平の将門55

 飄 客

 
 
 豊田の館へ、帰った晩。彼は、よろこび迎える家人や奴僕に、一わたり、無事な顔を見せて後、すぐに、
「都の客人とは、どこにおるのか」
 と、将頼にたずねた。
 咎めている彼の眼つきも覚らず、将頼は、いそいそと、
「もう、四日も泊って、毎日、待ちわびておられます。奥の客殿で」
 と、もう先へそこへ走ろうとする。
「待て待て将頼。おれが、面《つら》を見とどけてからにしろ。こんな遥かまでおれを訪ねて来る都の知人など、心当りもない。どうも、うさん臭い」
 将門は、奥へ行って、廊《ろう》の間《ま》の壁に身を寄せ、そっと、客の人態《にんてい》を、覗いてみた。
 ——なるほど、見馴れない奴がいる。
 しかも、飲んで飲んで飲み飽いたという風に、杯盤や、肴の折敷《おしき》を、みぎたなく、散らかしたまま、のうのうと、手枕で、横になっているのだった。
「……?」
 将門は、不快と、怪訝《いぶか》りに、思わず左の手で、太刀のさやを握った。燭は、二ヵ所にもまたたいているが、生憎《あいにく》と、あいての寝顔が見えないため、ずかずかと、男のそばまで、歩いて行った。そして、その図々しい寝顔を、真上から覗いた。
「……おや?」
 と思ったとき、反射的に、男も眼をあいた。
 熟柿のような顔の眼は、まだ、いくぶんか、とろんとしている。が、将門は、錐《きり》みたいに見澄ました。そして、彼より先に、思い出したものらしい。その声には、懐かしさをこめていた。
「あっ、不死人ではないか。——八坂の不死人」
「おう、帰ったのか。小次郎」
 男は、むっくり、起き上がった。将門の手へ、手を伸ばした。そして固く握りあった。胡坐《あぐら》と胡坐を対《むか》い合せ、顔と顔をつき合せ、二人は茫然と、相見てしまった。
「しばらくぶりだなあ。小次郎。いや近ごろは、将門といっているそうだが」
「うム。お久しぶりだ。まさか、客が和主《わぬし》とは、思わなかった」
「驚いたろう」
「正直。驚いた」
「あはははは。まあ、健在で何よりだ。なるほど、都でも聞いていたが、貴様の館は、大したものだな。さすが、坂東の豪族、桓武天皇の御子、葛原親王《かつらはらしんのう》の末——平良持がいた頃の勢力がうかがわれる。貴様はその総領息子じゃないか。——おいっ、しっかりしろよ」
「しているよ。しっかり、やっている」
「うそをいえ。——留守中、弟たちに聞けば、親の良持が遺《のこ》した荘園や家産は、あらまし叔父共に分け奪《と》りされてしまったというではないか。しかもまた、数日前、羽鳥の良兼の館で、貴様、袋叩きの目に遭ったとも聞いている」
「知っていたか。察してくれ。残念で残念で堪らない。この無念をどうしてはらそうか。そればかり考えて帰って来たのだ……いいところへ訪ねてくれた。おいっ、将頼、いちどここを片づけさせて、改めて、酒を運べ。おれも飲みたい」
 弟たちには、兄と客が、どういう関係なのか、分らなかった。在京中の親友だろうくらいに想像した。家人は、燭を剪《き》り、席を清めて、高坏や銚子を新たに、持ち出した。
 その間も、不死人と将門は、ひッきりなしにしゃべっていた。話したい事、聞きたい事が、山ほどあって、何から、纏綿《てんめん》の旧情を解くべきか、どっちも、思いに急《せ》かれている姿だった。
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