魔女たちのたそがれ06

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 5 消《き》えた女

 
 角田栄子の葬《そう》儀《ぎ》から、三日が過《す》ぎた。
 依子は、多《た》忙《ぼう》だった。
 ともかく、二度とあんなことがあってはならない、というわけで、登《とう》下《げ》校《こう》時《じ》に、グループを作ることを決《き》めたのである。
 決めたといっても、何しろ水谷の方は、いたって腰《こし》が重《おも》い。優《ゆう》柔《じゆう》不《ふ》断《だん》というのか、依子の提案にも、
「そうですねえ……」
 と曖《あい》昧《まい》な返《へん》事《じ》をするばかり。
 依子が業《ごう》を煮《に》やして、具《ぐ》体《たい》的《てき》な案《あん》を作ると、
「やはりそれは僕《ぼく》らの一存では——」
 というわけである。
 水谷との相《そう》談《だん》は諦《あきら》めて、依子は、直《ちよく》接《せつ》、本校の方へと出かけて行った。
 校長と直《ちよく》接《せつ》 話をすると、依子の提《てい》案《あん》は、即《そく》座《ざ》に受《う》け容《い》れられた。本校の方としても、別《べつ》に費《ひ》用《よう》がかかるわけでなし、認《みと》めない理《り》由《ゆう》もなかったのだ。
 依子は、三十人の生《せい》徒《と》たちを、町の南側《がわ》、中《ちゆう》央《おう》、北側、と住《す》む所《ところ》によって三つに分けた。
 それぞれに、六年生が入っているので、好《こう》都《つ》合《ごう》だった。
 集《しゆう》合《ごう》場《ば》所《しよ》を決め、六年生が責《せき》任《にん》をもって、連《つ》れて来る。休む場合は五年生に必《かなら》ず連《れん》絡《らく》しておく。
 中央部のグループには五年生がいなかったので、六年生が休むときは、依子が代《かわ》ることになった。
 下校も、時間を早め、原《げん》則《そく》としてグループごとに帰ることにした。
 しかし、放《ほう》課《か》後《ご》の校《こう》庭《てい》で遊《あそ》ぶのを楽《たの》しみにしている子《こ》供《ども》たちを、しめ出すのも、ためらわれた。
 用心深《ぶか》いのはいいが、子供たちが駆《か》け回るのまで禁《きん》じることはできない。——依子は、放課後、遊びたい子は、予《あらかじ》め届《とど》け出ること、そして、必《かなら》ず四人以《い》上《じよう》で遊《あそ》ぶようにして、一人だけ早く、あるいは遅《おそ》く帰ったりしないようにする、などを決めた。
 水谷は、依子があれこれと規《き》則《そく》を作るのを見ても、別《べつ》に手《て》伝《つだ》うでもなく、といって、止めるでもなかった。
 むしろ、自分の手を離《はな》れて、ホッとしている、という様《よう》子《す》であった。
 依子は、生《せい》徒《と》たちの家を一《いつ》軒《けん》一軒回って、新《あたら》しいやり方について説《せつ》明《めい》しなくてはならなかった。
 いや、もちろん、生徒たちに手紙を持《も》って帰らせてもいいのだし、父《ふ》兄《けい》を呼《よ》んで話をしてもよかったのだが、そうでなく、出《で》向《む》いて説明することで、せめて、栄子の死《し》を償《つぐな》いたいと思ったのである。
 それに、何といっても、あんな事《じ》件《けん》があっても、町の人々はのんびりしている。
 いわば、切《せつ》実《じつ》な危《き》機《き》感《かん》がないのだ。その辺《へん》を、直《ちよく》接《せつ》会って話をすることで、かき立てる必《ひつ》要《よう》があった。
 実《じつ》のところ、この「家《か》庭《てい》訪《ほう》問《もん》」には、依子にとっても、ある決《けつ》心《しん》が必《ひつ》要《よう》だった。
 角田栄子の死《し》について、依子は、責《せ》められても仕《し》方《かた》のない立《たち》場《ば》だったからである。
