黒田如水107

 男の慟哭

 
 ——この夜。
 ふいに二、三ヵ所から火を発し、同時に、城中の味方と味方とのあいだに、凄《すさま》じい激闘が捲起《まきおこ》されたとき、それと同時に、荒木村重の家族や女たちばかりの住んでいる一曲輪《くるわ》のものは、たれも彼もみな裸足《はだし》で、着のみ着のまま、大勢が一とかたまりになって城門の方へ雪崩《な だ》れて行った。
 籠城組も内応組も、女童《めわらべ》には目をくれなかったし、むしろその避難を願っていたので、城中で恐《こわ》い目にも会わなかったが、一歩、城門の方へ溢れ出ようとすると、
「もどれ、もどれっ」
 と、重厚《じゆうこう》なよろい武者の部隊が、泣きさけぶ女たちを突きもどし、その中の部将らしい者が、
「女童の群れに伍して、女装して遁《のが》れ出ようとする卑怯者がおるやも知れぬ。いちいち検《あらた》めてから城外へ出してやれ」
 と、うしろから前面の兵へどなっていた。
 もちろん寄手が迫って来たのである。織田方の何という大将の下の手勢か知れないが、ともあれ眼のとどく限りはその黒々とした甲冑の波と槍と旗さし物などであった。
「よしっ、出ろ。——よし、次も出てよい」
 女たちは、首や黒髪を検められて一人一人城外へ突き出された。その間に、大手の門はひらかれ、武勇を競《きそ》う将士は眼《まなこ》も外へとび出しそうな顔を向けて、怒濤《どとう》のごとく駆け入って来る。
 女たちは突きとばされ、踏みつぶされた。暴風雨《ぼうふうう》に吹き寄せられた花のように、袖門の端にかたまりあった。生ける心地もなげにおののき合って、順々に身の検《あらた》めをうけては城外へ出されていた。
 その群れの中に、於菊《おきく》はいたのである。彼女は、村重が室殿を伴うて脱城した日のすこし前に、これらの人々がいる局の一室に監禁《かんきん》されていた。村重の家族は、村重のいいのこして行った命を守って、最後まで彼女の監視を解かずこれまで共に奔《はし》って来たのであるが、今はそうした注意も配《くば》ってはいられなかった。さきを争って、城の外へ出ようとしていた。
 やがて彼女も、その勢に従《つ》いていれば、難なく城門の外へ出されたはずであった。けれど於菊はまわりの者の隙を見ると、突然、群れを離れて、もとの方へ驀《まつしぐら》に奔《はし》っていた。全城すでに焔と見えるその火の下へ。また荒武者と荒武者とが、首を取りつ首を取られつ、雄《お》たけび交《か》わして、火に火を降らせている血戦の中へ、ほとんど、気でも狂ったかのような姿で、彼方《かなた》此方《こなた》、奔《はし》りめぐっていた。
「……オオ。この坂道の下、あの低い窪地《くぼち》の池」
 彼女はついに道を見つけた。それはたった一度、通った覚えのあるところだった。室殿《むろどの》にいいつけられて、蛍を捕りに行ったことのある天神池への細道であった。
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