魔女たちの長い眠り09

 9 椅《い》 子《す》

 
 病室のドアが、ためらいがちにノックされた。
 小西は、少しまどろんでいたが、すぐにノックの音に気付いて、声をかけた。
「入ってくれ」
 ドアが開くと、若い男が、顔を覗《のぞ》かせた。
「遠《えん》慮《りよ》してないで入れよ」
 小西は、気軽に言った。しかし、まだ警官になって二年目という新人にとって、小西のようなベテラン警部は、とても気軽に口をきける相手ではない。
「失礼します」
 と一礼して、病室へ入って来る。
「そんな入口の所に立ってたんじゃ、話もできん。そこの椅子を持って、ベッドのわきへ来てくれ」
「はい。では——」
 青年は、相変らず緊《きん》張《ちよう》の面《おも》持《も》ちで、言われた通り、小西のベッドの傍《そば》へ腰《こし》をおろした。
 小西は、ちょっと窓の方へ目をやった。
「もう、外は暗いか?」
「はあ。かなり薄《うす》暗《ぐら》くなっております」
「そうか。俺《おれ》の人生と同じだな」
 と、小西は、ちょっと微《ほほ》笑《え》んで見せた。
 警官も、かなり引きつってはいたが、多少は気が楽になった様子で、笑顔を見せた。
「警部殿《どの》には、まだまだ活《かつ》躍《やく》していただきませんと」
「おいおい、年寄りを慰《なぐさ》めてるつもりか? こっちはいい加減、お役ごめんにしてほしいと思ってるんだぞ」
 と、小西は笑った。
「はあ。申し訳ありません」
「謝ることはない。——水《みず》本《もと》君だったな」
「はい」
「悪いがカーテンをしめてくれ。きっちりと、だ」
 水本 巡《じゆん》査《さ》は、急いで立って行った。小西が、
「待て」
 と鋭《するど》く声をかけた。「外から君の姿が見えないように、カーテンを引け。右半分を引いたら、窓の下をくぐって——そうだ」
 水本は、言われた通りにして、カーテンを隙《すき》間《ま》なくしめると、椅子に戻《もど》った。
「この間、六人目の女の子が襲《おそ》われた夜のことを憶《おぼ》えているかね」
 と、小西は一息ついてから、言った。
「はい。警部殿《どの》が負傷されたときのことですね」
「『警部殿』はよせよ。『警部』だけでいい。『殿』がつくと、郵便の宛《あて》名《な》みたいだ」
「申し訳ありません」
「あのとき、俺《おれ》に家に入っていろと言って来たのは君だったな」
「そうです。警部殿——警部とは気付きませんで——」
 と青い顔で目をそらす。
「いいんだ。君のあのときの身のこなしが印象に残ってな。俺も君のように軽やかに動けたときがあった」
「はあ」
 水本は、訳が分らない様子で、小西を見た。
「今は非番か」
「はい。今しがた……」
「何か用事があったんじゃないのか?」
「いえ、別に。——自分はまだ独《ひと》り者ですし」
「デートじゃなかったのか」
「残念ながら、相手が……」
 水本は頭をかいた。どう見ても高級品とは言えないジャンパー姿の水本は、学生といっても通用しそうに見える。
「そうか。——警官は何かと損な商売だからな」
 小西は、ニヤリと笑って、「しかし、適当に遊べよ。無理に聖人になろうとして、おかしくならんようにな」
「はあ」
 小西は、真《ま》顔《がお》になった。
「君がここへ来ることは誰《だれ》も知らんな?」
「そういうご指示でしたので」
「同《どう》僚《りよう》や上司にも?」
「はい、一言も」
「よし」
 小西はためらっていた。彼《かれ》としては珍《めずら》しいことだ。一《いつ》旦《たん》心を決めて、わざわざこうして水本を呼びつけておきながら、まだためらっている。