 しかし、回った各《かく》家庭で、依子は、快《こころよ》く迎《むか》えられた。誰《だれ》一人《 ひ と り》、依子を責《せ》める者《もの》はいなかった。
 むしろ、
「先生のせいじゃないですから」
 と慰《なぐさ》められることもしばしばだったのである。
 依子の考えた、グループ別《べつ》の登《とう》下《げ》校《こう》についても、誰《だれ》もが快く協《きよう》 力《りよく》すると約《やく》束《そく》してくれた。
「何でも、お手《て》伝《つだ》いすることがあったら、おっしゃって下さい」
 母親の多くが、そう言ってくれたのは、何よりも嬉《うれ》しかった……。
 そして——グループ別登下校の初《しよ》日《にち》が、今日だったのだ。
 やはり、のんびりしていて、ついうっかり一人で来た者《もの》も二、三あったが、ほとんどの生《せい》徒《と》たちは、依子の指《し》示《じ》の通りに、朝、決《きま》った時間に集《しゆう》合《ごう》して、やって来た。
 そして帰りも、混《こん》乱《らん》なく下校して行った。——遊《あそ》んで行くという生徒が、十人近くいたので、依子は、もちろん、許《きよ》可《か》した。
「いや、結《けつ》構《こう》やるもんですねえ」
 と、水谷が、放《ほう》課《か》後《ご》になって、感《かん》心《しん》したように言い出した。
「え?」
 依子は、窓《まど》から、遊んでいる子《こ》供《ども》たちを眺《なが》めていたが、水谷の言《こと》葉《ば》に、振《ふ》り向《む》いた。
「いや、集《しゆう》団《だん》登《とう》校《こう》なんていっても、どうせ、みんな守《まも》りやしない、と思ってました。きちんとして来たのには、本当にびっくりしましたよ」
 依子は苦《く》笑《しよう》した。もう、あまり腹《はら》も立《た》たない。
「やればできますよ」
 と、言って、また校《こう》庭《てい》に目を向けた。
「全《まつた》くだ。しかし……」
 水谷は、言いかけて、言《こと》葉《ば》を切った。
 沈《ちん》黙《もく》が続《つづ》いて、依子は、また振《ふ》り返《かえ》った。
「しかし——何ですの?」
「え? ああ、いや——いつまで続くかな、と思いましてね」
 依子がムッとして言い返そうとすると、
「別《べつ》に、これは皮《ひ》肉《にく》を言ってるんじゃありません」
 と、水谷は急いで言った。「ただ、事《じ》実《じつ》を言ってるんです。もちろん、この間のような事《じ》件《けん》は、この小さな町には大事件だ。でも、また忘《わす》れられるのも早いですよ」
 依子は何も言わなかった。
 水谷の言うことにも一理ある、と思ったのだ。
「まあ、あんなこと、もう二度と起《おこ》らんでしょう」
 と、水谷は言った。
「そう願《ねが》いたいですね」
 と、依子は言った。
 ふと、思い出していた。——栄子の葬《そう》儀《ぎ》のとき、角田が刺《さ》した女のことを。
 あの女が来たとき、町の人々が向《む》けた、冷《ひ》ややかな視《し》線《せん》。——それは、依子を迎《むか》えた父《ふ》兄《けい》と同じ人々のものとは思えなかった。
「あの人、どうなったのかしら」
 と、依子は言った。
「——誰《だれ》のことです?」
 水谷が訊《き》く。
「お葬《そう》式《しき》で……。ああ、水谷先生はいらっしゃらなかったんだわ。中年の女の人が焼《しよう》香《こう》にみえたんです。そして——角田さんが、その人を短《たん》刀《とう》で刺《さ》したんですよ!」
 水谷は目を丸《まる》くしていた。
「刺した、ですって?」
「ええ」
「まさか!」
 と、水谷は笑《わら》った。
「本当です。確《たし》かに、目の前で見たんですもの」
「そんな風に見えたような気がしただけじゃありませんか?」
「いいえ! この目で見たんです。絶《ぜつ》対《たい》に確かですわ」
 と、依子は言い張《は》った。
