平の将門74

 対 決

 
 
「逆手を打たれた。こっちが、訴人として、出たいところを」
 将門は、出し抜かれたと知って、心外になった。
「……だが、白は白、黒は黒だ」
 彼は、怒りをなだめた。中央に出て、法官の前に、理非を争うのは、むしろいい事ではないか。正義の者に与えられた好機ではないか。そう、思い直した。
「卑屈になるまい。堂々と、いうところを述べ、けちな袖の下だの、裏から諸卿へ、泣きつきに歩くことはしまい」
 在京中も、彼は、行状につつしみ、進退を守った。
 緊張の中に、毎日を送っていた。
 けれど、官の喚《よ》び出しは、その年のうちにはなかった。承平七年の正月が来てしまった。
 男の三十五となった元旦を、彼は訴訟中の旅舎で、わびしく迎えた。
 妻の桔梗から、便りが届いた。なつかしい彼女の文字。一字一字が、詩のように、将門にひびく。将門は、涙をためて、読み終った。しかし、かなしい事は何一つないのだ。留守はみな無事だとある。そして、彼女は、終りの方に、
(お帰りのころには、あなたと私との、初めての和子《わこ》が、豊田の館《たち》に、生れているかもしれません)
 と、書いてあった。
 彼女は、彼が上洛のまえから、妊娠《みごも》っているらしいことを、良人の耳にそっと告げていた。
 ——と、もうひとつ、用事がしるしてあった。八坂《やさか》の不死人《ふじと》が、陸奥の旅の帰りに立ち寄って、四、五日滞留しているという留守中の事を。
 ちッと、心の奥で舌打ちに似た気もちがうずいた。あの無頼な男が、また将頼や将平などを、手こずらしているのであるまいか。わが家へでも、帰ったように、酒を出せの、どうせよのと、桔梗にも、難儀をさせていることだろう。……酒や我儘《わがまま》だけならよいが、桔梗は、あんな口達者で狷介《けんかい》な人間は見たこともあるまいから、もし、彼の強引なわるさになど懸《かか》らねばよいが、などと妙な不安にも襲われたりした。
 一月の末。やっと、初めて、太政官のよび出しをうけ、彼は、おととし以来の、親族間の争いのいきさつを、詳しく申し立てて宿へ帰った。
 帰ってから、独りで、しまったと、胸のうちでつぶやいた。
「出つけない場所へ出たためか、あんなに、考えていたのに、いいわすれた。おととしからの、喧嘩沙汰だけではだめだ。そもそも、父良持の死後、おれたち、幼いみなし子が、叔父共の手に、ゆだねられ、そして、おれが十六で、都へ追いやられたその時の大掾国香のたくみだの、国香が、貞盛にいいつけて、おれを、都にいるうち刺し殺してしまえといいつけていた内輪事まで、つつまず打ち明けねば、わかるまい」
 思いつつ、彼は、刑部卿だの、検非違使《けびいし》だの、別当だの、大中小判事などの公卿が衣冠をつらねている前では、思いの半分も、陳述できなかった。
 あるとき、靫負《ゆげいの》庁《ちよう》の法廷で、右馬允貞盛と彼とが、対決された。貞盛は、ゆたかな辞嚢《じのう》と、明晰《めいせき》な頭と、そして弁舌とをもって、滔々《とうとう》、数千言に亘《わた》って、将門のその日までの陳述を、ことごとく、いい覆《くつがえ》して、
「従兄弟《い と こ》の間ですから、情《じよう》においては、断ずるに忍びませんが、要するに、将門は、叔父たちの厚意を、みな悪意に解し、また飢民や浮浪の煽動にのり、彼自身も、後にはびっくりするような叔父殺しの大罪を犯し、ついに、大それた反官的な悪思想をも抱くにいたったものです。憐れむべき孤児のひがみに発し、性来の兇暴性が、地方の悪民に、利用されたものなのです。——ですから、不愍《ふびん》には、思いますが、もし官がこれを放置しておくなら、乱は、坂東に止まらず、四隣に及び、ひいては、南海海上の剽賊《ひようぞく》にも響き合って、国家の禍いとならぬ限りもありません」
 と、弁じた。
