猫の事件20

 夏の夜ばなし

 
 
 むし暑い夜だった。だが、場末のスナック・バーの店内は冷房がききすぎて、寒いほどに冷えていた。
 サラリーマンが三人、声高に話している。ついさっきまでは上役の悪口に花が咲いていたが、いつのまにか話題が変ったのは、この冷たさのせいなのだろうか。
「しかし、思い出してもこわい話って、あるもんだよなあ」
 そうつぶやいたのは背をまるめて水割りを飲んでいた男だった。
「そうかね」
 しゃくれ顔の男が体を揺らしながら言う。
「ああ。オレの田舎は西瓜《すいか》の名産地でさ、線路ぎわの、ものすごくカーブのきついところに西瓜畠があったんだ。そこは昼間でも見通しがわるくて、汽車が走って来るのがよく見えないとこなんだよな」
「昔は危険なとこがいっぱいあったよ」
「そう。で、夏の夜のこと、町で会合があって、オレがひとりで線路の上をプラプラ帰って来たんだ。そのほうが近道だから、村に帰るときはいつもそこを通ったんだ。歌なんか歌いながら……」
「十八番の兄弟仁義かなんか……」
 そう半畳を入れたのは、三人の中で一番ハンサムな男だ。身なりもこの男が一番いい。
「どうした加減か、あの夜はまわりの音がよく聞こえなかった。雨が降っていたせいかもしれないけど……なんか気象のせいでそうだったのかもしれない。ちょうど見通しのわるいカーブのところへ来たとたん、目の前に列車が現われた。ビックリなんてもんじゃないよ。オレ、いきなり西瓜畠の中に飛び込んでよけたんだ」
「ああ」
「列車はゴーッてすごい音をあげて遠ざかって行った。�やれ、あぶなかった�土を払いながら起きようとしたら、うまいぐあいに西瓜が一つ転がっている。よし、これを失敬して、みやげに持って帰ろうか。割れている西瓜らしくてベトベトしてんだよな。変だなって思ってよく見たら……列車に飛ばされた人間の首……」
「本当かよ」
「本当だ。驚いたよ」
「そりゃ、だれだって驚くさ」
「昔の田舎は、たしかにこわいところがいっぱいあったよ」
「お化けだってあちこちにいたし……」
「そう、そうなんだよなあ。オレんちの近くに湖があってさ。水はきれいだし、底は深いし、よく身投げなんかがあったんだ。昼はもちろん、夜でもむし暑いと結構泳ぎに行くやつがいたんだよ。親たちは�絶対行っちゃあいかん�て言うんだけど」
「うん」
「夜まっくらな中で泳いでいると水草が一本二本からまって来る。ずいぶん細い草だなあと思ってよく見るとそれがみんな女の髪の毛で……」
「こわいね」
 話はつぎつぎに弾む。
「オレが聞いた話だけど、金に困って人殺しをした男がいたんだよな」
 しゃくれ顔がさらにあごをしゃくって話しだす。
「うん、うん」
 大げさな身ぶりであいづちを打つのは猫背のほうだ。ハンサム氏は、少し気取って含み笑いを見せているだけ。
「さびしい道で、旅の老人を殺して金を奪ったんだ。だれにも見られなかったんでその後無事にくらしていたんだけど、一年近くたって子どもが生まれた」
「それが殺したじいさんそっくりの顔立ちで……」
「いいところを先まわりして言っちゃいけないよ」
「すまん、すまん、わるかった」
「ある夜その赤ん坊がもーれつな勢いで泣くんだな。いくらなだめても泣きやまない。�どうしたのかな�って、つくづく顔を見ると、赤ん坊の顔がじいさんに変っていて、急に大人の声を出した。�去年の今日、去年の今日�思い出してみると、ちょうどその日がじいさんを殺した日だった」
「あんたはなにかこわい話を知らんのかね」
 猫背の男が聞き役専門のハンサム氏に尋ねた。ハンサム氏は戸惑うようにタバコの煙を吐き、ちょっと思案していたが、
「うん。あるむし暑い夜のこと、里帰りしていた女房が突然帰って来たんだ。寝るときになってオレのベッドの下をのぞいたら、白いものがフワーッと……」
「うん? 幽霊か」
「いや。よく見ると、それが女房のものじゃないネグリジェ……」
 ハンサム氏はちょっと笑って口を閉じた。それで話は終りだった。
「うん。これはこわい。たしかにこわいしばらくはずっとこわい」
 しゃくれあごが首をすくめて、
「さて、オレたちもポツポツ女房ドノのもとへ帰るとするか」
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