无谋战争 必须记取

歌人の宮柊二(しゅうじ)は、日中戦争さなかの1939年に一兵士として山西省に赴いた。戦地での体験を多くの作品に残している。「あかつきの風白みくる丘蔭に命絶えゆく友を囲みたり」。戦友の最期をみとった歌だろう。

 
俳歌诗人宫柊二在1939年日中战争最为激烈的时候从军去了山西,留下了很多描写战争体验的作品。“东方露白,山丘脚下,同伴奄奄一息,我只能突然看着”。这首歌描述了战友最后的时刻。
 
目をそむけたくなる戦闘の描写もある。「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す」。宮が大陸に渡った2年前には南京事件が起きている。何があったのかを中国人男性の視点で迫ったのが堀田善衛(よしえ)の小説『時間』である。数々の残虐行為を描いた。
 
还有些令人不忍直视的战斗描写。“他们仿佛是自己撞到刺刀上,然后悄无声息地死去。”在他来大陆的2年前,发生了南京大屠杀。堀田善卫的小说《时间》从中国男性的角度说出了当时的情况。而且还描写了很多的残虐行为。
 
日本兵に斬殺され刺殺された同胞を「裏門外を流れるクリークに投げ込む仕事をさせられた。なかには、まだ気息ののこっている人もあった」。深い泥沼にはまっていくような日中戦争があり、その延長線上に日米開戦があった。
 
很多同胞都被日本兵杀害了,“他们让我把尸体丢到流向城外的河里。在尸体中,还有人一息尚存。”日中战争深陷泥沼,作为延续日美战争又爆发了。
 
米国の求める中国大陸からの撤兵を拒み、むしろ打開策として戦争を拡大した。米国との圧倒的な国力の差を認識しながらも、無謀な賭けに走った。陸相だった東条英機は「人間、たまには清水(きよみず)の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と語ったという。
 
日本拒绝了美国要求其从中国撤兵的要求,反而将扩大战争作为打开局面的手段。虽然认识到了国力与美国相差悬殊,但还是不顾后果地扑了上去。时任陆军大臣的东条英机据说讲过这样的话,“人类啊,有时需要拼一把。”
 
真珠湾を訪れた安倍晋三首相は、対米開戦へ突き進んだ判断について語らずじまいだった。中国や韓国、アジア太平洋各国への言及もなかった。語られない大切なことが多すぎるように思えた。
 
访问珍珠港的安倍晋三首相,对于贸然对美开战的判断不做任何评论。在讲话中也没谈及中国、韩国以及亚洲和太平洋各国。我想,他没有讲到的重要事情实在太多了。
 
「和解」や「未来」といった心地よい言葉で過去を覆い隠していいはずがない。何を記憶して、どんな教訓を引き出すのか。戦後を生きる私たちに問われている。
他不应该用“和解”和“未来”这些听起来顺耳的词去掩盖过去。这样的话,又能记住些什么?吸取怎么样的教训呢?我们这些生于战后的人又将如何回答这些质疑呢?
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