「しかし、そりゃ傷《しよう》害《がい》罪《ざい》になりますよ」
「もちろんですわ。あの刺《さ》し傷《きず》だったら、死《し》ぬか、それでなくても大《たい》変《へん》な重《じゆう》 傷《しよう》だと思います」
「でも、そんな話、聞きませんね、少なくとも僕《ぼく》は」
 私《わたし》もだわ、と依子は思った。
 町の人々は噂《うわさ》 話《ばなし》が趣《しゆ》味《み》である。あんな大変な事件で、しかも、ひき起《おこ》したのは、町の名士だ。
 もっとあちこちで話《わ》題《だい》になっていてもいいのに。
「それに、そんなことをすれば、いくら角田さんだって逮《たい》捕《ほ》されてますよ」
 と、水谷が言った。
「ええ、もちろんでしょうね」
「でも、僕は今《け》朝《さ》、見かけましたよ」
 依子は、振《ふ》り向《む》いた。
「誰《だれ》を?」
「角田さんです。いつも通り、車を運《うん》転《てん》して行きました」
 依子は、唖《あ》然《ぜん》とした。
「本当ですか?」
「もちろん。父親の方でしょう? 間《ま》違《ちが》いありません」
 まさか、そんなことが——と思ったが、水谷がそんなでたらめを言うはずもない。
 依子は、わけが分らなかった……。
 
「失《しつ》礼《れい》します」
 依子は、声をかけた。
「やあ、先生! これはどうも——」
 駐《ちゆう》在《ざい》の河村である。パッと敬《けい》礼《れい》して、
「ご苦《く》労《ろう》さまです」
「どうも——」
 依子は、ちょっとどぎまぎした。「今——よろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
 と、河村は、ガタつく椅《い》子《す》を、依子にすすめた。
「どうなりましたか、犯《はん》人《にん》は?」
 と、依子は訊《き》いた。
 河村は、ちょっとポカンとしていたが、
「ああ、栄子さんの一《いつ》件《けん》ですか、もちろん」
 と肯《うなず》いた。「今、県《けん》警《けい》に、異《い》常《じよう》者《しや》のリストを頼《たの》んでいるんですよ。その中で、この近《きん》辺《ぺん》の者、この辺まで容《よう》易《い》に来られる者を洗《あら》ってみるつもりです」
「そうですか」
 依子は肯いたが、ちょっとすっきりしなかった。
 依子が「犯人」と言ったとき、河村がすぐに分らなかったのは、どういうわけだろう?
 まるで、栄子殺《ごろ》しが、もう過《か》去《こ》のものにでもなってしまったかのようだった。
 いや、いくら何でも、それは考え過《す》ぎだろう。——河村だって、ついうっかりすることはある。
「実は、そのことに関《かん》連《れん》してなんですが」
 と、依子は座《すわ》り直《なお》した。「お願《ねが》いがありまして——」
 依子は、グループ別《べつ》の登《とう》下《げ》校《こう》のやり方について説《せつ》明《めい》し、欠《けつ》席《せき》が多かったりして、自分一人では手が回らないときは、協《きよう》 力《りよく》してくれと頼《たの》んだ。
「承《しよう》知《ち》しました、任《まか》せて下さい」
 と、即《そく》座《ざ》に、河村は言った。
「良《よ》かったわ。私の一《いち》存《ぞん》で始《はじ》めてしまって、出すぎた真《ま》似《ね》をしたかと気になっていたんです」
「そんなことはありませんよ。町の連《れん》中《ちゆう》、みんな、いい先生だと評《ひよう》判《ばん》です」
「とんでもありません」
 依子は顔を赤らめた。「——じゃ、どうかよろしく」
 立ち上って、駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》を出ようとして、
「ああ、あの女の方、傷《きず》はどうでしたの?」
 と、訊《き》いた。
「女といいますと?」
「ほら、角田さんがお葬《そう》式《しき》のとき、刺《さ》した……」
