贋食物誌56

     56 鰻(うなぎ)㈫

 
 
 東京の都心に、緑にかこまれた日本家屋のウナギ屋がある。冠木門《かぶきもん》をくぐって坂道の飛び石づたいに入口にいたる風情も、大へん結構である。
 以前、連載対談を足かけ五年間つづけた時期には、この店と六本木の中国料理店とを会場にしていた。原則としてゲストに似合う店のほうを選んだわけだが、当方のそのときの舌の按配に合わせたこともある。
 その後、私が長いあいだ健康を害したり、回復してからもウナギ屋でじっくり差しむかいで酒を飲む相手も見付からないので、ご無沙汰している。
 三遊亭圓生師匠をゲストにむかえたときは、おのずから会場はそのウナギ屋になった。
 いま、そのときの切り抜きを調べてみた。床の間の掛軸の文字が知りたかったこともあるのだが、陶器の皿に載ったウナギはみえるが、肝心のものは右側の三分の一しかみえない。
 意外にも、師匠は白いワイシャツにネクタイ姿で写っている。
 このときの師匠の話にひどくオカしいのがあったので、紹介しようと再読していると、別の箇所が目についた。ポルノの規制とか発禁とか官憲がうるさいが、普通人をもっと信用して、こちら側に委《まか》せておいてよい、という例として書く。
 名古屋のある劇場で、ストリップの合間に短かい漫才とか寸劇を挟《はさ》んだ。
 ひどくエロな掛け合いがあって、客は爆笑して喜んでいた。ところが、二度目に別のコンビが同じようなコントを演じたところ、客はもはやその種のエロにくたびれていて、場内がシーンとしてしまった、という。
 それはそれとして、師匠が十一、二歳のとき、寄席の楽屋で立派な風体の大人が、
「坊や、ちょっとおいで」
 と、呼ぶ。
 傍に近寄ると、かなりの年配のその男が、ニコリともせずに、
「タメになることを教えてやろう。おまえも大きくなるってえと、オ××コを舐《な》めることが起ってくる。あれは、タテになめてはいけないよ。あのものは、こういう具合になっておる、それをヨコに舐めなくてはいけない。どういうわけなのか、いま教えてあげるからよおく覚えておくんだよ」
 と、まじめそのものの顔で言う。
「いいかい。こう、タテに舐め上げると、鼻の穴に毛が入ってクシャミが出る」
 こういう話を、圓生のような人物と差し向いで聞かされると、対談もいいものだなあ、とおもった。
 師匠はいつものように、かるく顔を崩して苦笑いのような表情をつくったまま、この話を終りまで喋《しやべ》ったのは、さすが芸である。シロウトには、途中で笑い出さずに終りまで話すことは無理といってよい。試みてみると、そのことが分かる。
 私は東京育ちで、子供のころからよく寄席に連れて行かれた。ずいぶん以前になくなったが、神楽坂の上に寄席があった。冬の夜、二階の畳のところで小さい貸し火鉢をかかえこんで聞いていると、漫才の男女のコンビが舞台に出てきてこれから芸をはじめようとした。
 その直前に、女のほうが客席にいる芸者風の女と目と目で挨拶を交わしたのが、すこぶる印象的であった。その漫才の中身はすっかり忘れているのだが、なぜかそういう些細《ささい》なことが記憶に残っている。ずいぶんマセた子供だったのか、子供というものはそういうものなのか。
 
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