『論語』の為政篇-23

[白文]23.子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。

 
[書き下し文]子張問う、十世知るべきか。子曰く、殷は夏の礼に因る(よる)、損益するところ知るべきなり。周は殷の礼に因る、損益するところ知るべきなり。それ或い(あるい)は周に継ぐものは、百世と雖も知るべきなり。
 
[口語訳]子張が尋ねた。『十代先の王朝のことを知ることができるでしょうか?』 
孔子はこうおっしゃった。『古代の殷王朝はその前の夏王朝の諸制度を受け継いだ。殷が夏の制度のどこを廃止してどこを付け加えたのかが、(今まで勉強してきたお前には)分かるはずである。周王朝はその前の殷王朝の諸制度を受け継いだ。周が殷の制度のどこを廃止してどこを付け加えたのかが分かるはずである。これを元にすると、周王朝を継承する百代先の王朝といえども知ることができる』 
 
[解説]過去の王朝から現在の時代にまで至る礼(制度)を専門的に学んできた子張に、孔子が「伝統主義的な歴史観」について語った部分である。過去の制度や礼楽、思想、習慣を受け継いだ結果としてしか、現在の政治体制と社会慣習をとらえることはできないとする孔子の基本的な歴史観(政治観)がよく表現されている。遥か古代の中国には、黄帝を祖として尭・舜・禹という伝説の聖王がいたとされるが、夏(か)とは治水に功績のあった伝説の聖人君子・禹(う)が建国したとされる王朝である。夏の実在は考古学的に証明されたわけではないが、殷(商)以降の王朝の歴史は史実とされている。孔子は、殷(商)の暴君・紂(ちゅう)を廃した武王が建国した「周」の礼制を最も理想的な政治制度と考えていた。
分享到:
赞(0)