「刺した?」
 河村が目を見《み》張《は》り、それから「——ああ、分りました!」
 と肯《うなず》いて、ちょっと笑《わら》った。
「いや、『刺した』とおっしゃるんで、びっくりしました」
「でも、本当に刺したでしょ? 私、あの場《ば》で見ていて、びっくりしました」
「あの女は、角田さんのお妾《めかけ》さんですよ」
 と河村は、少し声を低くして言った。
「まあ!」
「だから、町の連《れん》中《ちゆう》は、良《よ》く思っていません。それに、栄子さんのことを恨《うら》んでいましたからね。あの子さえいなければ、妻の座《ざ》につけた、とでも思っているんでしょう」
「それで……。でも、角田さんが、なぜあんな——」
「さあ、やはりカッとなってたんでしょうな……」
 と、河村は首を振《ふ》った。「一人《 ひ と り》娘《むすめ》を殺《ころ》されたんだ。つい、理《り》性《せい》を失《うしな》うのも分りますよ」
「ええ、それはもちろんですわ」
「でも、刺《さ》されたわけじゃありませんよ」
 と河村は軽《かる》い口《く》調《ちよう》で言った。「どうも、角田さんの様《よう》子《す》がおかしいんで、私も気を付《つ》けとったんです」
「ええ、憶《おぼ》えていますわ」
「あの女に向《むか》って行こうとしたんで、私が止めたんですよ。そしたら、角田さんが包《ほう》丁《ちよう》で切りつけましてね。——女の方は、ちょっと手をけがしただけでした」
 依子は、何とも言わなかった。
「角田さんも、後で気が落《お》ちつくと、悪《わる》かったと謝《あやま》っておられました。まあ、いくらお妾《めかけ》でも、子《こ》供《ども》を殺《ころ》したりはせんでしょう」
「そう——でしょうね」
「結《けつ》局《きよく》、女の方も、訴《うつた》えたりするつもりはないということでした。——そんな具《ぐ》合《あい》です」
「そうでしたか」
 依子は、やっとの思いで、笑《え》顔《がお》を作った。
「どうもお邪《じや》魔《ま》しました」
 依子は、外《そと》へ出て、歩き出した。
 見られている。——振《ふ》り向《む》かなかったが、依子は、なぜか、ずっと見つめられているような気がして、ならなかった。
 
 その夜、依子は、眠《ねむ》れなかった。
 河村の話を信《しん》じたい。——信じられたら、どんなにか気が楽《らく》だろう。
 しかし、そのためには、依子は、自分の見たもの、その記《き》憶《おく》を否《ひ》定《てい》しなくてはならないのだ。
 それは不《ふ》可《か》能《のう》だった。——印《いん》象《しよう》は、あまりに鮮《せん》烈《れつ》だ。
 女の腹《はら》へ呑《の》み込まれる短《たん》刀《とう》、落《お》ちる雨《あま》傘《がさ》、そして、手早く運《はこ》ばれる女……。
 依子は、はっきり見た。そして、憶《おぼ》えているのだ。
 それをどうして否定できようか?
 しかし、実《じつ》際《さい》に、河村は否定している。
 河村が嘘《うそ》をついているのか。——なぜ?
 依子の記《き》憶《おく》が正しければ、当《とう》然《ぜん》、角田は、傷《しよう》害《がい》か殺《さつ》人《じん》未《み》遂《すい》で逮《たい》捕《ほ》されているだろう。
 しかし、現《げん》実《じつ》に、角田は自《じ》由《ゆう》の身《み》である。——つまり、女を刺《さ》しても、逮捕されていないのだ。
 角田がいかに実《じつ》力《りよく》者《しや》 といえ、そんな罪《つみ》を逃《のが》れることは、考えられない。
 暗い部《へ》屋《や》の中で、依子は寝《ね》返《がえ》りを打《う》った。
 間《ま》違《ちが》いない。——何度考えても、記憶違いや、見間違いではありえない。
「いいわ」
 と、呟《つぶや》いてみる。
 あの事《じ》件《けん》は起《おこ》ったのだ。
 そして、どうなったのか? まず第《だい》一《いち》に、刺《さ》された女はどうしたのか?