 今の自分の気持に、何の根《こん》拠《きよ》もないことを小西自身、よく知っているせいだろう。おそらく、こうして焦《あせ》りと苛《いら》立《だ》ちの中で、為《な》すすべもなくただ横たわっていると、天《てん》井《じよう》の、何でもない小さな割れ目が、少しずつ広がっているように見えたりするのと同じで、特別に意味のないことが、重要なことのように思えて来るのかもしれない。
 しかし、何でもないことだと分れば、それはそれでいい。ただこうしてもやもやしたものを抱《いだ》いて寝《ね》ているよりは……。
「これからの話は——」
 と、小西は言った。「君の胸の中だけにおさめておいてくれ」
「かしこまりました」
「そうかしこまらなくてもいい」
 小西は、むしろ自分をリラックスさせるように言った。「君は、俺《おれ》がやられたとき、あの塀《へい》の合《あい》間《ま》の反対側へ回っていたんだな」
「そうです」
「俺と一《いつ》緒《しよ》にいた奴《やつ》は、死んだ。——よく知っていたか?」
「いえ、顔ぐらいです」
「そうか。——君は、あのとき、犯人が逃《に》げるのを見たのか?」
「ほんの一《いつ》瞬《しゆん》です。それも黒い影《かげ》がチラッと目に入っただけで」
「どんな奴だったかは分らないわけだな」
「はあ。残念ですが」
 と、水本は肯《うなず》いた。
「これは——漠《ばく》然《ぜん》とした訊《き》き方だがね」
 小西は、水本から目をそらして、言った。その方が、妙《みよう》なプレッシャーをかけずに済むと思ったからだ。
「その人影の動きとか——何かほんのちょっとしたことから……どこかで見たことがある、あるいは知っている奴だ、という印象を受けなかったか?」
 ——しばらく返事がなかった。小西は水本の方へ顔を向けた。
 当《とう》惑《わく》している。それは当然といえた。しかし、ただ困っているというのとは、どこか違《ちが》っているようだ。
「どうした?」
 と、小西は言った。
「いえ……」
 水本は、ためらいながら言った。「警部がそうおっしゃるとは思わなかったものですから」
「ほう」
「実は、自分も、そんな気がしておりました」
「——そうか」
 小西は、鼓《こ》動《どう》の早まるのを覚えた。この若い警官もそう思っていたのだ! 思い過しではなかったのかもしれない。
「ただ、それが誰《だれ》なのかと訊《き》かれると答えられないんですが」
 と、水本が続けた。「それに、本当にチラッと見ただけですから」
「分るよ」
 小西は安心させるように、肯《うなず》いて見せた。
「警部は、なぜそう思われたのですか?」
 水本の質問に、小西は答えなかった。
「俺《おれ》がやられた後のことだが、君はすぐ本部へ連《れん》絡《らく》を入れたな」
「もちろんです。あの一帯の緊《きん》急《きゆう》手《て》配《はい》と、それに救急車を要《よう》請《せい》しました」
「本部で無線に出たのは、三木だったか?」
「いいえ。誰だったかよく分りません」
「三木は知ってるな」
 小西は、さり気なく本題へと入って行った。
「もちろんです」
「三木の声なら、聞けば分るか」
「分ると思います。それにあのときは——」
 と、言いかけて、水本は言葉を切った。
「どうした?」
「いえ……。三木さんは、少し遅《おく》れてみえました。現場へ」
「そうか。どれぐらいしてからだ?」
「たぶん一時間は……。大分捜《さが》し回った後でしたから。そうです。それに、ご自分で、そうおっしゃってました。『ちょっと帰ってる間に出て来るんだからな』と。今、思い出しましたが」
「そうか」
「たぶん一《ひと》風《ふ》呂《ろ》浴びて来られたんだと思いました」
 小西は、ちょっとハッとした。
「一風呂だって? どうしてそう思ったんだ?」
「いえ——別に——ただ、何となく」
 水本はどぎまぎして、「たぶん……そうです。石《せつ》ケンの匂《にお》いがしたんだ。そうでした。近くに立ったとき、そんな匂いがして、ふっとお風呂へ入ったんだな、と思ったんです」
