『論語』の憲問篇-42

[白文]42.子張曰、書云、高宗諒陰三年不言、何謂也、子曰、何必高宗、古之人皆然、君薨、百官総己以聴於冢宰三年、

 
[書き下し文]子張曰く、書に云う、高宗、諒陰(りょうあん)三年言わずとは、何の謂(いい)ぞや。子曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古(いにしえ)の人は皆然り。君薨(こう)ずれば、百官、己を総べて(すべて)以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり。
 
[口語訳]子張が質問した。『殷の高宗は、三年間の喪に服している間、一言も話さなかったという「書経」の記述はどういうことでしょうか。』。先生がお答えになられた。『何も高宗だけに限らない。古代の人はみんなそのようであった。君主が崩御すると、官吏全員が自分の仕事をやり終えて、宰相の服喪の指示を三年間も聞いたのである。』。 
 
[解説]子張が、主君が亡くなった場合の服喪の方法を孔子に質問した部分である。古代の君主(天子)は、父親の君主が崩御すると粗末な草葺の家屋で、三年間もの喪に服するという礼制があり、これを『諒陰三年(りょうあんさんねん)』と呼んでいた。孔子は礼楽を非常に重視した人物であり、高貴な人物が死去した場合には長期間の喪に服するのが当然の礼節と考えていたのである。
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