猫の事件28

 家族の風景

 
 
 イチロウとタミコの結婚が決まったとき、タミコは、
「あたし、おかあさまと一緒に住むのはいやよ」
 と、口をとがらせた。
 イチロウは一人息子である。タミコが一緒に暮らしてくれなければ、母は一人ぽっちになってしまうだろう。
「うちのおふくろは扱いやすいと思うよ。口やかましくはないし、やさしいし……。それに、絵をかくのが好きでね。絵さえかいていれば、ほかに不平や不満はなにもないんだよ」
 暗に母との同居をうながしたが、タミコはどうしても承知してくれない。こうなると昨今の男たちは、からきし意気地がない。
「お母さん、わるいけどタミコがべつべつに暮らしたいって言うものだから……いや、新婚のうちだけだよ。一年もしたらお母さんのところへ戻って来るから」
 母親は静かに笑いながら、
「いいんだよ。あんたたちさえそれで不自由なくやっていけるなら……。わたしはまだ体が丈夫だし、それに、絵さえかいていればそれで楽しいんだから」
 と、逆に息子を慰めてくれた。
 イチロウはほっと胸をなでおろしたが、母の表情はどこかさびしそうだった。
 
 結婚のお祝いに母が贈ってくれたものは一枚の絵だった。雌鶏と卵が一つかいてある……。
「なによ、この絵」
 タミコは失望の色を露骨に現した。
「うん、そうだな」
 イチロウも首を傾《かし》げた。
 二人は共働きである。朝の食事はとてもいそがしい。
「ごめんなさい。きのう買い物を忘れちゃった。食べるものがなんにもないわ」
「朝は、チャンと食べなきゃ体にわるいんだよな」
 母と暮らしていたときは、いつも新鮮な目玉焼きを食べて会社へ出たのだった。
 気がつくと絵の下に卵が一つ落ちている。
「あら?」
 タミコがつぶやくと、絵の中の雌鶏が、もう一つタミコの分の卵を生んだ。
 それからは毎日、雌鶏が新鮮な卵を生んだ。とてつもなく重宝な絵だとわかった。
 次の日曜日、二人は母のところへお礼を言いに出かけた。
 母の家にも同じ雌鶏の絵があった。しかし、この雌鶏の絵には、そばに食卓があり、食卓を囲んで年老いた女と若い夫婦が、笑顔で食事をとっていた。
「この雌鶏もタマゴを生むの?」
「ええ、そうよ。さ、奥にお入りなさいな」
 ドアをあけると絵そっくりの部屋があった。
 
 イチロウの無断欠勤が続くので会社の上役が調べてみると、奥さんともども急に蒸発したらしい。イチロウの実家へ連絡をとったが、実家の母も見つからなかった。壁にはただ一枚の絵。一家だんらんの風景。雌鶏が卵を生んでいる……一つ、二つ、三つ。
分享到:
赞(0)