 話しているうちに、水本の声が高くなる。
 そして、唐《とう》突《とつ》に、水本は言葉を切った。
 二人の間に、沈《ちん》黙《もく》があった。徐《じよ》々《じよ》に、何かがしみ込《こ》み、広がって行くような沈黙だった。
 どれくらい、二人は黙《だま》り込んでいたのだろう。——おそらく、ほんの一分間ぐらいのことでしかなかったのだろうが、小西には、いや、おそらく水本にも、途《と》方《ほう》もなく長い時間のように思えた。
 ドア越《ご》しに、廊《ろう》下《か》から、お食事ですよ、という声がして、水本は腰《こし》を浮《う》かしかけた。
「いいんだ」
 と、小西は手を上げて、「ここじゃない。あんな病人用の食事じゃあ、犯人と格《かく》闘《とう》もできんからな。勝手に食べることにしてる。大体、早過ぎるんだ、時間が」
「そうですね」
「後で、娘《むすめ》が運んで来てくれる。まだ時間はある」
 関係のない話をしたことで、重苦しさが多少は取り除かれたようだった。小西は、ゆっくりと息をつくと、胸の上で両手を組んだ。
「こんなことを考えるのは、気が重いもんだ」
「そうですね」
 と、水本はくり返した。「しかし——本当に、三木さんが……」
「分らん。だが、もしそうだと分っても、俺《おれ》はそんなに驚《おどろ》かない」
 水本は、ちょっと考えてから、言った。
「自分は何をすれば……」
「『自分』ってのもよせよ。軍隊みたいで好《す》かん。『僕《ぼく》』でも『俺』でもいい」
「申し訳ありません」
「色々うるさく言って済まんな」
 と、小西はちょっと笑った。「しかし、年《と》齢《し》を取るとこういう風になるもんさ」
「警部。——僕は、何をすれば……」
「これまでの事件が起ったときの、三木のアリバイを調べてくれ」
「かしこまりました」
 水本は、具体的な命令が出てホッとしたようだった。「でも、あまりおおっぴらに訊《き》いて回るわけにもいきませんね」
「もちろんだ。三木に気付かれてはならんし、そんな噂《うわさ》が立つのもまずい」
「分りました。では、さり気《げ》なく話をしてみます」
「頼《たの》むぞ。俺が自分でやれるといいが、この体では難《むずか》しい」
「ご心配なく。簡単にはいかないと思いますが、やってみます」
「ああ、よろしくな」
 小西は肯《うなず》いた。「それから、この前、犯人が子供部屋へ忍《しの》び込《こ》んだとき、指《し》紋《もん》を残したと言ったな」
「そのようです。前科はなかったようですが……。では、三木さんの指紋と合わせてみますか?」
「それが一番確実だろう。三木の指紋なら、採《と》れないことはあるまい」
「分りました。では、それを第一にやってみます」
「鑑識の人間から話が洩《も》れないようにしてくれよ。——何といっても、慎《しん》重《ちよう》の上にも慎重にやる必要がある」
「承知しています」
 水本は、しっかりと肯いた。「しかし、警部、もし三木さんが犯人だとしたら、犯人の指紋というのも、すり換《か》えられているかもしれません」
 なかなか頭の回る男だ。小西は、自分の目に狂《くる》いはなかった、と思ってニヤリとした。
「そいつは俺《おれ》も考えた。しかし、指紋のような重要 証《しよう》拠《こ》だ。いくら三木でも、そうたやすくいじくり回すわけにはいかんと思う」
「そうですね。では、ともかくその方を、早速当ってみたいと思います」
 やっと迷いがふっ切れたという様子で、水本は早口に言って立ち上った。
「いいか。無理をするなよ」
 と、小西は指を立てて、「警官も一人死んでいる。早い方がいいのは確かだが、焦《あせ》ると君も危い」
「充《じゆう》分《ぶん》注意します」
 水本は、むしろホッとしたようで、張り切っている感じだった。
「俺は三木とは長く組んでいるんだ。——思い違《ちが》いであってくれたら、その方がありがたい」
