられてきた。
「しかたがない。しばしの間、さびしい思いを忍んでくれ。きっと、冬の初霜が降りぬまに、以前にまさる味方を募《つの》って、羽鳥《はとり》、水守《みもり》の敵に、逆襲《さかよ》せをくわせ、そして、そなたを迎えに来るから……」
 桔梗は、良人のこの言葉に、涙ながら、うなずいた。いや、乳の香ふかく、ふところに眠っていた幼子《おさなご》へ、母の頬をすりよせたまま、涙の面を上げなかった彼女のほんとの意志は、
「嫌です。……死んでも、離れるのは……」
 と、つよく面を振っていたのかも知れないが、将門の眼も、あたりに、深刻な眼をそむけていた郎党たちも、彼女が、豪族の妻らしい覚悟のもとに、けなげにも、頷《うなず》いたものと、皆、見てしまった。
 三艘の漁船が用意された。
 漁船の上は、すっかり、苫《とま》を敷きならべ、中に、食糧や、夜具や、そして豊田から運び出した重宝の一部だの、すべてを積み隠した。うち一艘には、桔梗と女童《めのわらべ》や女房たちが乗り、べつの二艘には、十余名の郎党を乗せた。そして芦ケ谷の入江から、海のような湖上へと、先に、逃げのびて行けと、いいつけた。
 彼の妻子をのせた三艘の苫船《とまぶね》は、なるべく、葦や葭《よし》の茂みを棹《さお》さして、臆病な水鳥のように、まる一昼夜を、北へ北へ逃げ遡り、やがて広河《ひろがわ》の江《え》のあたりに、深く船影をひそめて、ひとまず、そこを隠れ場所としていた。
 将門は、陸路をたどって、妻子の落着きを、見とどけた後。
「わずかの間の船住居だぞ。長くは、待たさぬ。つつがなく、病気をせぬよう、いてくれよ」
 遠くから祈った。その辺りの秋の蘆荻《ろてき》にたなびく霧の寂寞《せきばく》に惜別の眼を、焼きつけた。そして彼自身は、手勢をひきつれて陸閑《むつへ》岸(下結城村)附近の山中へかくれ込んだのであった。
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