平の将門78

 木像陣

 
 
「やや。遅かったか」
「しまった。もう遅い」
 子飼へ殺到してみると、敵はそこの渡し口を、もう完全に、扼《やく》していた。
 羽鳥の良兼を大将としたこんどの奇襲は、じつに、彼らにとっては、四度目の来攻である。
 地の理も、将門の戦い方も、経験によって、彼らは、相当、研究をつんで来たらしい。
 まず、前日から、変装した散兵を放ち、この辺に、隠密な予備工作をとげてから、一挙に、筏《いかだ》や船や、また、浅瀬を求めて、押し渡ってしまったのだ。
 将門は、遠くから、敵勢のかたちを見て、
「畜生」
 と、体じゅうに、たちまち、彼らしい滾《たぎ》りをもった。そして、
(やはりおれは、暢気《のんき》すぎていたのだろうか。どうしても叔父共は、おれの首を見ないうちは、止めないつもりだろうか)
 と、悲涙して、悔い悶《もだ》えた。
 すごい矢ひびきが、風を切って、左右を掠《かす》めてゆく。
 彼の弟たちはもう部下と一しょに、敵のまっただ中へ、肉迫していた。ゆとりをもって、充分に、待ちをかけていた敵の弓は、序戦において、多くの犠牲を、豊田兵に払わせた。
「やや、敵は、ここだけではないぞ」
 将門は、すこし狼狽した。というのは、加養《かよう》、田下《たげ》、宗道《そうどう》などの附近の部落から、煙が立ち始めたからだ。それらの小部落は、戸数は大したものではなくても、みな豊田郷の内である。朝夕に、将門も見ている屋根だし、将門にとっては、常に自分を、「力づよいお館様」と頼みきって、鍬《すき》をもち、漁業《すなどり》をしている、可憐《いじら》しい領民なのだ。
「やったな。糞叔父めら」
 耐えている忍辱《にんにく》の横顔を、いきなり撲《は》りとばされたように、将門は憤然と、まなじりを上げた。
「ひとたび、おれが怒ったら、どんな事になるか、奴らはまだ、思い知っていないのか」
 彼は、悍馬《かんば》と一つになって、敵前に迫り、
「良兼っ、出て来いっ。今日こそは、おれと、勝負をしろ」
 と、一騎討ちを挑んだ。
 もとより良兼や良正が、彼の求めに応じるわけはない。むしろ、波上にあらわれた大魚の背を見て気負う漁師のように、
「それっ、将門だぞ」
「将門をねらえ。将門を射ろ」
「逃げ口を取って、逸するな」
 などと口々にどよめき渡って、一瞬、彼ひとりに、矢をあつめた。
 矢風の外へ出るのが重要である。将門は一心不乱の鬼神《きじん》になった。そして、直接、敵兵に触れ、悍馬の脚《あし》もとに蹴ちらしながら、長柄の刃が血で鈍《なま》るほど、縦横無尽に、薙《な》いで行った。そして、ついに、主将の陣へ、迫りかけた。
 そこが、あきらかに、良兼のいる陣の中核と分ったわけは、いちめんな青芒《あおすすき》に蔽われている低地へ、さらに、楯《たて》を囲い、一部に、幕《とばり》を繞《めぐ》らしなどして、ぐるりと、守り堅めている武者も、雑兵とはちがい、見るからに皆、いかめしい甲冑や武器を揃えていたからである。
「良兼は、どこにいるぞ。良正はいないのか。小次郎将門が、今日はここまで来たのに、なぜ、おれの首を取りに出ないか」
「おうっ、将門、来たか」
 それは、誰の声とも、咄嗟《とつさ》には、分らなかったが、ばらばらと、一方の楯囲いを開くと、芒の波の上に、ゆら、ゆらと、異様なる二体の木像が、神輿《みこし》のように、舁《かつ》ぎ上げられ、左右に数十人の甲冑武者が従《つ》いて、
「……おうっ、将門、来たか」
 と、唱歌のように、声をそろえて、どなった。
「や、や? ……何だろ」
 将門は、思わず、悍馬の手綱をしぼった。
 木彫の人間像は、二体とも、坐像である。衣冠束帯のすがたで、台座の横木には、あざらかに、こう書いてある。
 家祖高望王《たかもちおう》、尊霊
 故《こ》、平良持公《たいらのよしもちこう》、尊霊
 ——つまり平氏の先祖と、将門の亡父の木像とを、どこからか持ち出して、陣頭に押し進めて来たわけだ。
 将門が、ちょっと、たじろいだ様子を見ると、木像陣を作《な》して来たその一群は、また、声をそろえて、
「畏《おそ》れろ、畏れろ。畏れを知らぬか」
「高望王の尊像に」
「さきの良持公の前に」
「射るや、矢を」
「懸るや、不敵に」
「畏れろ、将門っ」
 と、相手の耳もつんぼにしてしまおうと計ってでもいるように、喚《おめ》き囃《はや》した。
 そして、ザッザ、ザッザと、草の波を分けて、押し進んで来るのを見て、将門は、急に馬を退《さ》げて、意気地なく、ためらい出した。
 ——と見て、木像の前にいた前列が、
「将門、くたばれっ」
 と、急に、弦《つる》を鳴らした。四、五本の矢が、将門の青白い顔を的《まと》として、びゅっと飛んだ。
 がばと、将門は、馬のたてがみに打っ伏した。迅速だった。馬は尻を刎《は》ね上げて、くるりと、廻った。とたんに、将門は、ムチを加えていた。——それこそ、一目散といってよい彼の姿であった。
 勝鬨《かちどき》とも、爆笑の嵐ともつかない声が、うしろで聞えた。
「それっ、追い討ちにかかれ」
「焼き立てろ、火攻めに移れ」
 良兼の部下は、余勢を駆って、さらに、豊田郷の深くに進攻し、放火、掠奪、凌辱《りようじよく》など、悪鬼の跳躍をほしいままにして、その日の夜半頃、筑波へひきあげた。
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