「しかし警部——」
 と、水本は言った。「なぜ、疑いを持たれたんですか?」
「そのわけか」
 小西は、微《ほほ》笑《え》んだ。「もし、心配が本当だと知れたら、そのときに教えてやるよ」
「分りました。では、失礼します」
 水本は、病室へ入って来たときの、おどおどした様子はすっかり消えて、明日から夏休みという日の小学生のような、軽い足取りで出て行った。
 ——小西は、少し疲《つか》れを覚えていた。
 全く、俺もガタが来たもんだ。
 三日間で退院の予定が、もう一週間になる。それでも、医者の方からは、まだOKが出ないのだ。
 こうなると妙《みよう》なもので、却《かえ》って焦りのようなものはなくなる。確かに、少々無理もたたっているのだろう。フラつく足で犯人を追い回しては、却って邪《じや》魔《ま》になるばかりだ。
 ただこうしてじっと寝《ね》ているしかないのだから、頭を働かせよう、と思った。
 一《いつ》瞬《しゆん》といえども、小西は犯人と顔をつき合わせているのだ。あの何秒間かのことを、徹《てつ》底《てい》的にくり返し思い出して、何か、手がかりをつかみたい、と思った。
 長年、記《き》憶《おく》力を鍛《きた》えて来たのだ。チラリと見ただけで、相手の身長、体重、着ている物の色、柄《がら》から靴《くつ》まで見分けて、憶《おぼ》えていなくてはならない。車なら、車種から色、タイヤはどこのものだったか……。
 それが小西くらいの年《ねん》齢《れい》になれば、もうほとんど習慣になっている。あの暗がりの中でも、あれだけ近くにいたのだ。何か——何か憶えているはずだ……。
 人間よく知っている相手なら、クシャミや息づかいだって聞き分けられる。小西はあのとき、犯人の息づかいを耳にしていた。
 何度も思い出しているうちに、それが、「誰《だれ》か知っている人間のもの」だという気がして来たのだ。同時に——いや、実際はこっちが先に頭にあったのかもしれないが——孫の千《ち》晶《あき》の言葉を、それにつなげていたのである。
「血で一《いつ》杯《ぱい》に汚《よご》れて見えた」
 千晶は、三木を見て、そう言ったのだ。
「——お父さん」
 と呼ばれて、小西はハッとした。
 病室のドアが開いて、娘《むすめ》の千枝が立っている。小西は、軽く息をついた。
「お前か。——入って来たのに気付かなかったよ」
「うとうとしてたんじゃないの?」
 と、千枝は微《ほほ》笑《え》んで、「ご注文通り、ちらし寿《ず》司《し》よ」
 ベッドのわきに回って来ると、手《て》提《さ》げ袋《ぶくろ》から、紙包みを取り出す。
「済まんな」
 小西は、少し体を起した。「やれやれ、すっかり病人になっちまった」
「散《さん》々《ざん》無理してんだもの」
 と、千枝は、ちょっと父親をにらんだ。「あれだけ注意してあげたのに」
「仕方あるまい、今さら言っても——何だ、一《いつ》緒《しよ》だったのか。こっちにおいで」
 孫の千晶が、ドアの所に立って、小西を見ている。その黒い、大きな瞳《ひとみ》は、八歳《さい》の子供にしては、不思議にさめたものを湛《たた》えていた。
 千晶は、ベッドの方へ近づいて来たが、すぐそばまでは来ないで、ベッドの少し手前で足を止めると、母親が、ポットのお湯でお茶をいれるのを眺《なが》めていた。それから、千晶の目は、ベッドのわきの、空の椅《い》子《す》に移った。
「千晶にも、おいなりさんを買って来たのよ。一緒に食べるでしょ?」
「うん」
 と、千晶は肯《うなず》いた。
「椅子に座ったらどうだ?」
 と、小西が声をかけると、千晶はトコトコやって来たが——。
「おじいちゃん」
「何だい?」
「今、誰《だれ》かここに来てた?」
「ああ。——少し前だけどな」
「この椅子に座ってた?」
「うん、座ってたよ。どうしてだ?」