 将門は、貞盛の弁論に聞きほれて、敵ながら感心した。時々、なるほどとうなずき顔にさえなった。大判事は、憐れむように、彼を見て、
「将門。おまえの申しぶんを、存分、申したててみい」
 と、いった。
 だが、到底、彼の呶々《どど》などは、聞きづらくて、貞盛のまえには、刃が立たなかった。しかし、貞盛の冷然たる横顔の微笑を見ると、さすがに、憤然と、曠野に燃えた怒気がそのまま口を迸って、貞盛のウソと、こしらえ事を駁《ばく》し立てた。
 しかし、かれの言は、激すほど、彼の粗暴を証拠だてた。情に激して来なければ、ことばも烈々と吐《は》けない性分なのである。だからそれは吼《ほ》えたり、喰って懸かるだけのものとしてしか聞えなかった。理論は支離滅裂《しりめつれつ》になり、果ては、涙をにじませ、いたずらに、拳をにぎってしまうのである。
「きょうは、退がれ」
 靫負庁を出ると、彼はいつも、馬上で戦ったときのように疲れていた。
 よび出しは七回、うち二度は、貞盛と、対決された。そして、しばらくまた、沙汰もなかった。
 すると、三月の末。さいごの判決が、朝議の末、公卿列座の上、いい渡された。
「将門の罪は、厳罰に値するが、折ふし、天皇御元服の大赦《たいしや》あるによって、赦免、仰せつけられる。帰国して、謹慎を示すがいい」
 無罪であった。将門は、夢みるごとく、かえって、ぽかんとしていた。
 貞盛への申し渡しには、
「一族内紛《ないふん》の蔭には、何よりも、平良持の遺領が、争いの因になっていると断じる。よろしく、将門に渡すべき荘園の地券や、田領の証書など、一切を、このさい返却して、和解いたすように」
 と、あった。
 貞盛には意外だった。落胆顔は、いうまでもない。非常な不平である。しかし、返すことばもなく、命を奉じて、その日は退廷した。
 将門は、国へ早馬を立て、
「訴訟は、勝った」と、妻や一族へ、便《びん》をもって、先に報じた。
 それから初めて、彼は、自分の身になったような心地で四、五日、京洛を歩きまわった。妻の桔梗へ、都のみやげをと、都の臙脂《べ に》だの、香油だの、めずらしい織物など買って、いそいそ、暮した。
 きょうも彼は、八坂《やさか》、祇園林《ぎおんばやし》など、遅桜《おそざくら》の散りぬく下を、宿の方へ、戻りかけていた。すると誰か、将門将門と、うしろで呼ぶ者がある。振り返ってみると、忍《しの》ぶ草《ぐさ》を摺《す》った薄色の狩衣《かりぎぬ》に、太刀を横たえ、頭巾をかぶり、さらに頭巾の上から大笠をかぶっている旅人であった。
 近づき合って、やっと分った。それは、八坂の不死人である。
「おう。……いつ、どうして、都へ」
「わぬしが、上洛と聞いて、あとを追って来たのだ。ところが、旅舎《や ど》がわからない。靫負庁で聞いて、やっと知れ、これから不意に驚かしてやろうと思って、訪ねて来たところだ」
「そうか。……もう、都を歩いていても、かまわぬのか」
「かまわぬかとは」
「逮捕《たいほ》の令をうけて、世をしのんでいる身ではないのか。白昼、しかも、靫負庁へ、自分で行くとは」
「はははは。人のうわさも、幾日とかだよ。南海の海賊騒ぎで、それどころか、検非違使も、兵部省も、手いっぱいだ。彼らはとっくに、わすれておる。もうあの頃の事は、時効というものさ」
 不死人は、いつも不死人である。変らないし、また、相かわらず、官を官と思っていないし、人を人とも、思っていない口吻である。
「旅舎へ行くか。どこか、ほかで飲むか」
「明日は、国へ立つつもりだ。とかく用事もあるから」
「ははは。将門ともある者が、ひどく、真面目じゃないか。国もとに美しい妻が待っているせいだろう。しかし別杯ぐらいは、つきあえよ。まあ、おれについて来い。いい隠れ遊びの家がある」
 
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