 これが肝《かん》心《じん》だ。女は生きているのだろうか?
 もちろん、見かけほどの傷《きず》でなかったということは、あり得《う》る。だが、ちょっと薬《くすり》をつけたぐらいで治《なお》せる傷でないことは、確《かく》実《じつ》であった。
 つまり——どこかで、治《ち》療《りよう》を受けているはずだ。
 町に、医《い》者《しや》は一軒《けん》しかない。内《ない》科《か》、外《げ》科《か》、小《しよう》児《に》科《か》と一人で引《ひ》き受《う》けている、金《かな》山《やま》医《い》師《し》である。
 
「生《せい》徒《と》の健《けん》康《こう》診《しん》断《だん》は、またよろしくお願《ねが》いします」
 と、依子は、古びた診《しん》察《さつ》室《しつ》で、頭を下げていた。
「ああ、いつでも行ってやるよ」
 金山医師は、しわくちゃの白《はく》衣《い》を着《き》た人の好《よ》さそうな、六十男である。
 六十といっても、髪《かみ》は白いが、まだまだ血《けつ》色《しよく》のいい、好《こう》人《じん》物《ぶつ》だった。
「今日は、ちょっと私《わたし》のことで……」
 と、依子は言った。
「そうか。何だね?」
「実《じつ》は……このところ、ちょっと生理が不《ふ》順《じゆん》なんです」
「うん、なるほど。まあ、色々心《しん》労《ろう》が重《かさ》なったせいだろうね」
「はあ」
「それとも妊《にん》娠《しん》するような心《こころ》当《あた》りでもあるかね?」
「いやだわ! そんなこと——」
 と、依子は赤くなって言った。
「いや、私ももう二十歳《さい》若《わか》けりゃ、あんたを放《ほう》っちゃおかんのだが」
「光《こう》栄《えい》です」
 と、依子は微《ほほ》笑《え》んだ。「——で、お薬《くすり》など服《の》まなくていいでしょうか」
「まあ、できれば放《ほう》っておいて、自《し》然《ぜん》に元《もと》に戻《もど》るのを待《ま》った方がいいがね」
「そうですか」
「何か、体の方に、異《い》常《じよう》があるかね」
「少し手足が冷《ひ》えます」
「うん、それは女《じよ》性《せい》には多い。心《しん》配《ぱい》することはないよ。ただ、ちゃんと睡《すい》眠《みん》は取《と》らなくてはいかんよ」
「はい」
 と、依子は肯《うなず》いた。「——ここは、入《にゆう》院《いん》なさってる方はあるんですか?」
「昔《むかし》はいたよ」
 と、金山は言った。「しかし、命《いのち》の惜《お》しい者《もの》はみんな逃《に》げ出すので、やめた」
「じゃ、重《おも》い病《びよう》気《き》の方は?」
「大きな病院へ送るのさ。車で三十分ほどの所《ところ》に一《いち》応《おう》、総《そう》合《ごう》病院がある」
「そうですか」
 と、依子は言った。「じゃ、あのけがをした女の方も——」
 金山は、ちょっといぶかしげに、
「誰《だれ》のことかね?」
 と訊《き》いた。
「お葬《そう》式《しき》のあった日です。角田さんの所《ところ》で、けが人が出たとか聞きましたけど」
 金山医師は、ちょっと迷《まよ》っている様《よう》子《す》だった。
「——ああ、そういえば、そんなことがあったかな」
「やはり、大きな病《びよう》院《いん》へ?」
「うん、送《おく》ったよ。思い出した。だが、大した傷《きず》じゃなかった」
「そうですか。良《よ》かったわ」
 依子は立ち上り、診《しん》察《さつ》室《しつ》を出ようとして、振《ふ》り向《む》いた。「その総《そう》合《ごう》病院の名前と電話を教えていただけますか? 何かのときに、心《しん》配《ぱい》なので」
「いいとも」
 金山は、メモ用紙を一《いち》枚《まい》破《やぶ》り取《と》った。その音が、ギクリとするほど鋭《するど》かった。
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