「男の人だったね。若い人で、ジャンパー着てた」
「千晶。やめなさい」
 と千枝が、少しきつい調子で言った。
「はあい」
 千晶が、少し口を尖《とが》らして、つまらなそうに言った。小西は、少しの間、孫を見つめていたが、
「何か飲むものがあった方がいいだろ。ジュースでも買って来るか」
「うん」
「よし、おじいちゃんも後で飲むからな、二本買って来てくれるか?」
「いいよ」
 小西が小銭を渡《わた》すと、
「廊《ろう》下《か》の突《つ》き当りに自動販《はん》売《ばい》機《き》が——」
 と、言い終らないうちに、
「知ってる!」
 と言い残して、千晶は出て行ってしまった。
「いなり寿《ず》司《し》にジュース?」
 と、千枝が苦笑しながら、「さあ、お茶」
「ありがとう。——ここにもお茶の葉はあるが、ひどいもんだ。色しか出ない。ありゃ絵の具だよ」
「ぜいたく言わないの」
 千枝は椅《い》子《す》にかけた。「——お父さん、本当に、ジャンパーを着た若い男の人が、ここに来てたの?」
「うん」
 と、小西は肯《うなず》いた。「警官だが、私服で来ていた」
「そう」
 千枝は、ちょっと首を振《ふ》った。「困ったもんだわ」
「前からか?」
「そうね、この一、二年じゃないかしら。時々、突《とつ》然《ぜん》妙《みよう》なことを言い出すの。子供のことだし、ちょっと空想癖《へき》もあるから、気にしてなかったんだけど……」
 と、千枝はためらった。
「何かあったのか」
「私のいる団地の中の駐《ちゆう》車《しや》場《じよう》 をね、あの子を連れて歩いてたの。日曜日で、いい天気だったし、ご主人たちが、車を洗ってたのよ。——その一台の前で、千晶が足を止めてね、洗うのをじっと見てたの。洗っていた人が千晶に気付いて『どうだい、きれいになっただろ?』って訊《き》いたら、あの子、『ちっとも落ちてないよ』って言うの。それから、『一杯血がついてるよ』って……。相手が真《まつ》青《さお》になったわ。私、怖《こわ》くなって、あの子を引っ張って逃《に》げ出《だ》しちゃった。その二日後に、その人、ひき逃げで捕《つか》まったの。千晶が見た前の日に、人をひいて殺してたのね」
「お前の目には、何も見えなかったわけだな?」
「全然。きれいなものだったわ……」
「あの子には、何かそういう能力があるんだ」
 と、小西は言った。
「警官がそんなことを言ってもいいの?」
 千枝は冗《じよう》談《だん》めかして言ったが、目は笑っていなかった。
「しかし、そうとしか思えんよ」
「あの子の前で、そんなことを言わないで」
 と、千枝は真顔で言った。「危険だわ。分るでしょ? そのひき逃げした人だって、もし、あの子がそれを知ってると思ったら、あの子に危害を加えようとしたかもしれないわ」
 なるほど、そこまでは小西も考えていなかった。
 しかし、三木の場合は大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》だ。万が一、水本がしくじって、三木が、疑われていることに気付いたとしても、そのきっかけが千晶の言葉だなどと、気付くわけがない。
「きっと、子供のうちだけだわ」
 と、千枝が言って、ドアの方を見た。「大体、私もお父さんもそんな勘《かん》なんて、ちっとも持ってなかったのにね」
「亭《てい》主《しゆ》の浮《うわ》気《き》に気付く勘は持ってるんじゃないのか?」
 小西の言葉に、千枝は笑い出した。
 そのとき、廊《ろう》下《か》で突《とつ》然《ぜん》悲鳴が上った。続いて、何かが激《はげ》しく壊《こわ》れる音。
 千枝が病室から飛び出すと、小西の方もベッドからはね起きて、後を追っていた。
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